食べる 食べない
大分前のことだが、代替医療関連の事典の下訳をやったことがあった。
断食ということは、その時初めて知った。
まさか、自分が率先して断食をやるとは思いもしなかった。
それも、3年連続で大晦日と正月に。
2年間は断食道場に行ったのだが、今年は赤村の住居にて断食。
大晦日も正月もさしたる予定がなく、
放っておくと何か仕事を作ってしまいそうな雰囲気だった。
そんな時に友人から「断食すんなよ~」という何気ないメール。
「あ、そうか、断食すりゃぁ良いんだ」と背中を押された気がした。
そろそろ1年経つし、肌がガサガサしてきたし「断食をしたい」という気持ちはあった。
が、いざ、一人でやるとなるとナカナカ怖いものがある。
でも、やることもないし、良い機会だと思い、いろいろリサーチを始めた。
「断食が面白い」ということを知ったキッカケとなった人のブログを読んでいると
何となくやり方が分かった。
その人の方法は「座禅断食」というもの。
座禅を組みお経を唱えることと断食を並行してやるのだという。
座禅にも興味があったが、その方法ではどうやら下剤を掛けないらしい。
いざ、ということで、大晦日から断食開始となった。
「食べない」ということは、改めてとても能動的な行為だと思う。
食べないことを通じて、普段如何に「食べる」ということが
生活の中で大きな位置を占めているかを思い知る。
「食べない」という行為の中では、時間がゆったりと流れる。
時間の流れも「食べる」ことが中心ではなく、「食べない」ことが中心になる。
食べない行為と並行して、ひとり僕は本を読む。
普段あまり時間を取れず、放りっぱなしになっていた小説たち。
薪ストーブの横で、小説を読んではまどろむ。
幸福な時間。
自分と向き合い、思考を巡らせる。
1年の振り返りと1年の展望をしっかり考えようと思いつつ、
食べない中では思考も若干鈍るのか、あまり上手くはいかなかった。
念願の山篭りでもしているかのような気分だ。
暖を取る薪と水分補給用のびわ茶、ミネラル補給用の塩。
そして、たっぷりの時間と本。思索。
丸2日間食を断ち、3日目に重いからだで調理を始める。
昆布、煎り玄米、畑直送の大根をコトコト煮る。
さて、断食明けの食事だ。
リサーチした通りに、水をコップ2杯噛みながら丁寧に飲む。
その後に、ようやくフロフキ大根の煮汁を飲む。
煮汁には、梅干を2粒入れる。
一口飲んだ瞬間の味わいの深さ。
素材の味が暖かくからだとこころを包み込む。

さっきまで痛かった頭、膝、腰。嘘のように力が全身にみなぎってくる。
「ああ、僕は食べものからエネルギーをもらっているんだ」と正に実感する瞬間。
煮汁の後は、フロフキ大根を味噌で食べる。
庭の畑直送の大根は生命力に溢れている。
暖かい大根と並行して、カブ、ニンジン、ダイコンなど
繊維質の多い野菜を生で食べる。
何よりも、味噌を付けると美味い。
1食目は、フロフキ大根と生野菜。
これを腹一杯食べると、胃腸が動き出してくる。
下剤を掛けたかのような胃腸のダンス。
繊維質が胃腸を洗い流してくれているかのような状態になる。
宿便とまではいかなかったが、胃腸のリセットが出来た。
その筋の話によると、3~4ヶ月経ったところでもう一度断食をすると、
更なる胃腸のリセットが可能になるらしい。
今回一人で実施できたことだし、
3ヶ月後ぐらいにもう一度やってみるかな、という気になっている。
初めから1人で断食をするというのはハードルが高い。
僕も2回経験しているベースがあって出来たこと。
軽い気持ちでお勧めはしない。
けれども、「食べない」というリアルな行為。
食べもののエネルギーが自分に満ち溢れてくるという感覚。
生きることと直結した、「食べない」「食べる」という行為への意識。
一度味わってみると、癖になっていくかもしれない。
