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2005年10月 アーカイブ

2005年10月03日

リンゴを赤くする!(秋田県平鹿町)

米とリンゴ処の平鹿町を回っていました。

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どれだけ収量と質を高めるか。如何にお日様がリンゴに当たるようにするか。そこから、枝の切り方や伸ばし方、樹のつくり方を工夫していく。30年40年かけて樹を作り、リンゴを作る。これはもうアート。


収穫作業に追われるリンゴ屋さんともたくさん話しました。
リンゴは放っておいても赤くならないんですね。農家が赤くしているんです。
例えば、「葉摘み」という作業がある。リンゴに太陽光がしっかり当たるようにリンゴの樹の葉をちぎっていきます。朝からとにかくリンゴの葉を取る。エラク地味な作業です。
あるいは、「玉回し」。樹に成っているリンゴを少しねじります。するとリンゴに直射日光がまんべんなく当たるようになるんです。一個一個ひねっていく。これまた、エラク地味な作業です。
リンゴ畑を歩いていると、銀色のシートが地面に貼られているところを良く見ました。何かと思ったら、銀のシートに太陽光を反射させて直射日光量を高めているんです。「シルバーマルチ」と言います。
こうやって、リンゴは赤くされているんですね。
こういった農家の地味な作業によって、真っ赤な美味しいリンゴがあなたの手元に届きます。

でも、実は「真っ赤な美味しいリンゴ」というのは、真っ赤な嘘とまでは言いませんが、どこかで幻想なのです。
例えば、シルバーマルチをして色を乗せても、味は乗ってこないんです。中が熟する前に、外見が良くなるだけなんですね。ある農家は「うちはシルバーマルチを持っていないよ。リンゴの尻を見て農家はリンゴの熟度を確認するんだ。人工的に光を当てて赤くしてしまうと、どれだけ熟れているか分からなくなるんだ。美味しいものを届けようと思ったら、あまり必要のないことなのだと思う。けれども、消費者や市場は真っ赤なリンゴを欲しがるからねぇ。」

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あるいは、葉摘み。葉摘みをしない「葉とらず」という作り方もあります。あまりムリして葉摘みをしない。すると、色は乗ってこないが、たくさんの葉っぱが光合成をしてくれるから、味は断然良いのだそうです。生協や大手スーパーと契約して「葉とらずリンゴ」を栽培している農家もたくさんいました。
美味いリンゴはなぜ美味いか、赤いリンゴはなぜ赤いか。想像して下さい。そして、味わって下さい。リンゴ、今が旬です。

2005年10月11日

転作で雑穀(秋田県平鹿町)

減反・転作という言葉を聴いたことがあるだろうか。簡単に言えば、「田んぼで米を作るな」ということだ。言うことを聞かないと、農協を通して米の出荷が出来なくなる。じゃあ何を作るのか?全国の農家がいろいろ試行錯誤をしている。秋田県平鹿町を回っていた時に、転作作物として雑穀の作付けを増やしている現場に出くわした。

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水田地帯に突如現れる真っ赤なアマランサス。神々しささえ漂う。

平鹿町では岐阜パールライスと契約栽培をしている。無農薬で栽培し、生産されたものは岐阜パールが買い取るという方式だ。販売はパールライスがする。田んぼよりも手間が掛からず、1反当たりの収入もそれほど米と変わらない。「まあ、まだまだ技術が確立されたわけではないから分からないけれども、手間が掛からないから良いと思う。薬を使えないから、雑草との闘いだね。ま、薬代もかからんし、コストも下げられるけどね。しかし何といっても収穫がタイヘンだね。コンバインも雑穀専用なんてないからさ、稲用で刈り取るとロスが多くて、ボロボロと落ちてしまうんだ。手で刈り取っている人もいるけどさ。広い面積だとやってられないぜ」と農家。アマランサス、モチキビ、ヒエ、モチアワ、ゴマなどが作付けされていた。雑穀は5月末に播種して10月には収穫する。5ヶ月の栽培期間。

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農協へ委託してコンバインで刈り取る。ロスが多いと言われているが、手でやるよりも断然早い。

僕は、東京の「つぶつぶカフェ」で友人が働いていることを思い浮かべながら、「東京でも雑穀が流行っているようですよ」と話をする。60代以上の人にしてみれば、雑穀は貧しさの象徴でもある。米が食えない時に、麦飯やヒエご飯などを食べてしのいだ。その時のヒモジイ思い出があるからか、雑穀を積極的に食べるという発想がなかなか受け入れられない人も多いとか。雑穀栽培歴3年の農家75歳に聞いてみる。「オトーさんたちも雑穀食べるんですか?」その農家は苦笑いをしながら、「いやぁ、米に混ぜて食べると良いとは聞いているけど、食ったことない。ガハハハハ!こっちでは、フツーにその辺で出来る野菜を食ってれば健康に気を使う必要もないしな!!」
岐阜パールライスでも、雑穀の消費拡大のために料理コンテストを開催している。平鹿の農家もさまざまなアイディアを提供しているとのこと。健康と美味しさの両面から雑穀が見直され始めている。先日、名古屋で寄った「空色勾玉」でも雑穀料理を出している。そういえば、実家の冷蔵庫にもいろいろな雑穀が入っている。一時期は雑穀がご飯に混ざっていない日はなかった。日常職の中に雑穀が取り入れられて消費が拡大していけば、「米を作るな」と言われる農家も雑穀を作って稼いでいけるかもしれない。健康と美味しさと農家の生活とが上手な好循環で結ばれるかもしれない。

