福岡県南部に位置する人口3600人ほどの山村、赤村。合併を拒み、独自に地域の運営を考えている自治体。水がきれいで蛍が有名。山に囲まれた盆地。農林業が基幹産業。350年の伝統を持つ大内田岩戸神楽があり、豪華な山車がうねる神幸祭も開催される。毎年、田植えや稲刈りの体験イベントも組まれている。人口は微減しており、周辺の市町から合併の声もかかっている。何とか現状を打開したいという想いを村の人々は持っているようだ。
06年2月末に僕はその赤村の村民になった。

1年9ヶ月掛けて日本全国の農山村を駆け回ってきた。冗談で言い始めた「移動遊牧」が本当に僕のライフスタイルを体現していた。生涯現役で愉しそうに働き、生きる人々とそれを支える農村空間に出会ったり、「5年後にはここの集落は消滅するだろうなぁ」と達観したじいさんに出会ったり、「日本の農村や農業にもう未来はない!」と断言する農家と言い合いになったり、いろいろな出会いや発見があった。そのプロセスの中で感じたのは「豊かなライフ(いのち・暮らし・人生)の可能性は農村空間にある」ということだった。豊かな食生活と多様な文化、ゆっくりした時間の流れ、人と人とのつながり、人と自然との関わりなどが僕には魅力的に見えた。
農山村の地域づくりに必要なのは「ワカモノ」「バカモノ」「ヨソモノ」のエネルギーだといった話も聞いて、僕は農山村に入り込みたい気持ちを抱いていた。農山村を駆け回り、移動遊牧はするが、土地に根ざせない「観察者」であることにも少々疲れていた。いつかは半農半Xを実践したいとの想いが募っていった。そんな時に、「赤村でゆっくり村という持続可能で豊かで愉しいコミュニティを企画・運営していくスタッフとして福岡に来ないか?」という心踊る話が中村コーチョーから突然の電話で舞い込んだ。「ゆっくり村では問題ではなく、答えを生きることがひとつのテーマになる」との言葉にも惹かれた。望む「変化」「オルタナティブ」に自分自身がなる、be the change/alternative を体現できると思い、僕はその話に乗ることにして会社も辞めてしまった。
赤村では、村側からのサポートもあって巨大な豆腐工場跡地を利用できること、地元で30年有機農業に取り組んでいる人のネットワークがあること、年間で20万人の観光客が来ることなど贅沢すぎるような条件が揃っていると言われていた。あるいは、過大な希望を抱いていた。僕は意気揚々と追い風を感じながら2月16日に赤村に居候をしながら滞在を始めた。
しかし、僕が赤村に居候を始めてすぐに風向きが変わってきた。その朝、Yさんが車を運転しながら不吉な夢の話をする。「今朝、嫌な夢を見たんよ。Nさんと二人で後藤君を赤村に迎えに行く途中なんやけどね、いきなり雪が降ってきたんよ。それから急な坂を上っていたら途中で車が止まってしまったんよ。そしたら車がすごいスピードでバックし始めてさ、ハンドブレーキをいくら引いても全然効かんで『うわぁ~』って叫んでいるところで目が覚めた。不吉やねぇ~」。なんと、その不吉な夢が現実にはみ出してくる。
拠点になる空間と考えられていた豆腐工場跡地は消防法の関係で防火設備を整えねばならず、1500~2000万の費用がかかってしまうという。「消火器20本ぐらいで大丈夫かと思っていたら、全面工事が必要と言われて参っています」と役場の担当者。さすがにそこまで予算を組むことは借りるほうにも貸すほうにも出来ない。確実だと思われていた拠点が使えない。
さらに、住居として空き家を探しており、2軒ほど有力候補があったのだが「こちらとしては急いで貸す必要はない」「人に使ってもらえた方が傷まないし良いと思っているのだが、兄弟の合意を得られない」とどちらもダメだった。空いている家があるのに、住む場所がない。
拠点も使えない、空き家も借りれない。「ここまで話を詰めてきてなんなんだコレは?別に赤村じゃなくても良いんだから、他でやることも考えるか。種子島でも有力な話があるんだ。一度白紙に戻すか?」といった赤村撤退を視野に入れた考えまで僕の頭には浮かぶ始末。
会社を辞めてまでやってきた、自分がライフスタイルのモデル創りをしようと考えてやってきた赤村という農村空間。「初めから順調なよりも、いろいろな限界を突破して物事を立ち上げた方が面白い」と自分に言い聞かせながら、「何てこった、こうなったら自由気ままな旅にでも出ようかなぁ、もうどうでも良いやぁ」なんてことも頭によぎる。
期待していたように物事が動かないことも多い村の中で、「あ~あ」とつぶやきながら僕はいつも自分が「今ここ」にいる目的を思い返す。「農村空間は豊かさの源泉」だったはずだ、と。自分はそれを味わい、人と共有し、発信したいと思ってやってきたのだ、と。
そんな想いが通じたのか、事態が好転し始めた。草木染め木工という独特の世界を持つアーティストのUさんが「昔カフェをやっていた場所を使ってもらって構わないぞ」と言ってくれたのだ。小高い丘に建てられた古民家風の素敵な物件。さらに、「木工の工房の横に一部屋空けられるスペースがあるから、そこを当座の住居にしたらどうか?露天風呂だし良い所だぞ。なんなら、昔使っていた隣町のアトリエもだいぶ荒れているけれども手を入れれば使える。畑も近くにあるからやりたければ使いなさい」と至れり尽くせり。カフェの場所はほぼ浦野さんの空間で決まり。僕はその空間の一室に住むことになった。さらに、当初カフェオープンを考えていた場所の利用も許可が出そうな情勢になってきた。赤村に興味を示すワカモノもチラホラいる。実に心強い。

これが「僕の」家。といっても、間借り。
僕は村民として住民票をスローライフランド風の杜(Uさん命名)に置いている。キッチンは昔カフェで使っていたから充実した設備、風呂は薪で沸かす露天風呂(雨の日と寒い日は考え物だが)、すぐ近くに人家がないので夜でも歌ったり、踊ったり、音楽を聴いたりし放題、すぐ近くに「昔畑を作っていた」という小さな土地もある。「何て贅沢なんだ」とつぶやきながら僕はここでライフを組み立てていこうとしている。「こんなに何から何まで揃っていて、バチが当たらないだろうか?」と不安になるぐらいだ。
何はともあれ、長い移動遊牧とその後の居候生活を脱して、住む場所を借りてライフを組み立て、農的営みもできそうだ。赤村でやりたいこと、僕がライフの中でやりたいことはたくさんある。「水田と畑を1反づつぐらいやってみるか?やるなら農地は確保するぞ」「赤米を作付けしたいのだけれど、管理をやるか?」と農家から言われたり、「水田をやるなら、田植えのイベントを打とうか」といった話も仲間内から出てきている。これから春に向かい、田植え、新酒の発表会、GWに開催される祭行事など村のイベントも活気付いてくる。地元学的な調査やゆくゆくは赤村食の文化祭の企画なんかもやってみたい。カフェではライブや映画上映なども仕掛けたい。定住地が明確になったことで、そのスタートがようやく切れそうだ。この豊かさと愉しさは一人では持て余すから、ぜひ皆さんと共有したい。
「赤・ゆっくり村便り」を媒体に、皆さんにもいろいろな報告をお裾分けしていけたらと思っています。興味があったら、社交辞令ぢゃなくて赤村にぜひとも足を運んでください。