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2007年07月 アーカイブ

2007年07月03日

食の安全性


最近、巷では食の安全性がまたもや取り沙汰されている。
牛肉ミンチに豚肉や鶏肉を混ぜただの、賞味期限が切れている原料を使っただの。

コロッケ好きの人は怒っているらしい。
そりゃぁ、怒るだろう。
自分が食べていた牛肉入りコロッケが、実は豚肉入りや鶏肉入りだったのだ。
食品企業が信頼して買ってくれている消費者をだますとはなんたることか、と。

僕はしらけた眼でこの一連の報道をつまみ食いしている。
もっと注目すべき食品の安全性や安心のネタはあるだろうに。

これを機会に、嘘っぽい食品について、もっともっと議論をした方が良い。

私たちが、ミルクだと思ってコーヒーなどに入れてかき混ぜている小さなカップ容器の代物は、ミルクとは全く違うものだ。
「コップの植物油脂と水に乳化剤を入れてかき回すと、あら不思議。一瞬で白い液体に。クリームらしくするため絡めるで尺食指、増粘多糖類でとろみをつける」、
すると何だか良く分からないものの組み合わせが私たちがミルクと思って使っている物質に変身するという(p32)。

蕎麦や刺し身に使う練りワサビ。「本わさび入り」と書いてあり、原材料名には「西洋わさび」と書いてあるそうだ。
チューブ入りのわさび、その多くが実は混ぜ物らしい。「西洋ワサビとは、東欧原産の「ホースラディッシュ」で色は白。肉料理の付け合せに使われる。これを、同じアブラナ科で日本原産のワサビと混ぜ合わせ緑に着色。辛味が飛ばないよう油を、チューブから滑らかに出るよう増粘剤を添加する。食感をよくために食物繊維を入れることもある」ということだ。
原料のワサビの内で、本当のワサビが50%未満だと「本わさび入り」、50%以上であれば「本わさび使用」と明記できるという(40-41)。
(以上『食卓の向こう側 4 輸入・加工 知らない世界』西日本新聞社 2004年 からの引用)

以前とある講演会では、こんな話を聞いた。
海外(主に中国)から輸入されてきたワラビなどの山菜類はかなり強い塩漬けの処理をされた状態で入ってきて港に野積みされている。
形だけは残っているが、色がまばらになっている。そこで何をするか?
一度、漂白をかける要領で脱色する。脱色したものに今度は着色料を使って着色する。
以前から僕は「何でわざわざ不味そうな色に着色するのだろう」と思っていたが、なるほど、「着色せざるを得ない原料を使っている」ということなのだ。

遺伝子組み換え食品も食の安全安心という観点から考えても恐ろしい。
ジャガイモにクモだとかネズミといった全く別の生物体の遺伝子を組み込むとか。
遺伝子を組み替えて除草剤を浴びても枯れない大豆を作る。残留農薬や土地の破壊といったことにもつながる。
また、日本は遺伝子組み換え食品の表示規制が緩く、知らず知らずのうちに僕らは組み替え食品を摂取している可能性は大いにあり得る。
5%以下の混入は許容され、醤油や油などには表示の義務がなく、原材料に書いてある順番(重量順)の3番目以内で、重量の5%以上でなければ表示の義務がないという。
長年摂取し続けて、後々「いやぁやっぱり遺伝子組み換えはダメでした。人間に影響が出ます」なんてことになりかねない。

牛肉と豚肉を混ぜていたぐらいのことで、そんなに大騒ぎするならば、
もっと大々的に騒いだ方が良いことがありそうなものだ。

自分たちがどれだけ、マガイモノの食に曝されているか。その中で、心身に良い食を見抜き選択していく力が求められる社会になってしまっている。

2007年07月24日

20の私  Who am I?

先日「懐かしい未来ワークショップ」というものに参加してきました。
懐かしい+未来
どういうことなのだろう?

ナカナカ刺激的で示唆に富んだワークショップでした。

afuture1.jpg

報告は別途します。
参加に際して書いた 20の私 Who am I ? を公開します。
というのも、せっかく書いたのだが手違いで当日生かせなかったため。。。

1、私は、後藤 彰(GOTOH Akila)です。職業は「あきらごとう」です。

2、私は、いろいろなことに興味があります。食、農、自然、音楽、コミュニティ、知的生産、身体性などなど。

3、私は、手のこった料理はしませんが、食材にはこだわります。旬、新鮮、育ち方、作り手など、トータルに質の良いものを取り入れたいと思っています。
                       
4、私は、100%自給は目指しませんが、ほどほどの自給をできたらと思っています。田んぼ2枚(イセヒカリ・赤米)、自給程度の野菜に育ってもらっています。

5、私は、赤村という田舎に暮らしているので、天候や季節などに敏感になってきました。自然からもっと学ぶことがありそうです。

6、私は、音楽を聴くことも好きですが、好い加減に演奏することも好きです。ディジュリドゥーを時々自分のチューニングのために吹きます。ホーミーも自分をチューニングします。密かに、ギターも始めたいと思っています(未着手)。

7、私は、「共に生きる」、「お互い様」、「持ちつ持たれつ」ということを基盤にしたコミュニティ、人とのつながりが大切だと思っています。

8、私は、本を読むこと、考えること、書くことが好きです。a-perspectives.net というHPサイトを友人と構築し、その空間での表現を心がけています。

9、私は、半農半スロービジネス&ゆっくり村を目指しています。オルタナティブな生き方、いのちのあり方、暮らしのあり方を実践しながら発信し、多様で多彩な人々を巻き込みたいと思っています。が、まだまだ実体がありません。これからどう創るか模索中です。

