「パーマカルチャー」の多層性 BeGood Cafe Azumino vol.7 を通して 後藤 彰(GOTOH Akila) |
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「パーマカルチャー」
この単語を聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか? 髪の毛のパーマ? 何かの文化? 大抵の人がケゲンな顔をしたり、「えっ、何それ」と聞き返してくる。
僕自身も何やら自然と結び付いた農業ぐらいにしか考えていなかった。不用意に「パーマカルチャー」という単語を使ってもいた。内容はわかっていなかったのにも関わらず。
だが、「パーマカルチャー」という考え方には思った以上の深さと多層性がある。以下は、その「パーマカルチャー」を学びに長野県の安曇野で行われた
BeGood Cafe Azumino vol.7の記録と参加して考えたことである。 BeGood Caféとは東京や京都、大阪、静岡、そして安曇野で月に一度開かれる「非営利のオーガニック&コミュニティカフェ」だ。テーマは「素敵ないいことを始めよう」ということだ。2003年3月29日30日にかけて安曇野ヴァージョンが開催された。当日の様子や全体のプログラムは会場となった舎爐夢(シャロム)ヒュッテのウェブサイトを参照していただこう。
この小論では主に二つのことを論じる。第一に、当日になされた設楽清和氏(パーマカルチャー・センター・ジャパン事務局長)の講義に頼りながら、パーマカルチャーとは何かを提示する[1]。第二に、パーマカルチャーという発想が持つ現代的な意味について筆者がインスピレーションを受けた点について展開していきたい。これは、パーマカルチャーという発想が持つ深い含意とその多層性を提示することを意味する。同時に、現代社会における「文化=カルチャー」についての一つの見方を提示することでもある。
「パーマカルチャー」とは何か 「パーマカルチャー」という用語はpermanent と agriculture/culture という単語から成立している。つまり、「永続可能な」「農業/文化」という意味になる。当日配布された資料によれば、「パーマカルチャーというのは、人間にとっての恒久的持続可能な環境をつくり出すためのデザインの体系のことである。」パーマカルチャーは植物や動物、建物、エネルギー、水、コミュニケーション、あるいは生産基盤なども取り扱うという。「・・・・・・それらの要素をその場所の中にどのように配属するかによって、各要素間にどのような関係をつくり出せるかを扱うのである。その狙いは――生態学的に健全で、経済的にも成り立つ一つのシステムをつくり出すことであり、それぞれの要素にとっての必要がそこで満たされると同時に――搾取したり汚染したりすることのない仕組みであり、したがって長期にわたって持続しうるシステムである」[2]。このシステムがデザインされれば、人間は永続的に生を営んでいけることが出来るということだ。その意味で、パーマカルチャーは現代社会における新しいシステムへの一つの模索と言ってよいだろう。
「永続可能性?」 では、パーマカルチャーの根幹に位置づけられる、永続可能性とは何か?そもそも、そのような考え方が何故必要なのか?講義ではそれが必要とされる社会的な背景を考えていった。 人間が生きるのに不可欠なものの一つに「酸素 O2」を含む大気がある。地球温暖化の原因の一つとされるCO2は現在大気中に約0.03 %の濃度で存在しているという。人間が生存するのに許容できるCO2の濃度はどのぐらいか? 0.3% であるという。
CO2の排出量などを計算していくと、後何年で地球の大気中にあるCO2が0.3
%に到達すると思うか?つまり、計算上人間が生存できるのは後何年であるとされているか?設楽氏は参加者に問い掛ける。当てられた僕は、「えーっと、300年ぐらいですかねぇ。。。。」
正解は、なんと、約80年である。 80年後にはCO2は人間の生存を脅かす値にまで到達するとの予測が成り立つということだ。とても「永続可能」などとは言っていられない事態だ。では、約800万年生きてきたと言われる人類はどうするのか?パーマカルチャーはどう考えるのか?と設楽氏は問い掛ける。
CO2を吸収し、O2=酸素を提供する森を創造する。人間が生きられる森を創る。森を創造できる人間に成る。「世界を森で覆う。」これが、パーマカルチャーが考える永続可能性への道であるという。
