1年9ヶ月の経験を元ゼミの場でも話させてもらった。
中央大学総合政策学部サドリアゼミという空間。
僕はここに学部4年修士2年の6年ドップリ浸かっていた。
僕が出発点であり、ひとつの大切なネットワークだ。
プレゼンの前には毎回「誰に何を伝えたいか」ということを考える。
アレコレ構想を練る。前回のプレゼンで指摘された「後藤彰が語るオリジナリティ」というフレーズが僕の頭の中にあった。こうなったら、僕自身を語ろうか、そんな風に思っていた。
僕が学部と院で研究したこと、その時考えたことぶち当たった壁、NPOやNGOとの関わり、そして1年9ヶ月の仕事とそこで見聞き感じ考えたこと、そしてこれから先に考えていること。このラインに僕の考え方や認識を支えている思想や理論的枠組みを重ねていく。
この日は久々に丸一日PCの前に座り「レジュメ」を作ることになった。
(当日のレジュメはサドリアゼミのHPにアップされている)
僕の中でのテーマはbe the change/alternative ということ。
1年9ヶ月間方々見てきて、5000人近い農家に会って来て一番思ったこと。
「自分で自分が大切だと思う価値観や思想を体現したい実践したい」ということ。
欲する変化自身に自分がなるということ。

よく「スーツで農村回っているの?」と聞かれていた。
いやいや、こんなカッコで回ってました(夏バージョン)。
研究をしている時は、社会から距離を取って分析的に物事を見ることが実践だった。
博士課程に進むことも考えていた僕がぶち当たった壁は「僕にはいまいち明確なテーマがない」ということだった。現場に出たくなった。
そして、仕事を通して現場に出た。現場だらけだった。けれども、「あ、結局まだ自分は観察者の域を脱していないんだなぁ」と分かった。作物を育てたり、地域づくりに奔走したりする農家と会って話をしていると、作物を育てたこともなく、地域には全く根を張っていない僕が「何を偉そうなこと言ってんだろう」という葛藤があった。
現場にいる人を別の場所から批判することは簡単なのだけれども、僕が会って来た人々は時間やお金の制約、ムラの論理などのさまざまな限界の中でもがきながら「実践」をしていた。自分の生活を組み立てながら、さまざまな工夫をして地域を盛り上げたり、良い作物を育てたりしていた。
共生的なコミュニティ、循環型農業、農的生活、本当に豊かということ、質の良い食、オルタナティブなライフスタイルetc…。農村空間を通して見えてきたもの、学べたことは数知れない。
人に期待したり、提案したりするのではなく、もう自分自身が欲する変化になってしまいたい。そういった想いが募っていた時に、タイミング良く(狙いすまして)転職の話がやってきた。村に農に食に関わる仕事だった。
給料は減るし、どうなるか分からない、先の見えない選択と言えばそうだろう。けれども、何故か僕にはさして不安がない。土に根ざした生活をしていれば飢えはしないだろうという感覚。限界だらけの現状を工夫しながら切り拓いてきた農家とたくさん会って来たこと。「やればできるんじゃないか?」そんなchallengingな気持ちが僕の中にある。
でもやはり、発表自体では「ストレート」に主張をぶつけるのが下手だった。2時間近くの話になったこともあり、オーディエンスの疲れを僕が感じ取ってしまったこともあり、難しかった。もちろん、僕自身もしゃべり疲れていた。ラスト近くの一番肝心なところでトーンダウンしていた感があった。
しかし、こんなしょーもない人間の等身大の話からいろいろ感じ取ったり受け取ったりしてくれた学生もいた。
サドリア教授からは「学生からあれだけいろいろなコメントが出てきたのは素晴らしいことだった。ゼミにこうして戻ってきて話をしてくれたことに感謝します。けれども、プレゼンのキャパシティが減った感じがする。君のプロジェクトが進んだらまたゼミに話に来なさい」と言われた。
さらに「記憶が鮮明なうちに、経験をしっかりまとめて本にしたら良い。それこそ、君が修士で研究した社会意識知識生産になる」とも言われた。
ベアーズウェルの際にも「本を出したら良いじゃない」と言われたり、その時に知り合った人にも「本は出していないの?」なんて言われていた。
よし、やってみっかな。
プレゼンへのコメントやそれに対する僕の応答がHP上で展開されている。
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