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2006年03月 アーカイブ

2006年03月03日

命をつなぐ トマト編

ちょっと前に書いた「命をつなぐ」がピースボートに一緒に乗った友人達のMLで話題になっている。「肉を食べる以上屠殺体験は必須」といった意見や「やっぱできないなぁ」といった意見まで。
動物と植物の命の違いを実感するのは難しいといったことも書いたが、この間不思議な体験をした。
赤村に入ってから、鳥越農園というところで農作業の短期バイトをしていた。初日の作業は、枯れてしまったトマトを引っこ抜き、代わりにキュウリを定植していくというものだった。暖房機の誤作動と管理のまずさが重なって、5連棟ハウスの半分ぐらいのトマトが凍害を受けたのだ。もう少しすると収穫できるようになる樹だったから、農家としてはかなりの痛手。緑色の実がついているところもあるが、葉っぱは枯れてしまい、全体的にしおれている死んだトマトの樹が眼前に拡がる。そのトマトの樹をへし折り、株元を引っこ抜き、通路に捨てていく。捨てた樹は僕らが動き回ることで踏み潰される。いつかは分解されて土に返る。
初めは、無心で作業をしていた。「ペキ」「ポキ」「グシャッ」。樹を折る度にトマトの青臭い、強烈な匂いが鼻をつく。トマトの強烈な匂いの中で作業をするということに面白さを感じていた。けれども、徐々にそれが何とも言えない気分の悪さに変わっていった。「ペキ」「ポキ」「グシャッ」という音と鼻を突く匂いが妙に生生しい感じに変わっていく。鶏の首の骨をへし折るような(やったことはないが)、命を奪っているような感覚になっていったのだ。トマトを樹から収穫するのとは全く違う感覚だった。
命を奪う。鶏の場合は体温、トマトの樹の場合は音と匂い。命は五感に訴えかけてくる。農業は生き物を扱う仕事、その意味が少し分かった気がした。

2006年03月17日

赤村村民スタートラインに立つ

福岡県南部に位置する人口3600人ほどの山村、赤村。合併を拒み、独自に地域の運営を考えている自治体。水がきれいで蛍が有名。山に囲まれた盆地。農林業が基幹産業。350年の伝統を持つ大内田岩戸神楽があり、豪華な山車がうねる神幸祭も開催される。毎年、田植えや稲刈りの体験イベントも組まれている。人口は微減しており、周辺の市町から合併の声もかかっている。何とか現状を打開したいという想いを村の人々は持っているようだ。
06年2月末に僕はその赤村の村民になった。

