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2005年11月 アーカイブ

2005年11月03日

山が荒れケモノが出る 福井県高浜町

福井県の山間部を回っていた時のこと、畑は網や電気柵で囲われている場所ばかりでした。百姓が丹精込めて作った野菜もイネもイノシシ、サル、シカ、ムジナ、カラスなどの鳥獣が食べてしまうのです。「あいつらは一番美味い時を知っているんだ。明日収穫しようと思っていると、まさにその早朝に入ってきて食べるんだよね。まったく憎たらしい」と。鳥獣害はなかなか深刻です。あまりにひどいと「何のために作っているのか分からない。サルのエサを作っているようなものだ」といった感覚になってきて、生産意欲が失われてしまうのです。そのぐらい害がヒドイ。「小豆を全部やられた」とか「サツマイモをほじくり返された」とかいろいろな被害話を聞かされます。イノシシは畑を囲っているトタンを倒して入ってくるとか、サルが電気柵に竹を引っ掛けて感電しないようにして入ってくるとかそんな話も聞かされます。普段のうらみつらみを農家が吐き出すときはそりゃぁ、すごい剣幕なんですね。

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手前が電気柵 その奥にネットが2重に張ってある。相当高いところまでネットで覆ってある。「どうやって人が入るの?」と思うぐらいの畑。そのぐらいしなければ、作物が守れないという。畑にはじゃがいもや小豆などが植わっていた。

いろいろな人と話していたら、山が荒れてきたこととケモノが畑まで出てくることには関係があると聞きました。昔は生活の一部として山に入り薪を取り、山菜やキノコを採るということが日常的に営まれていた。薪が必要とあれば、適度に雑木林が間伐されていたし、キノコ・山菜採りが続けばそこに人が通る道があった。そうやって人間が山に入っていれば、人間の匂いと気配が山にあり、ケモノは人里近くまでやってくることが少なかった。しかし、今、農家の高齢化と生活スタイルの変化によって、山の手入れがおろそかになっている。薪など取ってこなくても、ガスや電気で火を使えるし、キノコや山菜も買ってきた方が安い。そういった便利さの影で山は荒れ、ケモノの棲みかが増え、人がケモノを追って行こうにも道がなくなっているといった事態になっている。

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農家の倉庫に高く積まれた薪。それほど太いものはなかったが、山から取ってきたのだろう。

杉や檜ばかりを植林し、実のなる木々が山から消えたことも、ケモノたちが人里まで降りてきて畑の野菜を物色する原因のひとつだと言われています。
鳥獣害には決定的な対策がないのが現状です。諦めて栽培を止めてしまう人も中にはいますが、根気強く、ケモノと知恵比べをしながら作り続ける人も多いです。「毎年毎年サルやシシにやられるのに(食べられてしまうのに)、毎年毎年、作物植えて。ワタシャ病気だよ」と笑いながらある母ちゃんは言っていました。それでも、畑に出る、作物を育てることを止めない、百姓のしぶとさと誇りを垣間見た気がしました。
高浜町の鎌倉という地域では、ケモノに負けず、農家のばあちゃんたちが「100円店」(無人直売所)を作って、舞鶴から来る人や舞鶴へと向う人に新鮮な野菜を届けていました。

2005年11月07日

ひと味違う今年の新米 (新潟県糸魚川市)

「越後人はバカだよなぁ、本を買ってやった上に、米までくれてやるんだから」と苦笑いをしながら、越後人の小林春男さんは僕に米をくれた。そして、真剣な顔で「いいかぁ「美味しかったです」とかそういったありきたりの感想じゃなくて、しっかりした評価をこの米に下してくれ。ちゃんと手紙を書いてくれよ。約束だ、頼んだぞ」と付け足した。

