今の社会は「お金」が大きなモノサシになっている。
行動、考え方、人との関係、仕事、などなど。
いろいろな物事を「お金」というモノサシで計る。
そして、人は判断しているようだ。
「お金のいらない国」を読んでいると、そのモノサシがない社会に
想像力を刺激される。
お金というモノサシが無かった場合、人は何をモノサシにするのだろうか?
よく「お金中心ではない考え方」「利益追求ではない仕事」
「カネを追い求めない」といったフレーズを聞く。
その感覚には大いに共感する。
けれども、その先に何を見るかが大切だと思う。
上記のフレーズではお金を批判的に見ているけれども、
別のモノサシまでは提示できていない。
で、結局は何を大切にするの?というところ。
これが案外難しい。
「安心感」
「穏やかさ」
「美しさ」
「たのしさ」
「こころの平和」
「お互い様で笑って暮らせること」
「地球として持続可能であること」
僕の中で思いつくものを羅列すると上記のようになる。
全てが数値化できないもの。
モノサシ=スケールにはなり得ないのかな?
お金のいらない国では、仕事は「社会への奉仕」ということになる。
お金のモノサシはない。
この「社会」あるいは「より良い社会」への共通認識がある程度なければ、
はやり、個々人は好き勝手に振舞うだろう。
お金が無くても「たくさんのモノを所有したい」
「手間隙を省いて快適な生活をしたい」といった
欲望には歯止めがないかもしれない。
快適さが欲しい⇒オール電化⇒原発増設
たくさんのモノが欲しい⇒大量生産大量廃棄⇒環境破壊
なんてことにもなりかねない。
そんなことを考えていると、
「これで充分」という感覚
「未来世代や未来の地球のこと」も考えられる感性
広い視野で「より良い社会」を思考する力
お金というモノサシを取っ払った時、そういったものが大切な気がしてくる。
最近の異常な暑さ
原油の高騰
生き辛さ感覚の社会への蔓延
そんなことを見聞きしながら
シンプルな暮らしのあり方、いのちのあり方を考え
実践してみたいと思う。
「これで充分」とつぶやきながら。

庭のトマトが赤く熟すにはまだ一時の時間が必要なようだ。