2009年06月27日

自覚症状の無い疲れ


「後藤さん、2週間前に会った時から気になっていたのですが、相当お疲れですよね」
と、リフレクソロジー(足裏マッサージ)をする方に指摘された。

そんなはずはない、身体も快調だし、気分も良い。
食事も良いものを摂っている。

その方に言わせると「足のマッサージをした方が良い」と。

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半信半疑で、足をマッサージしてもらう。
「首が疲れていませんか?腰はどうですか?」
「うーん、血流が滞ってますねぇ」
「ほら、このゴリゴリしたものは、老廃物の蓄積ですよ。それが排出されていないんです」

確かに、「イテテテテ」と思う足裏の箇所もありながら、
何となく話しを聞いていた。

自分では健康体なつもりで、身体も良く動くし、食も良いと思っているんですけれどもねぇ。
と話すと
「自然食をやっている人の落とし穴ですよ。自覚症状の無い疲れというのは怖いですよ」と。

20分程度のリフレ施術を受けた。
驚くべきことに、その後30分ぐらいしてから、膝に疲れを感じ始める。
「なんかだるいなぁ」と思っていたが、どっと疲れが押し寄せて来た感じがしていた。

次の日はさらにひどいもので、会議中に眠りに落ちてしまう程。
蓄積された疲れが血流が良くなったことで一気に噴出して来たイメージ。
「好転反応ですよ」と言われる。

自覚症状の無い疲れ。
まだ、何となく受け入れ難い気持ちも持ちつつ、
「休む技術」というものも必要だな、としみじみ思う。

2009年01月24日

「スロービジネス見本市に出展!」


スロービジネスカンパニーが主催する大きなイベントがあります。
その名も「君を幸せにするビジネス スロービジネス見本市」

いのちを大切にする仕事、生き方、スロービジネスの構想者と実践者が
自分の想いやプランを発表します。
そのプランに、参加者の方々がおカネではなく、共感や感動を「投志」するというゲーム。
発表者のプランがどれだけ感動や共感を得られるか?社会的な大切さを感じてもらえるか?

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このスロービジネス見本市の裏方として企画を作っている途中から、
ムクムクと「あ~、僕も出展したいなぁ」という気持ちが募ってきました。
でも、全体統括を引き受けています。
裏方で他のSBS学生のプレゼンをサポートするのだ、と言い聞かせつつ。
でも、やっぱり出てみたい。

そんな気持ちが表に表れてしまったのか、企画会議中に「ゴトー君は出ないんだっけ?」という一言を逃さずキャッチ。
「実は、出たいんですよね!」ということで、話しがポンポンと進み、ゆっくり村も見本市に出展することに!
みなさん、ありがとうございます。

出展となると、あれこれ考え始め、何をどう伝えたものか?
ゆっくり村単体でスロービジネスが回っているわけではないのですが、
将来的な構想も含めて、ここは大いに夢を語ろう、と思っています。

出展者情報に書き込んだゆっくり村事業は以下。
1)自然農をベースとした農産物を加工品も含めて販売していく。
2)田畑や里山をフィールドとした体験型ワークショップの企画。田植え、稲刈り、竹筒でご飯を炊こう、炭焼き体験など。並行してカフェ・クリキンディが中心となりながらの食育カフェやスローカルチャーカフェの企画との連携。
3)今後展開していきたいことは、農、食、自然といったフィールドを活用しながら、自分自身と深く対話をしていくプログラムの開発。ゆっくり村に滞在することで人生の新たな視点が開けてくる、「自分の人生のコンセプトを発明する」ということがコンセプトとなる。
具体的にはシンプルでエレガントな暮らしの体験。自然農の畑を通じた大地とのコミュニケーション。お互い様で成り立つスロービジネス的な要素の学び。ボディワークなどを通した身体感覚から得られる学びと気付き。
4)並行して「手づくり」をコンセプトに、織りや染めの体験も企画していく。

この4本柱をゆっくり村として丁寧に進めていきたいな、と思っています。
特に、ゆっくり村を訪問することで新しい視点が開けてくる自分との対話。
身近にある自然や暮らしのあり方を活かして、面白い仕掛けが作れないものか?