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1年9ヶ月掛けて日本全国の農山村を駆け回ってきた。冗談で言い始めた「移動遊牧」が本当に僕のライフスタイルを体現していた。生涯現役で愉しそうに働き、生きる人々とそれを支える農村空間に出会ったり、「5年後にはここの集落は消滅するだろうなぁ」と達観したじいさんに出会ったり、「日本の農村や農業にもう未来はない!」と断言する農家と言い合いになったり、いろいろな出会いや発見があった。そのプロセスの中で感じたのは「豊かなライフ(いのち・暮らし・人生)の可能性は農村空間にある」ということだった。豊かな食生活と多様な文化、ゆっくりした時間の流れ、人と人とのつながり、人と自然との関わりなどが僕には魅力的に見えた。
農山村の地域づくりに必要なのは「ワカモノ」「バカモノ」「ヨソモノ」のエネルギーだといった話も聞いて、僕は農山村に入り込みたい気持ちを抱いていた。農山村を駆け回り、移動遊牧はするが、土地に根ざせない「観察者」であることにも少々疲れていた。いつかは半農半Xを実践したいとの想いが募っていった。そんな時に、「赤村でゆっくり村という持続可能で豊かで愉しいコミュニティを企画・運営していくスタッフとして福岡に来ないか?」という心踊る話が中村コーチョーから突然の電話で舞い込んだ。「ゆっくり村では問題ではなく、答えを生きることがひとつのテーマになる」との言葉にも惹かれた。望む「変化」「オルタナティブ」に自分自身がなる、be the change/alternative を体現できると思い、僕はその話に乗ることにして会社も辞めてしまった。
赤村では、村側からのサポートもあって巨大な豆腐工場跡地を利用できること、地元で30年有機農業に取り組んでいる人のネットワークがあること、年間で20万人の観光客が来ることなど贅沢すぎるような条件が揃っていると言われていた。あるいは、過大な希望を抱いていた。僕は意気揚々と追い風を感じながら2月16日に赤村に居候をしながら滞在を始めた。
しかし、僕が赤村に居候を始めてすぐに風向きが変わってきた。その朝、Yさんが車を運転しながら不吉な夢の話をする。「今朝、嫌な夢を見たんよ。Nさんと二人で後藤君を赤村に迎えに行く途中なんやけどね、いきなり雪が降ってきたんよ。それから急な坂を上っていたら途中で車が止まってしまったんよ。そしたら車がすごいスピードでバックし始めてさ、ハンドブレーキをいくら引いても全然効かんで『うわぁ~』って叫んでいるところで目が覚めた。不吉やねぇ~」。なんと、その不吉な夢が現実にはみ出してくる。
拠点になる空間と考えられていた豆腐工場跡地は消防法の関係で防火設備を整えねばならず、1500~2000万の費用がかかってしまうという。「消火器20本ぐらいで大丈夫かと思っていたら、全面工事が必要と言われて参っています」と役場の担当者。さすがにそこまで予算を組むことは借りるほうにも貸すほうにも出来ない。確実だと思われていた拠点が使えない。
さらに、住居として空き家を探しており、2軒ほど有力候補があったのだが「こちらとしては急いで貸す必要はない」「人に使ってもらえた方が傷まないし良いと思っているのだが、兄弟の合意を得られない」とどちらもダメだった。空いている家があるのに、住む場所がない。
拠点も使えない、空き家も借りれない。「ここまで話を詰めてきてなんなんだコレは?別に赤村じゃなくても良いんだから、他でやることも考えるか。種子島でも有力な話があるんだ。一度白紙に戻すか?」といった赤村撤退を視野に入れた考えまで僕の頭には浮かぶ始末。
会社を辞めてまでやってきた、自分がライフスタイルのモデル創りをしようと考えてやってきた赤村という農村空間。「初めから順調なよりも、いろいろな限界を突破して物事を立ち上げた方が面白い」と自分に言い聞かせながら、「何てこった、こうなったら自由気ままな旅にでも出ようかなぁ、もうどうでも良いやぁ」なんてことも頭によぎる。
期待していたように物事が動かないことも多い村の中で、「あ~あ」とつぶやきながら僕はいつも自分が「今ここ」にいる目的を思い返す。「農村空間は豊かさの源泉」だったはずだ、と。自分はそれを味わい、人と共有し、発信したいと思ってやってきたのだ、と。
そんな想いが通じたのか、事態が好転し始めた。草木染め木工という独特の世界を持つアーティストのUさんが「昔カフェをやっていた場所を使ってもらって構わないぞ」と言ってくれたのだ。小高い丘に建てられた古民家風の素敵な物件。さらに、「木工の工房の横に一部屋空けられるスペースがあるから、そこを当座の住居にしたらどうか?露天風呂だし良い所だぞ。なんなら、昔使っていた隣町のアトリエもだいぶ荒れているけれども手を入れれば使える。畑も近くにあるからやりたければ使いなさい」と至れり尽くせり。カフェの場所はほぼ浦野さんの空間で決まり。僕はその空間の一室に住むことになった。さらに、当初カフェオープンを考えていた場所の利用も許可が出そうな情勢になってきた。赤村に興味を示すワカモノもチラホラいる。実に心強い。

