今月は更新が渋っています。
エッジの電波が届かない場所に3週間ほどいました。
愛知の奥三河です。良いところでした。寒かったですが。
ブログ更新のため、ではないのですが、昔書いた文章を。
昔も、移動遊牧していました。カルカッタ、懐かしい。

カルカッタではなく、ゴアの夕日
2002年07月03日(水)
1999年2月27日から3月1日まで、インドのカルカッタにいた。
3度目の一人旅は一ヶ月目に突入していた。
カルカッタはなかなか魅力的な街だ。わい雑な宿群、女とハッパのみを求めてやって来るイカレタ旅行者、気さくで親切な旅行者、擦れた物乞、しつこい物売り、美味い各国の料理とビール、束になって歩いているインドの人々、喧騒の一因を生み出す車のクラクション、朝晩の涼しさと昼間の熱さ。その全てが視覚的に新鮮で、インドの香りを放っていた。
カルカッタにはマザーテレサの作ったマザーハウスがある。
そして、関連する医療施設がいくつかある。
ストリートチルドレンや行き倒れた人、死にかけの人を施設に入れ、食事や屋根、医療を提供する。老人、子ども、心身障害者などが入居している。「死を待つ人の家」と称される施設もある。
そこにはいつでも多くの旅行者がいわゆるボランティアとして関わっている。そのためにインドまで来る人もいるほどだ。
朝早く(6時半ぐらい)に路上にあるポンプ式の井戸で水浴びをするインド人を見ながらマザーハウスに行き、パン、チャイ、バナナ、クラッカーなどの軽い朝食を取る。
その後、スラムと化した駅を横目に見ながら施設に15分ぐらいかけて歩いていく。「プレムダム」という名の施設だったと思う。
仕事は、男女別になっている薄暗い部屋に敷き詰められた簡易ベッドを片づけ、床を掃除することから始る。男は男の部屋を担当する。
なぜ掃除をするのか?汚物や食べこぼしなどで汚れているから。毎日掃除をしなければ、熱いインドでは病気も瞬く間に広がるだろう。
まずは、糞尿をどける必要がある。その後で水をぶちまけ、洗剤をばらまく。
中腰になって、柄のない先っぽだけの竹箒でとにかく掃き掃除をする。
そして、雑巾で床を拭いていく。どちらも腰にくる重労働だ。
ベッドを設置し直し、シーツや枕カバーをかけていき大体の清掃仕事は終わる。
その後で、洗濯がはじまる。職人風のジイサマが大釜でグツグツと入居者たちのルンギ(腰巻き)や毛布、シャツ、パンツといったものを煮ている。煮沸消毒なのだろう。
そのアツアツの洗濯物を洗剤の入った層とすすぎの層でじゃぶじゃぶと洗い、絞る。洗濯用の層は、5メートル四方ぐらいのコンクリート層だ。それが、二つあったと思う。
絞った後に、こん棒のようなもので叩く。とにかく叩く。叩くことによって水はしぼられ同時に衣服はもまれる。それが洗濯だ。川べりで洗濯物を岩などに打ち付けているところをイメージできるだろうか?同じ原理だ。
3人ぐらいが横に並んで、無心でこん棒を振り下ろす。
自分が何をインドに来てまでやっているかなど問うてはならない。
重要なのはリズムと腕力だ。
その流れ作業を何度か繰り返す。
その後は当然、干す。日中はとても熱いのですぐに乾く。
大体、10時半ぐらいに「ティー、ティー!」とお茶休憩の合図が出る。
甘いチャイとビスケット。
疲れた精神と肉体には格別に感じられる。
そこで、短期旅行の学生からいつ帰るか分からない長期旅行の人間などと会話を楽しむ。僕のいた時期には20名弱ぐらいだったように思う。
「バンガロールに行ってサイババに会うんだ」と言っている人が何故か多かった。
何処から来て、何処へ行くのか?何処が面白かったか?
そんな旅行者の決まりきった会話や、宗教とは何か?生死をどう考えるか?資本主義の害悪、アメリカ型開発の是非といったことも話していた。
4月、5月になるとバタバタと入居している病人が死んでいくらしい。死体安置所はすぐに満たされてしまう、と言った話も聞く。路上で死んでいくよりは、毎日着替えられて、食事もできて、話し相手もいて幸せだろうね、と言う人もいれば、ここの人々は食って寝てクソして、死を待っているだけなんだ、と吐き捨てるように言う人もいた。
休憩の後は、入居者用の食事を準備する。非常に大きな釜で炊いた米と、巨大な鍋に入ったカレーを運び、皿に盛って入居者に配っていく。「早くよこせ!」と怒鳴っている人々が多い。何をしゃべられているか分からないが、とにかく四方八方から罵倒されている気分になる。
入居者の多くが、心身障害者だ。鼻水を垂らしながら、切断された脚を引きずりながら、動かなくなった手をぶらぶらさせながら、とにかく「飯を俺のところへ早く持ってこい!」と叫んでいるようだ。とても、賑やかな世界になる。
配り終えると次は、「パニー、パニー!」と水を要求する声が大合唱となる。ヤカンをぶら下げて対応に追われる。さらに、スプーンで皿を叩きお替りを要求してくる。
パニー、ガチャガチャ、パニー、パニー、ガンガン、、。大合唱。
食べ残しを下げようとすると激昂する老人がいた。何やら怒鳴られる。慣れた人は「はいはいしょうがないねぇ」といった形で対処していくが、僕には何やら意味が分からない。
精神が疲弊していく。体が硬くなっていく。
食事の世話をする間中「頼むから僕を呼ばないでくれ」と心底思っていた。
異様な容姿をした人々に分からない言葉で呼ばれ続けるのは正直言って精神的に疲れるからだ。おぞましきものとでも認識していたのだろう。理解不能なものとして排除しようとしていたのだろう。
動きや表情はかなりぎこちなかったはず。
食事の後は、食器類の片づけや入居者の移動、そして食事をしていた場所の掃除をする。
入居者の移動は車イスに乗せたりと当然接触が増える。相手がおとなしければ良いが、ごねたりするとどうして良いか分からなくなる。「僕を呼ばないで」と心底思っていた。
食事をしていた場所に水をぶちまけ、食べこぼしを掃き掃除をして大体終わりだ。
12時を過ぎるぐらいには宿のある場所までオート・リクシャーをシェアして帰る。
午前中だけなのだが、体も精神も疲労感に満ちる。動きの読めない相手、分からない言葉、重い空気、熱さ、そういったものが気力を奪っていく。
こんな仕事2日もしたくない、と思いながら計4日間だけ通った。
僕は、3月2日の早朝に他者との遭遇の感覚を持ってバンコクへと飛んだ。
おぞましきもの、理解不能なものでしかなかった患者との他者としての遭遇は3月1日に起こった。