こういう機会にゆっくり村としてやりたいことを整理すると、課題がたくさん見えてきます。
最近、ゆっくり村のメンバーも増えたので、協力しながらいろいろなことが展開できそうです。


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↑カフェスタッフと共に

今年は「整」という漢字が僕のテーマ。
ヤリタイコトを整えて、心身を整えて、ゆっくり村の基盤を整えて。。。

今年も多用な1年になりそうです。
部屋の散らかり具合も整えつつ、たのしんでいきたいと思っています。
東京近郊の方々は、ぜひ、3月8日に
ゆっくり村のスロービジネスを感じに会場にいらしてください♪

2009年01月13日

食べる 食べない

大分前のことだが、代替医療関連の事典の下訳をやったことがあった。
断食ということは、その時初めて知った。
まさか、自分が率先して断食をやるとは思いもしなかった。

それも、3年連続で大晦日と正月に。

2年間は断食道場に行ったのだが、今年は赤村の住居にて断食。

大晦日も正月もさしたる予定がなく、
放っておくと何か仕事を作ってしまいそうな雰囲気だった。
そんな時に友人から「断食すんなよ~」という何気ないメール。

「あ、そうか、断食すりゃぁ良いんだ」と背中を押された気がした。

そろそろ1年経つし、肌がガサガサしてきたし「断食をしたい」という気持ちはあった。
が、いざ、一人でやるとなるとナカナカ怖いものがある。

でも、やることもないし、良い機会だと思い、いろいろリサーチを始めた。
「断食が面白い」ということを知ったキッカケとなった人のブログを読んでいると
何となくやり方が分かった。
その人の方法は「座禅断食」というもの。
座禅を組みお経を唱えることと断食を並行してやるのだという。
座禅にも興味があったが、その方法ではどうやら下剤を掛けないらしい。

いざ、ということで、大晦日から断食開始となった。

「食べない」ということは、改めてとても能動的な行為だと思う。
食べないことを通じて、普段如何に「食べる」ということが
生活の中で大きな位置を占めているかを思い知る。

「食べない」という行為の中では、時間がゆったりと流れる。
時間の流れも「食べる」ことが中心ではなく、「食べない」ことが中心になる。

食べない行為と並行して、ひとり僕は本を読む。
普段あまり時間を取れず、放りっぱなしになっていた小説たち。

薪ストーブの横で、小説を読んではまどろむ。
幸福な時間。

自分と向き合い、思考を巡らせる。
1年の振り返りと1年の展望をしっかり考えようと思いつつ、
食べない中では思考も若干鈍るのか、あまり上手くはいかなかった。

念願の山篭りでもしているかのような気分だ。
暖を取る薪と水分補給用のびわ茶、ミネラル補給用の塩。
そして、たっぷりの時間と本。思索。

丸2日間食を断ち、3日目に重いからだで調理を始める。
昆布、煎り玄米、畑直送の大根をコトコト煮る。

さて、断食明けの食事だ。

リサーチした通りに、水をコップ2杯噛みながら丁寧に飲む。
その後に、ようやくフロフキ大根の煮汁を飲む。
煮汁には、梅干を2粒入れる。

一口飲んだ瞬間の味わいの深さ。
素材の味が暖かくからだとこころを包み込む。

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さっきまで痛かった頭、膝、腰。嘘のように力が全身にみなぎってくる。
「ああ、僕は食べものからエネルギーをもらっているんだ」と正に実感する瞬間。

煮汁の後は、フロフキ大根を味噌で食べる。
庭の畑直送の大根は生命力に溢れている。

暖かい大根と並行して、カブ、ニンジン、ダイコンなど
繊維質の多い野菜を生で食べる。
何よりも、味噌を付けると美味い。

1食目は、フロフキ大根と生野菜。
これを腹一杯食べると、胃腸が動き出してくる。

下剤を掛けたかのような胃腸のダンス。
繊維質が胃腸を洗い流してくれているかのような状態になる。

宿便とまではいかなかったが、胃腸のリセットが出来た。
その筋の話によると、3~4ヶ月経ったところでもう一度断食をすると、
更なる胃腸のリセットが可能になるらしい。