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これが「僕の」家。といっても、間借り。

僕は村民として住民票をスローライフランド風の杜(Uさん命名)に置いている。キッチンは昔カフェで使っていたから充実した設備、風呂は薪で沸かす露天風呂(雨の日と寒い日は考え物だが)、すぐ近くに人家がないので夜でも歌ったり、踊ったり、音楽を聴いたりし放題、すぐ近くに「昔畑を作っていた」という小さな土地もある。「何て贅沢なんだ」とつぶやきながら僕はここでライフを組み立てていこうとしている。「こんなに何から何まで揃っていて、バチが当たらないだろうか?」と不安になるぐらいだ。
何はともあれ、長い移動遊牧とその後の居候生活を脱して、住む場所を借りてライフを組み立て、農的営みもできそうだ。赤村でやりたいこと、僕がライフの中でやりたいことはたくさんある。「水田と畑を1反づつぐらいやってみるか?やるなら農地は確保するぞ」「赤米を作付けしたいのだけれど、管理をやるか?」と農家から言われたり、「水田をやるなら、田植えのイベントを打とうか」といった話も仲間内から出てきている。これから春に向かい、田植え、新酒の発表会、GWに開催される祭行事など村のイベントも活気付いてくる。地元学的な調査やゆくゆくは赤村食の文化祭の企画なんかもやってみたい。カフェではライブや映画上映なども仕掛けたい。定住地が明確になったことで、そのスタートがようやく切れそうだ。この豊かさと愉しさは一人では持て余すから、ぜひ皆さんと共有したい。
「赤・ゆっくり村便り」を媒体に、皆さんにもいろいろな報告をお裾分けしていけたらと思っています。興味があったら、社交辞令ぢゃなくて赤村にぜひとも足を運んでください。

2006年03月23日

植樹~森へつながるか?

里山
なんとなく、惹かれるフレーズだ。
赤村にも里山があるのだろう、どこかに。
というのも、赤村の山は竹、杉、檜、椚が相当植わっている。
「秋口にはイロイロな葉っぱの色が見れたから、広葉樹林もあるはずだ」と農園で一緒に仕事をする友人は言うが、僕は実感としてそうは感じていない。
竹だらけ、杉だらけという印象が強い。
とある爺さんの話だと竹はここ50年ぐらいではびこった、杉もここ50年で山を埋め尽くしたということだ。50年前には竹は貴重で、たけのこの取れる林を持っている人はある種のステータスも一緒に持っていたらしい。ところが、その竹が徐々に増え始め、手入れが追いつかなくなり、あっという間に山を覆いつくしている。
50年前には杉は高く売れた。炭鉱夫が住む住居の建築材として小さくてもいいから木材が引っ張りだこだった時期があり、山の持ち主は一斉に杉を植えたのだ。が、時が経つにつれて杉の値段はガタ落ちし、今では立派な立ち木が1000円ぐらいの値段にしかならない。間伐や枝打ちのコストの方がはるかに高いということになる。
そんな山を見ながら小さな小さな植樹活動をしてきた。山桜、モミジ、ハゼなどの苗木を観光客が通る道ぶち計3箇所に計17本植樹してきた。70代の爺さんたちが主なメンバー、そこに20代の僕が一人。しかし、爺さんたちが働く働く。苗木を植える穴掘り、苗木運び、苗木を支えるくい打ち、下草刈りなどなどテキパキと動き回る。「青年、杭を打ってくれ」何て言われながら調子に乗ってガンガンとハンマーを振り下ろしていた僕は、後日肩が痛んで仕方ない。僕の1.5倍ぐらいは動き回る百姓の爺さんたちは本当にたくましい。

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差し入れされたシカ肉と一緒に昼飯を食いながら発泡酒を飲み、村の話題をとめどなくする。そんな中で、50年前はこの杉で覆われた山は牧草などを育てていた山だったことが分かってくる。50年でそんなにも変わるのか、と思ってしまった。スケールの大きな話だが、時間を経て変わるということを杉山を見ながら考えてしまう。

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50年後にこの山を人々が喜んで入りたがり、山野草や木の実なんかをもたらす豊かな森に囲まれた里山に変わらないだろうか、と。

2006年03月26日

バルーン 気球

前日の夕方に電話が入る。
「ごと~君、トロッコの会の人が明日バルーンを上げるらしいんだけど、加勢に来てくれ」と。植樹の加勢にも行って顔つなぎも出来たし、「バルーンって何だ?」とよく分からないままに「顔つなぎ」もかねて参加することにした。朝7時から。
行ってみてビックリ。バルーンとはアドバルーンではなくって、気球のことだった。
初めて近くで見る。デカイ。
ガンガンプロパンガスを燃焼させて気圧の差で宙に浮く。
風のない時間帯を選び、朝7時半から2時間半ぐらい来場者を3人づつ乗せて気球は何度も上昇していった。

