先日アップした過去の話の続編です。

インドへ向う船の上からの景色
2002年07月10日(水)
1999年3月1日、次の日の早朝にバンコクへ飛ぶためマザーハウスでの仕事は最後となる。
その最後の日に、恐らく初めて仕事を楽しくこなすことができた。他者と遭遇したからだ。
その日も、床掃除を終え、作業は洗濯に移っていた。バケツに入った洗濯物を干し終わり、次の洗濯物を取りに行こうとした時に ‘hey!’ と呼び止められる。診察を担当している西洋系の医者らしき人が僕を呼び止める。口ひげにテンガロンハット。医者には見えないが、医者だ。「リハビリをするから、手伝ってくれ」。
足腰の弱った老人を歩かせるリハビリだ。歩かせなければ、寝たきりになってしまうのだろう。僕にとって患者は動きの読めない理解不能な、あるいはおぞましさをも伴う存在だったので一瞬ひるんだが、嫌だとは言えずに手伝いはじめる。
「よし、ここからあっちまで行って、帰ってくるその繰り返しだ。」
「患者の横に立って、歩くんだ。」
「あまり、支えすぎるな!」
「患者が倒れないように注意しろ!」
「下を向くな!前を見ろ!」
「患者とコミュニケーションを取れ!」
「うまくUターンをしろ!」とやたら注文が多い。
ドギマギしながらも何度か短い距離の往復をする。
患者の手と腕には力がなかったが、確かに人間のものだった。力なく、一歩一歩ゆっくりと、傷ついた人間が歩いている。ただそれだけだった。
自分の横にいたのはおぞましきものでも理解不能なものでもなく、一人の人間だった。
僕はそれを、体に触れるということ支えになるということを通して皮膚感覚から理解した。
それまで持っていた漠然とした不安は、あっけなく溶けていった。
その後で「よし、じゃあ次は患者のマッサージをしろ。このクリームを塗って、足や腕をマッサージするんだ」と指示される。
先日までは、他の人々がおぞましき患者に接している風景を見ていて、「よくできるものだ」と嫌悪感を含むような複雑さで感心していた。
だが、僕の前にいる人々はもう、人間だった。
日なたに座っている痩せさらばえたジイサマに声を掛け、ふくらはぎや腕にクリームを塗り、マッサージをしていく。
その肌には一種の冷たさを感じさせられ、切なくなるぐらいに痩せている。
首の付け根や肩ももんでやる。
自分がマッサージされて気分が良いところをやれば良いのだ。
「ティゲ?(good?)」と聞くと「ティガチェ(good)」とつぶやき程度に返してくる。あるいは、インド人特有のクビのかしげ方で答えてくる。OKだよ、いい気分だよと。
「痩せとるなぁ、じいちゃん。もっと食わなきゃだめだぞ」なんて言いながら、患者と接することがいつの間にか楽しいことに変わっている。
それは、他者との遭遇という一つの感動的な「出来事」でもあった。
おぞましき患者との肌を通した交流によって、他者性が浮上し、
それとともに漠とした不安や気の重さは流れ出ていった。
僕にとっては、コミュニケーションが作動するまで、
他者はまだ他者でもないのかもしれない。