今回一人で実施できたことだし、
3ヶ月後ぐらいにもう一度やってみるかな、という気になっている。

初めから1人で断食をするというのはハードルが高い。
僕も2回経験しているベースがあって出来たこと。

軽い気持ちでお勧めはしない。
けれども、「食べない」というリアルな行為。
食べもののエネルギーが自分に満ち溢れてくるという感覚。
生きることと直結した、「食べない」「食べる」という行為への意識。
一度味わってみると、癖になっていくかもしれない。

2008年11月15日

11月22日 東京で小さなお話し会イベント@カフェスロー

9月末~10月頭まで行ってきた
南米エクアドル。

そこでであったこと、
見聞きしたことを報告する小さな会を開きます。

カフェスローという文化発信の場が会場。

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エクアドル・インタグツアー報告会
暮らしと森とフェアトレード
: .・*: .。: *: * 。.・*: .・*: .。: .・*: .。: *

08年9月に実施した
「~エクアドル・インタグコーヒー森への旅・2008~」の
報告会をカフェスロー(東京・国分寺)にて開きます。

大規模鉱山開発に反対して、
森の中でコーヒーを育てる選択をしたインタグの人々。
「鉱山開発やお金は要らない。私たちに必要なものは森や川だ!」
「本当の豊かさと幸せは既にここにある」

一杯のコーヒーの向こう側に広がる暮らし。
その豊かさ、厳しさ、たのしさとは?

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現地の様子を映像&写真を交えて報告します。
ぜひ、いろいろな「つながり」を感じに来てください。

★日時:11月22日(土曜日)
★時間:14:00~16:00
★場所:カフェスロー
http://www.cafeslow.com/

★参加費:500円(資料が付きます)
★MYカップをご持参ください♪

★生豆の手煎り焙煎の実演もします!
生のコーヒー豆が焙煎されて香りが出てくる。
煎りたてのコーヒーはどんな香り&味でしょう。

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★話し手:矢野宏和・後藤 彰(ウインドファーム・スタッフ)
★予約制ではありませんが、参加希望者は事前にご一報ください。
★お問合せ&参加希望
info(a)windfarm.co.jp
(a)は@に変えてください。

【報告会の中身】
○森の中でコーヒーを育てる森林農法とは何なのか?
○「お金や開発より森や川、そして家族」インタグの人々の営みの豊かさ。
○何故、10年間に渡りフェアトレードという
営みが継続してきたのか?
○そもそも、フェアトレードとは何なのか?

現地の最新情報や映像&写真を交えて、
コーヒーから広がる世界や暮らしの様子をお届けします。

参加者の方々とのざっくばらんな
おしゃべりも楽しみたいと考えています。

森の中で育ったコーヒーを飲みながら、
ゆったりとした時間を楽しみませんか?

【話し手プロフィール】
矢野宏和
ウインドファームで営業部長をしつつ、気まぐれな
カフェを作ろうと片田舎に移り住み、小さなログハウ
スを半年がかりでセルフビルド。

4年前から薪ストーブを使いはじめ、すっかり薪の
魅力に取り付かれ、現在はオール薪化住宅&非電化
住宅を構想中。(来年には着工予定)

日々の仕事(フェアトレード)、家事(家作り)、
育児を通して、本当のしあわせの在り処を探し続ける。

後藤 彰
2年弱の農村移動営業を経て、
福岡の片田舎=赤村にて半農半スロービジネス&
「ゆっくり村プロジェクト」を展開・模索中。
スロービジネスを広めること、シンプルな暮らしと自然農
が常に頭の中にある。
(ウインドファームスタッフ)

主催:ウインドファーム

森をまもり、森をつくる
森林農法のオーガニックコーヒー
焙煎したての美味しさをお届けします。


★「インタグコーヒー物語り」もぜひご覧ください


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2008年11月02日

エクアドルにいました

2週間ほど、エクアドルに行っていました。

「ん、オイラ地球の真裏で何してんだろ?」と不思議な気分になったり、
圧倒的ないのちのダイナミックさに感動したり、
深き森にてコケや濃厚な空気の存在感を思ったり。

とても充実した日々でした。

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記録がウインドファームのHPにアップされています。
「インタグツアー2008 報告」

↑テキストはワタクシャが書いています。

旅で感じたことも徐々に書き記していきたいのですがね。

2008年08月31日

今の世の中から「減らしたいもの」「増やしたいもの」

SBSというコミュニティがある。
スロービジネスを広めることを理念に学び、交流、実践を繰り広げる。
僕は、そのコミュニティの運営の仕事もしている。

そのSBSの中にE組というサークルがあり、そこで発表したテキスト。
今の世の中から「減らしたいもの」「増やしたいもの」を8つ上げるというタスク。

皆さんの減らしたいもの、増やしたいものは何ですか?