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実に美味いおにぎり。その正体とは?↓↓

6月に僕は上越市に宿を取り、糸魚川市を回っていた。根知という地域に入った時に出会った稲作農家が小林さんだった。65歳ぐらいの彼はゆっくりとした口調でいろいろなことを話してくれた。米作りにかける想い、ヤギを飼いたいこと、豆腐やチーズを手作りしたいこと、本を読むより漫画の方が好きなことなどなど。
小林さんはこだわった米を作り、農協出荷にはせず自分で販売している。稲刈りが終わった後に大量の米ぬか(1反に160キロほど)を田んぼに撒いて、来作の準備をするのだという。土壌の改良と発酵による稲わらの処理、来作への肥料効果などさまざまな役割が散布に込められている。その米ぬかと一口に言っても、精米度合いによって質が違うことを教えてくれた。彼は酒の醸造元から2種類の米ぬかを仕入れ、それを田んぼに入れる。酒米は削り度合いが普通の米と違うので、いろいろな種類の米ぬかがあるのだ。そして、彼はどんな米ぬかにどういった特徴があるのかを掴んでいるようだった。田んぼの除草に米ぬかを利用する「米ぬか除草」という技術があるのだが、それにも大きな関心を示していた。「除草剤は減らしたいんだ。今は使っても問題ないといった認識になっているが、孫の代になってから「いやぁ、あれは問題だった」と言われるような後ろめたい気持ちが消せなくてね。これまでも、後々になってから「問題だ」となった農薬なんかが多いんだ。だから、なんとしても減らしたいんだ」と。だが、なかなか実際にはそこまで踏み切れないというジレンマも抱えている。化学肥料や農薬を控えた栽培をするので、収量はそこまで上がらないが「まあ、それでいいと思っているんだ。周囲からも「変なつくり方をしているとか」いろいろ言われるけど、自分の正しいと思っていることをやっているんだ」と語ってくれた。
他にも、ヤギを飼ってチーズを作る夢や大豆を栽培して豆腐を作る夢も持っていた。「ヤギはなぁ、乳が丸みを帯びたものではなくて、山型に尖っている方が出が良いんだぞ。僕が子どもの頃はどこの家にもヤギがいてねぇ。近々ヤギを飼ってさ、その乳でチーズを作りたいんだ」と眼を本当に少年のようにキラキラさせて語ってくれた。
そんな出会いからしばらくして、僕は思い出したように「もらったお米の感想」を夏ごろに小林さんに送った。すぐに送れば良かったのに、米の印象もどこかちょっと曖昧になってしまってから、遅くなって申し訳ないと思いながら。
昨日実家に戻ると、小林さんから新米が届いていた。「今年の米です。食べてみて下さい。ヤギは4日に来ます。近くに寄ったら訪ねて下さい。チーズもいかがかな?」といった内容。酔っ払いながら書いたのだろうか、ヨレヨレの字で。「小林」というサイン入りで。「越後人はバカだよなぁ。また懲りずに米を送ってやるんだから」とつぶやきながら、苦笑いしながら手紙を書いている小林さんの顔が鮮明に浮かぶ。
「米、早速おにぎりにしました。お世辞抜きでおいしいですよ。粘りもあるし、おにぎりにして冷めてからも味がしっかりしている。甘味もありますね。食べている僕は幸せな気もちになります。根知の田んぼの風景が浮かびます。」

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2005年11月15日

Alternative Paradise考 金沢21世紀美術館

Alternative Paradise このフレーズを聞いて、どんなことを創造するだろうか?
何故か僕はParadiseと聞くと貧困な想像力から南国を思い浮かべる。ついこの間東京で見たゴーギャンの絵がちらついていた。
「金沢に行ったら21世紀美術館に行ってね」と友人に勧められるがまま、僕は金沢の街へと出た。
21世紀美術館は、すごく近代的・モダンな建物でなかなかデザイン的に凝っている。ぐるりと円形になっており、外からカフェも見える。中に入っている人々が何故か展示物に見えてくるのは、そこが美術館だからだろうか。凝っているのだが、それほどゴチャゴチャした印象はなくシンプルにまとまっている空間だ。