10、私は、 Pleasure of life ライフの快楽ということが大切になってくると思っています。ライフには、いのち、人生、暮らしといった意味が込められており、それが丸ごと愉しいということ。そして、それは他者がいて初めて成り立つことです。

11、私は、田川郡赤村という小さな村のどん詰まりの集落に住んでいます。築50年の空家に手を入れ住んでいます。薪風呂、井戸水、雨水タンク、冷蔵庫なし。散らかっていますが、居心地は良いです。

12、私は、日々、田畑を整備しながら、稼ぎ仕事もしながら、基本的に愉快に、時々不安に陥りながら暮らしています。

13、私の対外的な肩書きは、「あきらごとう」以外に、ウインドファーム(フェアトレードコーヒー会社)スタッフ、スロービジネスカンパニー(SBC)スタッフ、ゆっくり村プロジェクトチーフがあります。村の中では謎めいた存在です。

14、私は、以前、1年9ヶ月ほど日本の農村を駆け回っていました(200以上の旧村)。「豊かさの源泉は農山村にあり」と強く思うようになりました。

15、私は、生きることそのものがアートになり得ると思っています。beartというコンセプトでブログやHPも書いています。

16、私は、John Lennonの音楽、Ashes and Snowというアート、岡本太郎の作品、長倉洋海の写真、などなどが好きです。

17、私は、玄米食を実践しています。1年以上経ちますが、身体がいろいろな変化を見せています。

18、私は、こう見えても元体育会系です。小~高までサッカーをずっとやっていました。未だに「自分には基礎体力がある」との根拠のない自信があります。

19、私は、わたしです。

20、私は、皆さんと交流し、いろいろな刺激を受け、学び、何か新しい発見をしたいと思いこの場に参加させてもらいます。よろしくお願いします。

2007年07月30日

懐かしい未来 ancient futures

もう1週間以上が経つが、先週「懐かしい未来ワークショップ」という2泊3日の企画に参加させてもらった。
「懐かしい」と「未来」 ancient futures というそれ自体対をなすような矛盾した語彙の組み合わせがこれからの社会の鍵を握る。
「懐かしい未来」を考えるということは、すなわち「私たちがこれから創りたい社会」を考えるということだ。
何故、まだ見ぬ未来ではなく、懐かしい未来を考える必要があるのか?
今の社会的な認識、人々の実践、生活様式、考え方などなど、多くが破壊的かつ破滅的な未来につながっているからだ。

ancifuture2.jpg

自然は無限ではないが、その資源を枯渇させんばかりに浪費していること。
誰のものでもない空気や大地、海や川を後先考えない経済活動で汚染し続けること。
大量に作り出して大量に廃棄するスタイル。
独り占めの発想から他者を蹴落としてでも経済的に優位に立とうという姿勢。
「共に生きる」何て言葉は鼻で笑って、自己責任で生き抜くモード。
このまま行くと、未来は明るくなく、破滅的だ。
危機意識を持っている人は、これからの10年で地球の命運が決まるという。
そんな問題意識で懐かしい未来合宿が始まった。

KJ法という手法を活用しながら、それぞれの参加者が考えていることを出し合いながら、懐かしい未来像を創っていく場面もあった。
その時の成果物がこの写真の図解だ。

ancifuture1.jpg

面白い話があった。
左下の文字に眼を向けて欲しい。皿の上に虫が三匹。
「こ」
という易だそうだ。
想像するだけであまり好ましくなさそうな状況。だが、これは好転の兆しなのだという。
虫が悪いものを食べ、腐らせ、分解して、次の新しいいのちの誕生の土台を創るという自然界のプロセスに焦点を当てている。腐敗と新たな創造という意味が込められてもいるというのだ。
老荘思想の「陰極まりて、陽となる」といった話も出てきた。
そういった話をベースにしながら、
自然や、人、社会との「つながり」
受け取るだけではなく、創り出す「文化」
生きることにもっと眼を向けた「ゆとり」
そして全てを包み込む「愛」といったことがキーワードとして挙げられた。

僕が「懐かしい未来」というフレーズから感じることは「つながり」ということだった。
作物を育てること、田畑に働きかけることで感じる「自然とのつながり」。このつながりがなければ、いのちをつないでいく食べものが得られない。
あなたがいて、私がいるという相互依存の関係性、「人とのつながり」。弱肉強食、何が何でも一人で生きるというのとは別の方向性だ。お互いさまということ。
具体的かつローカルな場所と空間の中でしか人間は生きていないということ、「地域とのつながり」。人とのつながりも心地良いお題目ではなくて、面倒なこともひっくるめて地域で生きるということ。
これは、僕が赤村という農山村に住み始めて愉しさも煩わしさもひっくるめながら感じていること。これらを感じ、考えると「いのちが生かされている」ということが単なる常套句ではないものとして実感できる。
「いただきます」と食事に手を合わせること、「ありがたい」と感謝すること、そんなシンプルな感覚をどこかに置いて来てしまったことが、現代社会のひとつの問題点なのだろう。「私だけよければ」という「つながり」が切れてしまっている発想が、環境破壊、消費主義の蔓延、自然や他の社会からの搾取といったことにつながっている。
懐かしい未来は、「つながり」を意識しなおすこと、体感して取り戻すこと、気が付いて実践的に紡いでいくことから始まる。そんなことを強く思う。

ancifuture3.jpg
「懐かしい未来食」と称して、アースオーブンで美味しいピザを作ってくれた。思い出すだけで幸せになる美味しさだ。

こういった懐かしい未来のイメージを各人が持ちながら、各人のフィールドや地域で地に足の付いた形でどれだけのことを考え、模索しながら実践していけるかが大切だと思う。
僕は今いる赤村という農山村からどんな懐かしく新しい未来をソウゾウしていこうかと、良い刺激を受け取った。
あの時間と空間に素直に感謝。

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