具体的には植樹をしたり、森林を大切にするライフスタイルを構築したりということになる。だが、それだけではない。パーマカルチャーは一つの自然農法のスタイルであり、人々に百姓になることを勧める。では、百姓とは何か?それは、生きるのに必要で生活に関係する「百のもの」を創造する人間のことだという。食べ物。衣服。住居。エネルギーなどなど。それを自分で創り出すことが出来る存在を「百姓」と呼ぶという。さらに、設楽氏は現代社会の中では、百姓に甘んじずに「自分にしか出来ない独自なこと」に価値を付けて交換する「百一姓」という生き方が求められているのではないかと言う[3]。それは、社会を構成している一人ひとりの人間が、「社会にとって不可欠な存在に成る」ということも意味するという。いきなり百姓には成れないので、「一姓」づつゆっくり増やしていきたいといった反応も会場から出た。
パーマカルチャーの実践とは「世界を森で覆う」ことであり、そのために一人ひとりが「百一姓」と成ることへとつながっているということである。冒頭の定義を参照すれば、そのための「システムのデザイン」ということになる。 次に、当日の外でのワークショップなどから浮かび上がってきたより具体的なパーマカルチャーの実践を見ていこう。パーマカルチャーを構成する基本的な要素として「自然システム」「伝統的な知恵や文化」そして、「適正技術=科学技術」があるという。これらの要素を人間が「合理的」かつ「科学的」に操ることによって、自然から無限の生産性を引き出すことをパーマカルチャーは意図するという。 例えば、参加者が作業をしたパーマカルチャー・ガーデンの中に何故か「古タイヤ」がいくつも転がっている。何故か?古タイヤは太陽の光を集め、熱を保つことができる。それによって冬場でも土の温度を下げず、確実な収穫に結び付けることができるという。さらに、古タイヤを持ち上げれば土が台形に盛り上がっており、収穫も楽である。いろいろな仕掛けを説明しながら、設楽氏は問い掛ける「農作業で一番大変なのは何かだと思いますか?」それは、雑草取りであるという。雑草は何故生えるか?光と水があるからだ。では、光を遮断してしまおう。ということで、畑のあちこちに木屑や木片チップが敷かれている。これによって、雑草の育成を押さえることが出来る。なるほど、そう言われれば雑草は見当たらない。さらに、木屑は腐敗することによって良質の堆肥にも化けるという。このように、畑がデザインされているのである。
近代農業の畑は多くが単一作物を平面的=二次元的に栽培していくという。四角い畑に、一面ヴァーっと同じ作物を栽培する。他方で、パーマカルチャーは三次元的な、高さを利用した栽培を行なうという。草(例えば、ほうれん草など)、低木、亜高木、高木、ツタ、根菜類、コケ類などなど。果樹に果物や野菜のツルが絡まれば、生産性は増大する。また、昆虫や鳥などがその環境に入り込むことによって、時間的な幅も生まれるという。鳥が果物を食べに来てフンを落とす。それが、良い肥料になる。フンに種が混じっていれば、そこで芽を出す。そういった多重な関係性が生じるのだ[4]。パーマカルチャーはこのように重層的な空間と時間を合理的な計算によって上手く利用し、自然の恵みを最大限に享受するシステムをデザインすることを意図しているということだ[5]。 人間の営みによって永続可能性が脅かされる現代社会において、無限である自然の生産性を引き出すシステムをデザインする。それによって、「森」を創造することがパーマカルチャーの根本にある考え方だと理解して良いだろう。二日間のイベントで、設楽氏の講義と外での作業を通し、参加者にはパーマカルチャーの基本が理解されていった。
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近所で見つけたパーマカルチャーっぽいもの。 梅の木の根元に野菜屑(白菜など)が盛ってある。 |
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[1] パーマカルチャーについて一度話を聞いただけの私が説明するため不十分な点があることは確実である。より詳しく知りたい方はPCCJのHP(http://www.pccj.net/)やビル・モリソン/レニー・ミア・スレイ(1995)などを参照のこと。 [2]当日配付資料から引用。原典はビル・モリソン/レニー・M・スレイ(1995)である。 [3] この考え方は、地域通貨の発想に近いと考えられる。それぞれの人が自分に出来ることに価値を付け加えて循環させるということだ。地域通貨についてはゲゼル研究会のHP(http://www.grsj.org/)や、あべ/泉 (2000)が分かりやすい。 [4] システムの特性として「相関性」、「多重性」、「多様性」、「効率性」、「地域性」といったものが挙げられている。 [5] この点に関しては、自然から利用できるものは利用し尽くすという人間の傲慢な考えが見え隠れしている気がする。自然はあくまでも生産性を引き出す対象といった考え方は環境破壊を引き起こしてきた経済成長至上の考え方と通じるものがないか疑問である。
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© GOTOH Akila 2003