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加勢といっても大した仕事はなく「いろいろな人ととにかく交流してくれ」と気を使ってもらう。関係者ということで、気球にも乗っけてもらった。
下から見ている25メートル上空と、25メートルの上空から見ている景色はまるで違った。
やはり、田んぼが美しい。

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午後にも気球を上げる予定だったが、風が強かったためあえなく中止に。
午前中に乗っておいて良かった。
気球のプロジェクトはトロッコの会というトロッコ電車を走らせる村のグループが企画している。40~50代ぐらいのおっちゃんたちがメインメンバー。村の活性化を考えている。自分たちが愉しむというスタンスが心地よい。
村にはイロイロなグループがあるんですわ。

しっかし、気球ってすごい大量のCO2を出すんだよなぁ。。。
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2006年03月31日

定住してからの食

移動遊牧から定住農耕にシフトしてもっとも変わったことは食生活です。移動遊牧時には与えられる食、外食がほぼ100%を占めていましたが、赤村に来てからはほぼ100%自炊しています。「あんた、ご飯は何食べとると?自炊しとると?大変やねぇ」といった言葉をウーフ先のパートさんたちにたびたび言われます。けれども、今の僕には自炊は愉しくってしょうがないイベントごとなのです。

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ある日の食卓 玄米、味噌汁、大根と菜っ葉のゴマ煮、白菜漬け(買ったもの)

最近読んだ本に『オーガニックベース』というマクロビオティックの本があるのですが、そこで「玄米食から始めましょう」といったことを読みました。米編に白いと書いて粕(カス)、白米はお米の生命力と美味しい部分をわざわざ削り取ったものだといった話に愕然としました。定住したら玄米食だな、と心は決まり。
現在はウーフ先の農家からキロ500円ぐらいで無農薬紙マルチ除草のコシヒカリを玄米で買ってきてほぼ毎日圧力釜で炊いています。赤村友達の岡本君や那須君にも教えてもらい、大豆と昆布を洗った玄米と一緒に炊くんです。僕はタイマーを使わず、蒸気の音を頼りに大体の感じで火加減を調節しています。蒸気が抜けた後に蓋を開ける時のドキドキワクワク感は皆さんにも味わって欲しいものです。今日は上手く炊けたかなぁ、オコゲも上手く出来てるかなぁ、何てことを期待しながら蓋を開け、蒸気の向こうから見えてくる玄米の状態を凝視しながらシャモジを米に入れる。「おっ、上手くいった」「ちょっと水気が多かったかなぁ」なんてことで一喜一憂。毎回蓋を開けるのが愉しみなので、毎日毎日食べきる量ぐらいを炊いています。
次によく作るのが味噌汁。赤村の小林ひさえさんという人が仕込んだ「特上味噌」を主に使います。「天草の天然塩とにがりを利用した特上味噌、限定100個」の文字に見事に乗せられたのですが、確かに美味い。煮干で出汁を取って、野菜をしこたまぶち込んでいい味になった時には「ビバ発酵食品!」と一人で叫んだりしています。危ないですね。
気が付けば摂取している動物性淡白は煮干のみのことが多いです。後は、ウーフ先でもらう傷物の有機野菜、特産センターという直売所で仕入れる豆腐やシイタケ、その他の新鮮な野菜たちが食卓に並びます。野菜の味がこれほどしっかりしたものをたくさん食べていると、肉だ魚だといったモノが欲しくなりません。
石草窯という陶芸家の母ちゃんである次子さんからは切干大根だとか菜の花のおひたしだとか、キムチだとか手作り品をしょっちゅうもらいます。これがまた美味い。
食生活が変わったからなのか、今のところ花粉症がそれ程ひどくないのも嬉しいことです。自分の食生活を通して「やはり農村空間に豊さの源泉がある」とたびたび思ってしまいます。赤村の定住農耕の食、とってもシンプルですが、かなり贅沢です。次のステップは自分で育てた野菜が食卓に出てくることかな?

cf: 『オーガニックベース』の書評

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