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「いのちの食べかた」考

「いのちの食べかた」という映画がある。
原題は Our Daily Bread だ。
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先日、上京した際に見る機会を作った。
劇画的にビックリした顔をしている自分がいた。
「うわぁ~」「げげっ」っと、正に口があんぐり、
しかめっ面、表情が歪んでしまう。
そのぐらい、衝撃的な映像のオンパレードだった。

田舎に暮らし始め、田畑に働きかけるようになって「食べものはいのちをつなぐ源」ということが腑に落ちている。
今日食べた菜の花、ブロッコリー、大豆入り玄米、梅干、それらが、僕のいのちをつないでいく。
ほとんどが、目の前の畑で採れたものや顔の見える人からもらったもの。

他方で、工業化された食品工場にて、さまざまなものが作り出されている。
恐ろしいことに、日々私たちが口にして、生命を維持していく糧がどんなことになっているのか、余りにも見えていない。

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大量生産前提の野菜はもとより、畜産もかなり大規模化、工業化がなされている。
ブロイラー(食肉用の鳥)の雛はベルトコンベアーで扱われ、雛の段階で口ばしを「ジュッ」っと焼き落とされる。
ストレスで自分自身を突いたり、隣の鳥を突いたりしないためだと聞いたことがある。
と蓄・と殺された、ブロイラーは逆さに吊るされて「首をはねる」「尻尾を切り落とす」などの「精肉行程」を巡り製品になっていく。
驚くのは、その均質さ。一羽一羽が、見事に規格にはまった大きさ、筋肉の付き方なのだ。
吊るされて解体ラインを回ってくるブタの姿も見事に均質だった。
食品に加工されるいのちに個性は必要ないということだろう。
また、肉牛の筋肉の付き方がとても異常に見えてしまった。異常、というか、不自然、というか。
筋肉増強剤をイメージしてしまう。

「モノ化」している。その扱い、製品まで仕上げる細切れのプロセス。
「食べもの」を通り越して、モノ。
そのモノを扱う、そこで働く人の淡々とした表情。
徐々に慣れていくのだろう。いのちではなく、モノを扱うことに。
その影に、経済のグローバル化とそれに伴う食のグローバル化が蔓延している。
「安い、簡単、きれい、便利」という価値観と食の結びつき。
巡りめぐってモノを扱う労働の現場。

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暗澹たる気持ちになりつつも、これは遠い海の外の話ではないことにハッとする。
映画の中のフィクションではない世界だ。
毎日身体に摂り入れる「モノ」を生み出す現場はココ日本にももちろんある。

日本の1世帯が費やす食料費の平均は年間およそ80万円で、その内18%が外食、中食と言われる惣菜や弁当などの調理食品が10%、加工食品が42%、生鮮品が30%と言われている。
70%の大方が工業的な業務を経た「食品」ということになる。
そこで優先されるのは低価格、大ロット、流通利便性、生産効率性だろう。

自分のいのちが何によってどうつながれているか、そんなことに向き合わされる。
そして、やはり顔の見える関係や自分がケアできる土地の中から育ってきた食べ物を美味しくいただきたい。
そのことがある程度出来ている贅沢さを噛み締めたい、と強く思う。

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2008年04月04日 22:22に投稿されたエントリーのページです。

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