オーストラリア マレーニー訪問
(23 Feb 04 〜 26 Feb 04)

後藤 彰

マレーニーを通して考えるコミュニティ
 
 マレーニーでは、ニーズがあってコープが立ち上がってくる。土地を管理するコープでは土地が荒れないように管理をする。コープ形式のシネマクラブでは田舎町に映画上映をもたらす。この地域で喰っていきたい人や新参者をビジネス面からサポートするLEED(Local Economic Enterprise Development)というコープもある。なお、コープ形式が最高の仕組みだということでもなく、すでに蓄積されたノウハウがあるからこの形式を採用しているとのことだ。
   地域でお金が循環する。それは地域を活性化させる血液のようなものだ。地域で使ったお金は、地域を巡る。それは、地域に還元されるため巡り巡って自分のところへ帰ってくる。住民の多くはその「つながり」を理解しているという。だからこの町では資本を外部へ吸い上げてしまう外資系のファストフード店や大型スーパーなどは存在していない。「大きなスーパーなんかが来ても、地元の人は使わないだろうね」とのことだ。
   そういったお金の循環を補完する地域通貨もある。その地域通貨があるからこそ生きていけるという人々も存在している。
   全体的に見て、コミュニティとして共同体としてマレーニーは人々に愛されているし上手く機能しているという印象を持った。そこでは、人々が一緒に生きる(live together)、必要ならば支え合うということが肩肘張らずに行われているような気がする。

コミュニティの掲示板。
イベント情報や「譲ります」「譲って下さい」
みたいな情報が所狭しと貼られている。

コープ形式のカフェ。皆の憩いの場。
毎日たくさんの人が利用し
美味しい食事と飲み物、会話を愉しんでいる。
 市場ベースの競争原理が強化され、大規模店が立ち並び、「安ければそれだけ良い」という雰囲気が蔓延する世の中で、こういった町がどっこい機能している意味は大きい。同じような田舎町でも、「死にゆく町」と化しているところはオーストラリアでも日本でも多い。では何故、マレーニーでは支え合う共同体の機能が可能性を持っているのだろうか?
   僕をWWOOFerとして受け入れてくれたベロニカは上述のLEEDのスタッフでもあるのだが、僕の問いに対して「人々だ (because of people!!)」と語ってくれた。人々がこの土地と町、そしてそこに住む他の人々を好いている、誇りを持っていることが大きいのだ。だから、コミュニティのためならば自分のエネルギーも時間も割くということが成立しているという。また、マレーニーを案内してくれたD・ゆかりさんは「ここでは必要最低限のものは地域でそろう。この地元で充足するということが可能なんです。それに、必要があればそれを満たす仕組みが住民の中からコープ形式とかで立ち上がってくるんです」と語っていた。
   人々がコミュニティを愛していて、そのために動く。そして、地域である程度の自律した経済が成立している。そこに人のエネルギー、財、サーヴィスが循環する仕組みがあることが大きい。自分が地元で使うお金が巡り巡って地元に還元されるということが理解されてもいる。
   こういった特徴を考えた時に日本との違いは、人々が地域の事柄に関わる時間の制約があると感じた。労働時間が生活の大半を占め、拘束が多いため、地域のために時間やエネルギーを割くと言う事が難しくなっている。発展を求めて時間を切り詰めガムシャラに働く。そこで切れる地域とのつながり、人とのつながり、自然とのつながり。そんな日本社会の姿とマレーニーの姿は対照的に見えた。そして、僕はマレーニーの姿により豊かさや愉しさ、充実した感覚を感じた。今後、日本の豊かさを考えていく時に、重要なもののひとつは働き方やライフスタイルのスローダウン。お金以外の価値観、安らぎや愉しさ充足感といった価値観の見直しだと改めて深く感じさせられる経験だった。
 だが、「美しいものは外にある」という考え方もどこかで浮ついている。オーストラリアにいながら、日本にもたくさんある面白い地域やそこで行われている実践に思いを馳せていた。「ないものねだり」から「あるもの探しへ」という地元学の発想を使いながら、今後は日本の事例を探っていきたいとも思った。

始めに コープ / クレジットユニオン / LETSシステム / マレーニーを通して考えるコミュニティ

©GOTOH Akila 2003-

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