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懐かしい未来 ancient futures

もう1週間以上が経つが、先週「懐かしい未来ワークショップ」という2泊3日の企画に参加させてもらった。
「懐かしい」と「未来」 ancient futures というそれ自体対をなすような矛盾した語彙の組み合わせがこれからの社会の鍵を握る。
「懐かしい未来」を考えるということは、すなわち「私たちがこれから創りたい社会」を考えるということだ。
何故、まだ見ぬ未来ではなく、懐かしい未来を考える必要があるのか?
今の社会的な認識、人々の実践、生活様式、考え方などなど、多くが破壊的かつ破滅的な未来につながっているからだ。

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自然は無限ではないが、その資源を枯渇させんばかりに浪費していること。
誰のものでもない空気や大地、海や川を後先考えない経済活動で汚染し続けること。
大量に作り出して大量に廃棄するスタイル。
独り占めの発想から他者を蹴落としてでも経済的に優位に立とうという姿勢。
「共に生きる」何て言葉は鼻で笑って、自己責任で生き抜くモード。
このまま行くと、未来は明るくなく、破滅的だ。
危機意識を持っている人は、これからの10年で地球の命運が決まるという。
そんな問題意識で懐かしい未来合宿が始まった。

KJ法という手法を活用しながら、それぞれの参加者が考えていることを出し合いながら、懐かしい未来像を創っていく場面もあった。
その時の成果物がこの写真の図解だ。

ancifuture1.jpg

面白い話があった。
左下の文字に眼を向けて欲しい。皿の上に虫が三匹。
「こ」
という易だそうだ。
想像するだけであまり好ましくなさそうな状況。だが、これは好転の兆しなのだという。
虫が悪いものを食べ、腐らせ、分解して、次の新しいいのちの誕生の土台を創るという自然界のプロセスに焦点を当てている。腐敗と新たな創造という意味が込められてもいるというのだ。
老荘思想の「陰極まりて、陽となる」といった話も出てきた。
そういった話をベースにしながら、
自然や、人、社会との「つながり」
受け取るだけではなく、創り出す「文化」
生きることにもっと眼を向けた「ゆとり」
そして全てを包み込む「愛」といったことがキーワードとして挙げられた。

僕が「懐かしい未来」というフレーズから感じることは「つながり」ということだった。
作物を育てること、田畑に働きかけることで感じる「自然とのつながり」。このつながりがなければ、いのちをつないでいく食べものが得られない。
あなたがいて、私がいるという相互依存の関係性、「人とのつながり」。弱肉強食、何が何でも一人で生きるというのとは別の方向性だ。お互いさまということ。
具体的かつローカルな場所と空間の中でしか人間は生きていないということ、「地域とのつながり」。人とのつながりも心地良いお題目ではなくて、面倒なこともひっくるめて地域で生きるということ。
これは、僕が赤村という農山村に住み始めて愉しさも煩わしさもひっくるめながら感じていること。これらを感じ、考えると「いのちが生かされている」ということが単なる常套句ではないものとして実感できる。
「いただきます」と食事に手を合わせること、「ありがたい」と感謝すること、そんなシンプルな感覚をどこかに置いて来てしまったことが、現代社会のひとつの問題点なのだろう。「私だけよければ」という「つながり」が切れてしまっている発想が、環境破壊、消費主義の蔓延、自然や他の社会からの搾取といったことにつながっている。
懐かしい未来は、「つながり」を意識しなおすこと、体感して取り戻すこと、気が付いて実践的に紡いでいくことから始まる。そんなことを強く思う。

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「懐かしい未来食」と称して、アースオーブンで美味しいピザを作ってくれた。思い出すだけで幸せになる美味しさだ。

こういった懐かしい未来のイメージを各人が持ちながら、各人のフィールドや地域で地に足の付いた形でどれだけのことを考え、模索しながら実践していけるかが大切だと思う。
僕は今いる赤村という農山村からどんな懐かしく新しい未来をソウゾウしていこうかと、良い刺激を受け取った。
あの時間と空間に素直に感謝。

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2007年07月30日 23:38に投稿されたエントリーのページです。

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