○減らしたいもの

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everyone thinks of changing the world,
but noone thinks of changing himself - Tolstoy.


○食品添加物
最近、化学調味料や食品添加物を摂取すると体調が悪くなったり、胸焼けする
ようになってしまいました。
賞味期限の改ざんで騒いでいますが、改ざんしても使える材料って、それだけ
添加物で使用できる時間を延ばしているだけなんじゃないか、何てことも思います。

○原子力発電所
気の遠くなるほど長い時間消滅しない放射性廃棄物を出すモノは要りません。
地域住民の生活や仕事を金で買うようなスタイルも減らしたいですね。

○GM食品
外食を避けられない時、目の前にある食品を見て考えてしまいます。このう
ち、どれだけのものがGM食品なんだろうって。一度GMの種になってしまった
ものは、取り返しがつかないことになります。「食品」ではなくて、いのちある
「食べもの」を。

○農薬・化学肥料
化学合成された農薬や化学肥料。自然にはなかなか分解されません。そんなも
ので作った「食品」を身体に入れることは、ビニールやプラスティックを食べて
いるようなもの、といった話もあります。
農薬も化学肥料も使わなくても、野菜は偉いのでそこそこ育ちます。

○すぐゴミになるような製品
僕は100円ショップで買い物をしたことがありません。すぐにゴミになるよう
な100円のものなど、興味がありません。「安いから」という理由で買い物をす
ることもほとんどなくなりました。人間だけが自然界に分解・吸収できないゴミ
を放出しています。なるべく、減らしたいですね。

○お金が一番大切、という意識
お金は便利ですが、最後に持っていても食べられませんし、価値が崩壊したら
たんなる紙切れです。人間のステータスをお金の量で計ることは簡単です。
ゲームのスコアのようなもの。でも、そんなものは虚構だと思います。

○愚痴や不平不満
人間、70%が水でできているそうです。水に否定的な言葉や感情を込めると腐
るのが早かったり、結晶化させたときに、醜い結晶構造になるそうです。自戒も
込めて、愚痴や不平不満、減らしたいですね。

○マネーゲーム
ワンクリックで巨額の利ざやを稼ぐようなマネーゲーム。地道に働いている
人、丁寧にものづくりをしている人をないがしろにして、お金で遊ぶというこ
と。その規模と破壊性。人々の生活や人生、いのちをそんなものに巻き込まない
で欲しいものです。


◇増やしたいもの

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◇自然への畏敬の念、感謝の念
自然がなければ人間を含む動植物は生きていけません。自然への畏敬の念、感
謝の念、想像力、そういったものをもっと増やしていきたいですね。

◇本物の食べもの
工業製品的に作られる「食品」ではなくて、自然の恵みを味わい、いのちをつ
なぐ本物の「食べもの」。質の良い・昔ながらの調味料や無農薬栽培された野菜
やお米。

◇半農半X・SB的な生き方
各自ができるところから、できる範囲で半農半X・SB(スロービジネス)的
な生き方をしていけると良いですね。いのちをつなぐ、食べものを育てる。こ
れ、生きるということの基本だと感じます。

◇食から始まり、健康、自然、地球につながる意識
いのちをつなぐ食、それを取り巻く自然、地球、社会の格差構造などなど、い
ろいろなものがつながっています。食を発端にして、こういったことを諸々感じ
考えられる意識を広げていきたいですね。

◇自分と向き合う時間的ゆとり
瞑想したり、散歩したり、じっくり対話したり、考え事をしたり。自分と向き
合いチューニングをし直す時間的ゆとり。もっと世の中にあって良いと思います。

◇スロービジネスの世界
スロービジネスをする人、それで食っていく人、スロービジネスをしている会
社に努める人、そういった流れを応援する人、労力や知恵、資金を出してくれる
人。スロービジネスに関わる多様性は、スロービジネスの豊かさにつながる。

