「パーマカルチャーの多層性」

上で簡単に説明されたことはパーマカルチャーのほんの一部分である。実際には、より深いレベルでの議論や実践が含まれている。設楽氏も沢山のことを講義で述べられた。それらを詳細に論じることはしないが、ここでは以上の議論を踏まえて違った角度からパーマカルチャーを捉えてみたい。あるいは、「パーマカルチャー的な発想」を少し引き伸ばして考えを巡らせてみる。その際に、permanentとculture という二つの考え方を少し違った角度から考える。それを通して、パーマカルチャー的な発想の現代的な意味と意義を掘り起こしてみたい。

 

「パーマカルチャーの拡大解釈」

パーマカルチャーのパーマはpermanent であった。Permanent は「永続的な」とか「永続可能性」といった形に置き換えられていたが、もう一つの意味を持っていると考えられる。それは、”permanently” というものごとのプロセスに関わる側面だ。つまり、「永続的に」とか「不断に」という意味だ。これは、自然が持つ一つのパターンとも親和性を持っている。

それは、螺旋 (spiral)である。

設楽氏は講義の中で次のような興味深い話をされた。「宇宙は螺旋を好むのです。身の回りにある螺旋を探してみましょうか。つむじ、渦潮、つた、台風、銀河、DNA。なると。などなど。」この話に私は大きなインスピレーションを受けた。螺旋とは、直線的・進化論的な世界観と輪廻的・円環的な世界観を足したものだということも読んだことがある。言葉を換えれば、目的合理的な直線的な世界観でもなく、堂々巡りにも成りかねない円環的な世界観でもないということだ。円環的なひねりを持ちながらも、前へ進んで行く。そういった、世界観だ。グルグル、ウネウネ。螺旋を登ったり、降ったり。そういった、プロセスをパーマカルチャー的なものの重要な一つの要素として捉えたい。
 

 近所と庭で見つけた
<螺旋>

次に、culture について考えてみよう。文化 (culture) を考える枠組みにはいくつかある。芸術作品などに現れる「アート」としての文化。集団に共有される意味体系や生活習慣としての文化。これらの枠組みが一般的なものだろう。「日本文化」と言った時には、日本の伝統芸能や若者の文化、そして日本に住む人々によって共有されている漠然とした価値観や雰囲気と言ったものを指すことが一般的だと思われる。

パーマカルチャーのcultureを考える際に注目したいのは別の枠組みだ。それは、「意味を創り出すプロセス」として文化を捉えるということである。形があるわけでもなく、所持されるものでもなく、文化を「意味を創り出していくプロセス」として考えるのだ (Bocock, 1995: 153-154; トムリンソン、2000: 41-42)。トムリンソンは文化の意味次元について次のように語っている。「……その力点は、単なる道具的な意味とは区別された、それ自体が目的となっているような意味の上に置かれている。少し気取った言い回しをするなら、我々は、この意味で文化を、「実存的に重要な」意味の領域として考えることができるかもしれない」(トムリンソン、2000: 43)。「実存的に重要な意味の領域」というのは、つまり「それぞれの人間が如何に生きるか?」という意味の領域ということである。文化とは、人々が「如何に生きるか」ということに関する意味を産出するプロセスとして捉えることも可能なのである。例えば、私たちは毎日何かの食材を買ったり、お店に行ったりして「食事」をしている。何かを食べている。この非常に日常的な行為のプロセスにも意味が入り込む。「安ければいい」あるいは「お腹が満たされればいい」といった意識から食事をするのと、「食材がどのように作られたかを考慮して食べたい」「どのような調理方法によって提供されているのかを知った上で食べたい」あるいは「お店の人とのコミュニケーションを大切にしながら食べたい」といった意識を基にして食事をするのとは大きな違いがあるはずだ。その違いは、「意味」あるいは「メッセージ」となって現れるだろう。わざわざ少々高いお金を払ってでも、オーガニック食材にこだわる、調理のされ方にこだわる、提供してくれる人との関係性にこだわる。ここに、意味を創り出すプロセスとしての文化がある。こう考えると、私たちは日常的な場面で意識的に無意識的に意味を創り出している文化的存在であるということが言える。このような文化 (culture) をパーマカルチャー的なものの二つ目の重要な要素とする。
 

このように考えると、螺旋的にグルグルウネウネと意味を創り出すプロセスということが「パーマカルチャー的なもの」の一つの理解として得られるだろう。それは、設楽氏が講義してくれた世界を森で覆い尽くすというパーマカルチャーの根底を流れる考え方であると思う。この意味で、パーマカルチャーという考え方も多層性を備えているのである。
 