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アマランサスの出荷準備。脱穀したものをふるいに掛けて選別する。「時間までに持ってかなきゃだかんね。忙しいよ」と相手にしてくれない。

2005年10月21日

食育と食農教育

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福井県高浜町 若狭の海は本当に素敵だった

最近、「食育」という単語を聞くことが多くなってきた。食育基本法なるものも成立した。各市町村で「食育推進協議会」を設置して、食育をどのように勧めていくか考える動きも出てくることになる。ただ、食育の考え方とソフトをしっかり捉えておかないと付け焼刃のものとなってしまう。
食育には「お皿の上で終わるもの」と「お皿の外へと拡がっていくもの」があるように思う。お皿の上で終わるのは、「栄養バランスを考えてキッチリ食べましょう。それが成人病の予防になります」とか「3食しっかり食べて、元気に毎日過ごしましょう」といった食育。食を要素にバラして、栄養や健康機能性を中心に考える。話はお皿の外へはほとんど出ない。他方で、食を見る眼をお皿の外へと拡げていくと生産の現場である農が見えてくる。日々食べるものがどういった営みの中から生まれてくるのか、そこにどういった歓びや愉しさがあり、苦労があるのかといったことを学ぼうとする姿勢がそこにはある。話はお皿の外へと溢れ出す。その学びは抽象的な数字や要素ではなく、作物を栽培する生身の人間である百姓、その地域の食文化や気候風土といった地域性が大いに関係してくる。こういった食育の流れを「食農教育」と呼んで区別もできる。
僕は今、後者の食農教育と呼べる実践が盛んな福井県にいます。

2005年10月23日

食改母ちゃんパワーと食農教育 福井県丸岡町

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あまり、関係がないですが、うちの朝ごはん。

福井県坂井郡丸岡町を回っています。前回「食育と食農教育」について書きましたが、後者の食農教育の実践の良い例が丸岡町にあります。食生活改善推進協議会、通称食改の母ちゃんたちの動きです。簡単に言ってしまえば、食のボランティア集団。一般的には健康に良い料理の提唱や地域の公民館での料理教室などをやります。往々にして、「お皿の上で終わる食育」止まりが食改の活動では多い感じがします。ただ最近は食育の社会的な流れに乗って多様な動きも生じているようです。その一例が「キッズキッチン」の実践です。
丸岡町には25名の食改さんがいます。農家の母ちゃんから保育園の副園長、お店屋さんから専業主婦まで多様な人たちが参加している。そして、ひとつの活動の柱がキッズキッチンです。これまでは、小学校に出向いていって料理教室をしていたのですが今年から幼稚園・保育園でも料理教室を実践しています。3歳~5歳ぐらいの子どもに包丁を持たせて料理をさせるのです。今のところやっているのは、透明のナベでご飯を炊き豆腐入りの味噌汁を作るということだそうです。ご飯がどのように炊けるのか?を透明のナベで可視化する。ぐつぐつ煮える様子を見て「わぁ~シャボン玉が出来てきたよ」などの子どもならではの表現も飛び出すとか。豆腐は手のひらに乗せて「ストン」と切ります。子どもはすごい集中力を発揮して真剣に豆腐と向かい合うそうです。
このように幼児にも包丁を持たせることは、坂本廣子さんという料理研究家が提唱し始めたことのようです。幼児のうちに「五感をフルに活用して物事を成し遂げるというホンモノを体験させることが大切であり、それは料理を通して出来る」ということ。ホンモノを体験し、「出来た!」という達成感の中で子どもは自尊感情を育んでいくということなのです。まさに、食からお皿の外へと拡がる食農教育の実践なのです。
さらに、単に料理をするというのではなく、素材を考えたり、地元の農家と交流したり、地域に伝わる伝統食を作ったりなどいろいろな要素を組み合わせていくと、食・農・地域が有機的につながってくるわけです。透明のナベで炊くお米は近所のジイちゃんが作ったものだったり、豆腐はどこそこの豆腐屋さんが県内産の大豆で作っているものだ、などなどさまざまな物語が付随してくるはずなのです。
面白いのは、キッズキッチンの波及効果です。コンビニ世代の親に向って「しっかり朝ごはんを作ってあげてね」とか「レトルト食品やファストフードばかりじゃダメよ」なんて言っても馬の耳に念仏状態です。そういった文化で育ってしまった大人たちを変えるのはそう簡単ではないのです。でも、子どもがホンモノの食に出会い、味噌汁は出汁から作った方が美味しいといったことを五感で感じ取り親に向ってそのことを発信し出すと状況は変わるらしいのです。「お母さん、お味噌汁は昆布とカツオの出汁から作った方が美味しいんだよ」「インスタントの食べものはやっぱり美味しくないねぇ。幼稚園で食べたやつの方が美味しかったなぁ」などなどといったことを言われると親も否が応でも変化してくるようです。食農教育を通して子どもを変えることで親の世代も変わっていく。丸岡の食改さんたちは、こういった変化を愉しみながら忙しい中でキッズキッチンや高齢者のための料理教室などに駆け回っています。
こういった動きがあるところには、必ず「素敵な人」がいます。結局最後は「人」なんだ、とさまざまな場所を移動遊牧していて良く思わされます。