◇足るを知る感覚
「これで充分」という感覚。むさぼらず、欲張らず。難しいですけど、シンプ
ルに生きたいものです。

◇手づくりの歓び
手づくりすることは愉しい、という実感。「買うのは最後。まずは、自分で
やってみる」という姿勢。

以上

2008年07月26日

おカネと仕事とその先と


ウインドファームというフェアトレード・コーヒー会社のスタッフである僕は、
週に一度は本社で勤務する。

今は、社用車が無いため、途中駅で同僚のYさんに車でピックアップしてもらう。
社中での彼との対話はいつも刺激と発見と驚きと笑いに満ちている。

「あのさぁ、お金のない世界になったとしたらさぁ。ごとー君は何する?今の仕事続ける?」
彼との対話は大抵、唐突な問い掛けから始まる。

お金のない世界では、仕事の対価は報酬ではない。仕事は社会への奉仕のためにある。
「百姓仕事をするかなぁ。自給自足が出来れば無敵ですからねぇ」
「うーむ、コーヒーの仕事も求められればするかなぁ」
スロービジネススクールの仕事は必要性があるかもねぇ」
何て、アレコレ考えながら話をする。
で、結論。
「まぁ、対価が報酬だろうが、社会への奉仕だろうが、あんまり関係なさそうだなぁ。
強いて言えば、あきらごとうを生き抜くことかなぁ」と。

「相変わらず、君は僕の質問にそっけない答えばっかりするよねぇ。
パートナーのKさんもそうなんよねぇ。
『ふーん、別に今と変わらない暮らしをするけどね』だってさぁ。」
と、ちょっと不満そうである。

話しながら分かったことは、「ああ、僕はお金のために働いているという感覚は持っていない」ということ。これに関しては、結局Yさんもそうだ。

前職の書籍営業農家回りの時も、カネのためという感覚は無かった。
そんな風に思えること自体が幸せなのだろうか?
多分、そうだろう。

でも、カネなんて、いつ何時紙切れ以外の何物でもなくなるか分からんよ。
お金は食べられないしさ。

仕事をしてそれなりに現金が回ってきて、生活が回る。
田舎に暮らし、田畑に働きかけ、恵みを享受し、
不要なものはなるべく家におかず、
身近にある資源を活用して暮らす。
生活基本コストは相当低い。
「これで充分」という感覚も意識的に大切にしている。

そんな暮らしをしていたら、「必要なものって案外少ないなぁ」としみじみ思う。
不要なものをトコトン削ぎ落としていったら、どうなるのだろう?
ふと、そんな思考が降ってくる。

生きること
いのちの在り方
実は、とてもシンプル極まりないことなのではないか。
そんなことを、時々ふと思う。

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田んぼの畦草を刈り払った後で、汗だく。
軽くサッカーでもした気分。

ゆっくりと暮れていく西の空の夕焼けとモクモクと立ち上がる雲を見ながら、
「ふふふ、きれいだなぁ」とこころ踊っている。
「これで充分」

2008年07月24日

お金以外のモノサシ

今の社会は「お金」が大きなモノサシになっている。
行動、考え方、人との関係、仕事、などなど。
いろいろな物事を「お金」というモノサシで計る。
そして、人は判断しているようだ。

「お金のいらない国」を読んでいると、そのモノサシがない社会に
想像力を刺激される。
お金というモノサシが無かった場合、人は何をモノサシにするのだろうか?

よく「お金中心ではない考え方」「利益追求ではない仕事」
「カネを追い求めない」といったフレーズを聞く。
その感覚には大いに共感する。

けれども、その先に何を見るかが大切だと思う。
上記のフレーズではお金を批判的に見ているけれども、
別のモノサシまでは提示できていない。

で、結局は何を大切にするの?というところ。

これが案外難しい。

「安心感」
「穏やかさ」
「美しさ」
「たのしさ」
「こころの平和」
「お互い様で笑って暮らせること」
「地球として持続可能であること」

僕の中で思いつくものを羅列すると上記のようになる。

全てが数値化できないもの。
モノサシ=スケールにはなり得ないのかな?