「パーマカルチャー的なものの現代的な意味」

わざわざ「パーマカルチャー的なもの」という独自の考え方を提示するのは何故か?それは、今の社会に頑として存在するデザインを捉え直す必要があるからだ。現代社会のデザインのされ方は、速さ、効率性、科学性、生産性といった一直線の世界観に基づいたものが多い。この世界観は経済的なグローバリゼーションという現象に顕著に現れているだろう。例えば、ハンバーガーを1個59円という単価にまで切り下げる某社の経営は効率性とマニュアル化を推し進めた結果であるとされる[6]。あるいは、1日に約1兆5千億ドル (約180兆円) もの実態のない投機的なホットマネーが世界を駆け巡ることに現れている。このマネーの動きによって瞬時にして莫大な利益を挙げるヘッジファンド集団が存在する一方で、不安定な資金の流れは各国経済へダメージをもたらしもする。アルゼンチンやブラジルの経済破綻、アジア経済危機といった破壊と悲劇の一因はこういったマネーの動きにあると言われる[7]。では、このデザインが向かう先はどのような社会なのだろうか?この経済のグローバリゼーションを推し進める人々が言うように経済の活性化によって世界的に豊かさが増す社会なのだろうか?

残念ながらそうではないだろう。経済的なグローバリゼーションは世界的な豊かさを実現するとの話もある。しかしながら、現実的には一部の層が富を独占し多くの人々が貧困に陥るというシステム的な欠陥を持っていると言える。国連開発計画 (UNDP) による1999年のレポートは現代世界における不平等について次のようなデータを示している。世界で経済的な指標から見て最も豊かな20%の人間と最も貧しい20%の人間との格差比は1960年には30倍であったが、1990年には60倍となり、1997年には74倍へと拡大している。最も豊かな国々の20%の人間は世界のGDPの86%を持っているが、最貧の国々の20%の人々が持っているのは1%である。また、豊かな人々は輸出市場の82%を押さえ、直接投資の68%を受けているが、貧しい人々は両方ともに1%を押さえているだけであるということだ (UNDP, 1999: 2-3)。つまり、より豊かな社会を実現すると一部には信じられている今の社会のデザインは富める者はより豊かになり、貧しきものはより貧しくなるという結果をもたらしているのである。また、CO2の増加によって80年後には人類は死に絶える可能性もあることはすでに述べた。現在のデザインを支えている考え方や価値観では、社会が永続的でないばかりか破壊的な結果をも生みだすのである。

ここで、「パーマカルチャー的なもの」である螺旋構造の意味創造のプロセスが決定的に重要になる。世界的な不平等や格差の拡大、環境負荷などによって永続可能ではない社会のデザインを組み替えていく必要があるからだ。新しい社会のデザインを「パーマカルチャー的なもの」によって生み出していけないだろうか?

では、これからの社会をデザインしていく方向性はどんなものがあるのだろうか?もちろん、単一のデザインや解があるわけではない。様々なデザインの仕方が多様な主体によっていろいろな形で実践されている。その中でも私が注目したいのは、地域通貨やコミュニティ・ビジネス、社会的起業、NPOやNGO活動、フェア・トレード、コミュニティ・トレード、シェア・トレード、社会的責任投資、有機農業、そしてパーマカルチャー等々である[8]。これらの多様な実践の根っこには一つの緩やかな価値観や意味が含まれているように思われる。それは、「この社会の中で多様な存在がより善き生を享受するために一緒に生きていく」といったものであろう。これを、「共生」という手垢の付いた考え方で表現することも可能だ[9]。「共生」は諸個人による単なる「心掛け」に収斂してしまう可能性もある。だが、これらの具体的な実践は「勝つか負けるか」といった競争的・排他的・利己的な社会のデザインだけではなく、時代を共に生きる、分け与える、分有する、つながる、支え合うといった協同的・内包的・共有的な社会のデザインの仕方を模索していると考えてよいだろう[10]

このデザインの組み換え作業は、自分自身について、自分自身の生活態度について、自分と社会や世界との関わりについて、自分と他者との関係について、自分と自然との関係についてなどを「捉え返すこと」を求めるだろう。今までのデザインでは限界があるからだ。新しいデザインを模索するプロセスは、正に螺旋的な意味産出のプロセスになる。グルグルウネウネと悩みながら、様々な実践をしつつ、意味や価値観を生みだしていくパーマカルチャー的なプロセスとなるのである。そして、意味や価値観は日常的な場で生み出されるだろう[11]。新しいデザインは、日々の実践の中での「生きる態度 (life ethos)」に関係してくる。
 

何を何処でどのように食べるのか?

何をどのように着るのか?

何を何処で買うのか?買い物を通して、何に投資するのか?

何をどのように読むのか?

誰とどのように何を語るのか?どう世界や社会、自分自身を理解するのか?

誰とどのように接するのか?

あなたはどう生きるのか? 自分の生をどうデザインするのか?
 