2005年10月30日

ゲンデン 福井県

福井、小浜、敦賀、美浜と聞いて真っ先に連想したのが原子力発電所だった。原発。そんなところを回るのかぁ、と正直暗い気持ちになっていた。いざ入ってみると、無意味に広い道路、過度に立派な駅舎や公民館、200メートルおきにある公衆トイレ、乱立する公共施設、とハコモノ公共事業の賜物がたくさんあった。原発マネーだろう。バイアスがかった眼で見るからだろうけれども、夜のバイパスは無意味に明るく感じる。敦賀で世話になった宿のおばちゃんは「敦賀はオイシイ思いをしてきたけど、いつまで続くかねぇ。そのうち宮崎駿が描いた廃墟のような世界になるよ。おっかないねぇ」と言っていた。あるお店の主人は「放射能さえなければ原発は良いものだけどね。どうしたって、放射能があるから容認できないよね」と言っていた。

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敦賀市は原発の見本市といわれる。4基が稼動しており、4基とも別々のタイプらしい。

いろいろな人と話していて思ったのは、生活の隅々にまで原発マネー・原発経済が入り込んでいるということだ。店の主人が次のように言っていた。「ここでは、町内会でどこかに行く時でさえ「原電にちょっと頼んでみよかぁ」となる。そうすると、予算が増えるんですよ。修学旅行や社会科見学の際に原発関連PR施設に寄るプログラムを組めばバス代が無料になったりするわけです。そこで「原発は安全安心です」と一方的に説得されるんですよ。難しいことは分からなくても、「あんな専門家が大丈夫っていっているから、安全なんだね」となっていく。一人二人が「いや、危険なはずだ」と言っても無視しておけば良い。他県からの修学旅行で賛成派と反対派に分かれてディベートをしながら関連施設を見るプログラムを組むところはあるけれども、福井県内ではほとんどないですね。一方的に説得されるんですよ」と。
原発があることで、地域の経済は確かに潤っている。定期検査などがあれば、大量の労働者が街にやってくる。民宿には客が入り、飲食店も客を確保でき、夜の街も賑わう。地域で何かイベントをやる時には企業寄付がドスンと落ちてくる。建物を建てるときもそうだ。電力関連会社から金が降って沸いてくる。「アチラは金を持ってますからね」と店主。原発を中心にして経済的な循環が成立してしまい、それに立脚した生活が成立してしまっている。根深く、複雑だ。

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ところかしこにゲンデン関連の建物がある。「原子力緊急時支援・研修センター」
↑何をするところなのか、名前からは想像がつかない。。。

だが、原発やリゾート、巨大公共事業なんかに依存しなくても良いのだったら、依存しない方が良いだろう。持続可能性という視点から考えてもそう言える。放射線廃棄物を管理する確実な技術など確立されていないのだから。西表島でセンスのないリゾートホテルを見た時にも同じ気持ちがした。怖いのは「受け取る」という姿勢が染み付いてしまうことだ。カネは「向こう」からやって来る、降って沸いてくるものだという思考のモードになってしまうことだ。そうすると、自分たちで自発的に何かことを起こしていこうだとか、変化を生み出していこうといった自律性や主体性が奪われていく。「仕方がない」「現実は厳しいんだ」「食ってくためにはやむをえない」などなどとつぶやきながら状況を受け入れる。
日本全国いろいろ見てきたが、確かに現実は厳しい中でも批判のための批判や文句・愚痴に終わらずに「じゃあどうにかしようか」「それならこうしてみよう」と新しい仕組みを作り上げていく人びともいる。もちろん、様々な限界の中でもがきながら。直売所や地産地消レストランなどはそういった動きの一例となり得る。そこから、相対的に自律した小さな地域の経済圏の領域が少しづつ拡がっていくだろう。

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若狭の海は本当に豊かだ。その資源をもっと活用できないものか、と思ってしまう。
外に依存する「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」を

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