お金のいらない国では、仕事は「社会への奉仕」ということになる。
お金のモノサシはない。

この「社会」あるいは「より良い社会」への共通認識がある程度なければ、
はやり、個々人は好き勝手に振舞うだろう。

お金が無くても「たくさんのモノを所有したい」
「手間隙を省いて快適な生活をしたい」といった
欲望には歯止めがないかもしれない。

快適さが欲しい⇒オール電化⇒原発増設
たくさんのモノが欲しい⇒大量生産大量廃棄⇒環境破壊
なんてことにもなりかねない。

そんなことを考えていると、
「これで充分」という感覚
「未来世代や未来の地球のこと」も考えられる感性
広い視野で「より良い社会」を思考する力

お金というモノサシを取っ払った時、そういったものが大切な気がしてくる。

最近の異常な暑さ
原油の高騰
生き辛さ感覚の社会への蔓延
そんなことを見聞きしながら

シンプルな暮らしのあり方、いのちのあり方を考え
実践してみたいと思う。
「これで充分」とつぶやきながら。

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庭のトマトが赤く熟すにはまだ一時の時間が必要なようだ。

2008年07月06日

お金がなかったら?

「お金」
なかったらどうしますか?

途方に暮れる?
食っていけない?
不安になる?

お金というものが存在しない国があるんです。
本の中ですが。

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長島龍人(2003)『お金のいらない国』地球村出版

ある男が迷い込んだ世界にはお金というものがそもそも存在しない。
「お金が存在しない」ということを軸に世の中を考えてみるととても面白いことが伝わってくる。

この本を読んでいて思ったことは、
「食うためには仕方がない。現実は厳しいんだ」とつぶやいて嫌々やるような類の仕事が存在しなくなるのかな、ということだ。

お金のいらない国では、仕事は報酬のため、つまりお金のためにするのではない。
もちろん、名声や権力のためでもない。
では、何のためなのか?

お金のいらない国の紳士は言う
「多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと皆が思っているうちは、あなたの国の、真の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかに歪みが生じてきます。自分の行なった仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです」
・・・・・・
「あなたの今やっている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断する、簡単な方法をお教えしましょう。仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです」(pp.37-38)

ちょっと具体的に考えてみよう。
例えば、不自然な食品添加物を世に送り出すこと。
いつの間にか世の中に蔓延していて、日本人は年間平均して4キロの食品添加物を摂取しているとの話もある。
例えば、コンビニの弁当やオニギリには数10種もの添加物が入ることもあるそうだ。
そういったものを複合して摂取していることと、ガンの増加、キレる子ども、アトピー・アレルギー増加の関係も疑われる。

「簡単、便利、きれい、安い」ということを求める消費者がいてこそ添加物はなくならないとの話もある。
食品添加物があってこそ、マガイモノの食品が世に出回る。

賞味期限改ざんで大騒ぎしていたが、そもそも改ざんしても使い回せる=腐らないということや、
添加物まみれの食品のソモソモの安全性に疑問を持った方が良いのではないかと思ってしまう。
そして、大手食品会社は資本を持っているので、舌を麻痺させる化学調味料だろうが、美味しくないインスタントコーヒーだろうが、広告の力で売りまくる。

「自分の子どもには食べさせたくない」ような食品を開発する仕事、そんな食品を売る仕事、広告する仕事。
そういったことが原因で病気になった人を診察・治療する仕事。
「お金」を価値軸にして考えれば、GNPはドンドン上がるし良いことになる。
もちろん、そういった仕事にやりがいや生き甲斐を感じている人もいるだろう。
他方で、「食っていくためには」と仕方なしにやっている人もいるだろう。

後者の場合、お金のいらない国では、仕事としては存在意義が薄い。
淘汰されていくはずだ。
嫌々やっているのであれば、報酬がもらえないのに続ける意味がない。
社会の役に立っているという前向きな実感を持てなければ、その仕事は成立しないことになる。

多くの人が食べて「美味しい」と思い「健康になれる」と感じられる質の良い野菜や食品がもっともっと流通することになるかもしれない。
わざわざ、海外から季節はずれのものをエネルギーを使って運んでくるようなこともなくなるかもしれない。