生きる態度が生みだす意味にこだわった時に、それぞれの「人生はアート作品になる」(Foucault, 1984: 350)だろう。先に文化を意味創造のプロセスと定義し、人間を文化的な存在と定義したことを思い出していただきたい。「文化」「意味創造」「パーマカルチャー的なもの」「生きる態度」は螺旋的に絡まりあっている。自分が、今の社会に生きることをどう捉え、どう生きようとするのか?その自分自身のデザインは社会のデザインともつながっており、一人の人間が紡ぎ出す「意味」「価値観」となるはずだ。このように、パーマカルチャー的なものは自然農法の1アプローチを越えた多層性を持っているのである。

 BeGood AZUMINO vol.7 というイベントに参加し、空間と時間を共有し分有することによって私はこのように感じ考えた。

お土産にもらったソバの実を
プランターに捲きました。
ソバもやしがニョキニョキ。
味噌汁やサラダに入れて食べました。


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[6] この点に関しては、山下惣一編著 (2001)、辻(2001)、D・ラミス(2000)を参照のこと。

[7] この論点に関しては森野栄一「金融のグローバル化とオータナティブの視点」(http://www.grsj.org/colum/colum/global.html)が参考になる。また、ATTAC編 (2001)も参考になる。

[8] 個々の実践を詳しく述べることはしないが、次の文献やサイトが参考になる。地域通貨に関しては、ゲゼル研究会(http://www.grsj.org/index.html)で様々な論考やエッセイが公開されている。フェアトレードやシェアトレード、コミュニティトレードに関してはナマケモノ倶楽部(http://www.sloth.gr.jp/J-index.htm)やフェアトレード・カンパニー(http://www.peopletree.co.jp/)、第3世界ショップ(http://www.p-alt.co.jp/asante/)などが参考になる。また、アジア太平洋資料センター(http://www.parc-jp.org/)が出版しているニュースレター『オルタ』の2003年1月号が「フェアトレード 顔の見える民衆交易を」という特集を組んでいる。有機農業に関しては日本有機農業学会編(2001; 2002)が参考になる。

[9] 共生概念については小内(1999)による議論が参考になる。なお、効率などを重視するグローバリゼーションに対する対抗軸として辻(2001)は「スロー」という考え方を打ち出している。D・ラミス(2000)も参考になる。

[10] 共生やliving togetherに関する概念的な考察はPeter Askonas and Angus Stewart (2000) (eds)が参考になる。

[11] このあたりの考え方は田辺/多賀 (2002)などが参考になる。また、「買い物」という点に関して次のような実践も見られる。ピース・チョイス(http://www.3chan.net/~peacechoice/index.htmを参照のこと。
 



 参考文献

ATTAC編 (2001)『反グローバリゼーション民衆運動――アタックの挑戦』杉村昌昭訳 東京:つげ書房新社.

あべよりひろ/泉 留維 (2000)『だれでもわかる 地域通貨 未来をひらく希望のお金』東京:北斗出版.

小内 透 (1999)「共生概念の再検討と新たな視点――システム共生と生活共生――」『北海道大学教育学部紀要』79: 123-144.

田辺有輝/多賀俊二 (2002)「未来へのアースナビゲーション」pp.27-41国際青年環境NGO  A SEED JAPAN「リオマイナステン・キャンペーン」実行委員会編『ヨハネスブルグサミットのためのEarth Navigation』東京:A SEED JAPAN.

信一 (2001)『スロー・イズ・ビューティフル――遅さとしての文化』東京:平凡社.

森野栄一「金融のグローバル化とオータナティブの視点」

http://www.grsj.org/colum/colum/global.html

山下惣一編著 (2001)『安ければ、それでいいのか!?』東京:コモンズ.

日本有機農業学会編(2001)『有機農業 21世紀の課題と可能性』東京:コモンズ.

日本有機農業学会編 (2002)『有機農業 政策形成と教育の課題』東京:コモンズ.

トムリンソン、ジョン (2000)「グローバリゼーションと文化」pp.13-62 J. トムリンソン『グローバリゼーション—文化帝国主義を超えて』片岡 信訳 東京:青土社.

ラミス、ダグラス (2000)『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』東京:平凡社.

ビル・モリソン/レニー・ミア・スレイ(1995)『パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン』田口恒夫/小祝慶子訳東京: 農文協.

Bocock, Robert (1995) 'The Cultural Formations of Modern Society', pp.149-183 in S. Hall et al (eds) Modernity. Cambridge: Polity.

Foucault, Michel (1984) ‘On the Genealogy of Ethics: An Overview of Work in Progress’, pp.340-372 in Paul Rabinow (ed.) The Foucault Reader. New York: Pantheon.

Peter Askonas and Angus Stewart (2000) (eds) Social Inclusion――Possibilities and Tensions. New York: Palgrave.

UNDP (1999) ‘Globalization with a Human Face’, pp. 1-13 in UNDP Human Development Report. New York: United Nations Development Programme.


*この文章の初出はサドリアゼミ公式HPである。多少の修正をしてある。再録を快く承諾してくれたウェブ委員会に感謝します。
 

© GOTOH Akila 2003


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