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勧めてくれた友人が言っていた Brain Forestという展示はどうやら企画展を以前やったもののようで、今回は姿を見なかった。変わりにやっていたのが、Alternative Paradiseというわけだ。「ま、入ってみるか」というぐらいの感覚でチケットを買ったのだが、これがなかなかインスピレーションに富んだ内容だった。
僕は意識的にアートと向き合う時間と空間は好きだ。注意していれば、街中や郊外、ド田舎にもアートは転がっている。雲の形にだって感動を覚える。けれども、アーティストと呼ばれる人たちがエネルギーと時間を費やして創り上げたものに向き合うという意識的な営みとはちょっと違う。アートに対面するのだという力の入った姿勢ではなくて、僕の場合は非常にリラックスしてsense of wonder and wanderに従って会場をぐるぐる思うがままに動き回る。順路や人の動き、解説は無視して。そして、作品に向かい合って「おっ、そうきたか!」「そりゃないだろぉよ」「う~ん良くわからん」「それそれ、いやぁ、イイネ」なんて感じながらウロウロしているとすごく心躍る。気に入った作品は何度か立ち戻って見入る。そこにある色彩や質感、音、そんなもの全てが僕を非日常に連れて行ってくれる。

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今回の展示で一番強烈だったのは、金沢健一の「振動態」というアートだった。初めに見た時には、鉄の板に何やら砂のようなものでサイケな模様が描かれているだけだと思っていた。が、順路を無視して進んでいると、金沢のパフォーマンスをDVDで流している場所があった。鉄の板の上に白い砂をパラパラと無造作に振る。それから、その鉄板にスーパーボールに棒を刺したもの(だと思われる)で摩擦を起こしていく。すると、鉄板が共鳴して銅鑼(ドラ)のような振動音を奏で始める。それと同時に、振動によって砂が弾けはじめ、粒子が寄り集まってなんとも幾何学的でサイケな模様を創り始めるのだ。これには驚いた。スーパーボールの大きさや擦る角度、早さによって音と模様が変化していく。30分ぐらいあるDVDを僕はヘッドフォンを占有して(といっても他に5つある)見入っていた。振動共鳴音、サイケな模様、そして「これ、いつか自分でやってみてぇ。出来るだろ」という気持ちが入り混じっていた。
そうやって非日常に浸りながら心躍らせ、日常にかえっていく。
Alternative Paradise、展示されている作品群を貫くコンセプトやテーマが明確に伝わってくるかといえば、僕にとっては「?」だった部分が多い。結局何がAlternative Paradiseなのだろう?と思いつつ、僕がアートと向き合って感じる非日常と心躍が、それなのかもしれない。

Alternative Paradise@金沢21世紀美術館:06年3月5日まで続いています。

2005年11月20日

てづくり

今日は久々に「てづくり」をしてきました。
京都にいる友人に会いがてら鈴木松風堂という紙屋さんで、紙工芸を体験。
僕は行灯を創ったのですが、ナカナカ我ながら良い出来です。
デザインを考えるのが特に面白かった。既にもみじの形やら番傘の形やらに用意されている素材ではなくて、千代紙の切れ端をアレコレ選びながらどうしようか考えます。
行き当たりバッタリなのですが、和紙の質感を生かそうと鋏で切るのではなく手でちぎったり、紙を繊維状にしてちりばめたり。感覚的な世界なのだけれども、ちょっと前に祖母に習った生け花の経験が生きるんですね。やっているうちに、どこかで祖母が「ここに流れがあるでしょ。この色は浮きすぎね。この赤をワンポイントにしたら良いのよ」などと話しかけているような気がしました。色と空間の配置を考えながらつくり込んでいく。思った以上に上手いこと出来ました。

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「渋い」との評価を店の人からもらいました。「デザインのお仕事をしているんですか?」と言われたのはお世辞と受け取っておきましょう。

紙漉きの段階から出来れば、もっと時間がかかるけれども、さらに面白いのだろうなぁ。原料のコウゾから栽培というのはさすがにムリかな。
いやはや久々に童心に。小学生の時には良く図工の時間があって、いろいろなものを手作りしていたものです。折りたたみイスから木製小物入れ、釘を熱して叩いてペーパーナイフなどなど。いろいろこだわって創ったものもあれば、「メンドクセ」などと言いながらテキトーに対処したものもあった。しかし、忙しい勤め人時よりも、よっぽど小学生時の方が豊かな時間の使い方をしていたようです。
もらったロウソクはパラフィン製ですが、家に戻ったらミツロウロウソクで灯りを愉しむことにしましょう。

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