ただ、お金がなければの話だ。

2008年06月19日

通訳ヒサビサ

「ごとーさん良くもまぁ、翻訳家やらかなりのレベルの通訳ができる人を前にして、堂々と通訳こなせますよねぇ。すごい心臓ですよねぇ」
なんて、コメントをもらう。

先日、博多にて「森の哲人 カルロス・ソリージャさん講演&対談」というイベントを組んだ。
当初、ウインドファームのスタッフの井上さんか僕が通訳をするという話になっていた。
僕はここ最近、普段英語を使う機会がほとんどないので、不安。
けれども、こういった機会にでも英語に触れておかないと脳みそが退化する気もしていてチャレンジはしたかった。
井上さんはスペイン語がかなり堪能。ソリージャさんは英語もスペイン語も両方OK。

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07年10月にエクアドルを訪問した際にソリージャ亭にて

「ま、様子を見ながらどちらがやるか決めましょう」という形になっていた。
余りに英語脳みその活性化が間に合わなかったので、1週間前に井上さんに相談すると
「いやいや、僕も事前の準備が間に合わないから、ここ最近、ソリージャのテキストやエクアドル・インタグの状態を読んでいる後藤さんがメインでやった方が良いですよ。僕は、対談の部分で日本語をソリージャさんに訳しますから」と。
「まじっすか!?」ということで、腹をくくることに。

さて、しかしながらどうしたものか?
そうだ、と思い、東京で行われる同様のイベント音源を送ってもらうことに。
以前、ブータンからゲストのジグメさんが来た時に、通訳を担当したのだが、直前に別の講演音源を聞いておいてすごく助かったのを思い出した。

ナマケモノ倶楽部の事務局の方が協力してくれて、東京と神奈川でイベントがあった翌日にメールで音源を送ってくれた。

それを、イベント1日前に聞き、特殊な言い回し、講演の内容やネタなどを頭にインプットする。
そんな準備をして、当日。

ソリージャさんと中村さんと一緒に昼食を取る。
ソリージャ氏「ビール!」と。
「ヴぇ?ビール???」
しかし、あまりに自然にオーダーしているからか、一緒にいた中村さんも「おし、飲むか」と。
「僕も!」と思いつつ、いやいや、通訳に支障が出たらしゃれにならんから、と必死にガマン。

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焙煎工場にて焙煎実演の様子。ソリージャ氏、中村氏、コーヒーのこととなると眼つきが変わる。

で、本番。
事前に聞いていた音源では、ソリージャさんはスライドを見せながら話をするスタイル。
でも、この日は中村さんがゲスト紹介の際にいくつかスライドを見せていた。
というわけで、この日はソリージャさんスライドを使わずにガンガントークを展開する。

「げっ、いつもと違う展開じゃん」と思いつつ、
眼つきが悪くなるほどの集中力を頭脳に回して通訳。

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ソリージャさんも話が乗ると、途中で止めずに話しきる。
「ほっほっほ、通訳がちょっと大変かな」とか言いながら。。。
後で聞いた話だと、「話にはリズムがあるから、なかなか途中で切れない時もあるんだ。悪いねぇ」と。

しかし、自分でも驚くほどの集中力。ヒサビサに頭脳フル回転。
一番良かったのは事前に音源を聞いていたこと。
これに尽きます。
スタイルは違えども、話の本質は一緒。ネタも一緒のところも多々ある。
自分の頭の中で要素をつなげながら、日本語にしていく。
しゃべりながら、どの日本語にしたら伝わり易いのか?ということを意識している。
けれども、自分の考えよりも先に先に言葉が出てくる。
さらに、ソリージャさんがしゃべっている以外のことも「これを付け加えた方が分かり易いだろう」と勝手に付け加えたり。

すっ飛ばした箇所もあるだろうし、勘違いして訳している箇所もあるでしょう。
でも、おおむね通じたようです。
翻訳を仕事としている人から「あれだけ自然体で通訳できるのって良いね」なんてコメントももらいました。

そして、イベント後、あるスタッフに冒頭の言葉を言われたのです。
別の人に「通訳は良くやるんですか?」と聞かれました。
イベントなどの公の場で通訳するのは、考えてみると、3回目。
事前に音源を聞いておかなかったら、と考えるとぞっとしますが、良い経験でした。

まだまだ、英語の頭脳は死していないようです。
でも、日ごろから活性化しとかないとですね。