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akamura slow village アーカイブ

2006年03月17日

赤村村民スタートラインに立つ

福岡県南部に位置する人口3600人ほどの山村、赤村。合併を拒み、独自に地域の運営を考えている自治体。水がきれいで蛍が有名。山に囲まれた盆地。農林業が基幹産業。350年の伝統を持つ大内田岩戸神楽があり、豪華な山車がうねる神幸祭も開催される。毎年、田植えや稲刈りの体験イベントも組まれている。人口は微減しており、周辺の市町から合併の声もかかっている。何とか現状を打開したいという想いを村の人々は持っているようだ。
06年2月末に僕はその赤村の村民になった。

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1年9ヶ月掛けて日本全国の農山村を駆け回ってきた。冗談で言い始めた「移動遊牧」が本当に僕のライフスタイルを体現していた。生涯現役で愉しそうに働き、生きる人々とそれを支える農村空間に出会ったり、「5年後にはここの集落は消滅するだろうなぁ」と達観したじいさんに出会ったり、「日本の農村や農業にもう未来はない!」と断言する農家と言い合いになったり、いろいろな出会いや発見があった。そのプロセスの中で感じたのは「豊かなライフ(いのち・暮らし・人生)の可能性は農村空間にある」ということだった。豊かな食生活と多様な文化、ゆっくりした時間の流れ、人と人とのつながり、人と自然との関わりなどが僕には魅力的に見えた。
農山村の地域づくりに必要なのは「ワカモノ」「バカモノ」「ヨソモノ」のエネルギーだといった話も聞いて、僕は農山村に入り込みたい気持ちを抱いていた。農山村を駆け回り、移動遊牧はするが、土地に根ざせない「観察者」であることにも少々疲れていた。いつかは半農半Xを実践したいとの想いが募っていった。そんな時に、「赤村でゆっくり村という持続可能で豊かで愉しいコミュニティを企画・運営していくスタッフとして福岡に来ないか?」という心踊る話が中村コーチョーから突然の電話で舞い込んだ。「ゆっくり村では問題ではなく、答えを生きることがひとつのテーマになる」との言葉にも惹かれた。望む「変化」「オルタナティブ」に自分自身がなる、be the change/alternative を体現できると思い、僕はその話に乗ることにして会社も辞めてしまった。
赤村では、村側からのサポートもあって巨大な豆腐工場跡地を利用できること、地元で30年有機農業に取り組んでいる人のネットワークがあること、年間で20万人の観光客が来ることなど贅沢すぎるような条件が揃っていると言われていた。あるいは、過大な希望を抱いていた。僕は意気揚々と追い風を感じながら2月16日に赤村に居候をしながら滞在を始めた。
しかし、僕が赤村に居候を始めてすぐに風向きが変わってきた。その朝、Yさんが車を運転しながら不吉な夢の話をする。「今朝、嫌な夢を見たんよ。Nさんと二人で後藤君を赤村に迎えに行く途中なんやけどね、いきなり雪が降ってきたんよ。それから急な坂を上っていたら途中で車が止まってしまったんよ。そしたら車がすごいスピードでバックし始めてさ、ハンドブレーキをいくら引いても全然効かんで『うわぁ~』って叫んでいるところで目が覚めた。不吉やねぇ~」。なんと、その不吉な夢が現実にはみ出してくる。
拠点になる空間と考えられていた豆腐工場跡地は消防法の関係で防火設備を整えねばならず、1500~2000万の費用がかかってしまうという。「消火器20本ぐらいで大丈夫かと思っていたら、全面工事が必要と言われて参っています」と役場の担当者。さすがにそこまで予算を組むことは借りるほうにも貸すほうにも出来ない。確実だと思われていた拠点が使えない。
さらに、住居として空き家を探しており、2軒ほど有力候補があったのだが「こちらとしては急いで貸す必要はない」「人に使ってもらえた方が傷まないし良いと思っているのだが、兄弟の合意を得られない」とどちらもダメだった。空いている家があるのに、住む場所がない。
拠点も使えない、空き家も借りれない。「ここまで話を詰めてきてなんなんだコレは?別に赤村じゃなくても良いんだから、他でやることも考えるか。種子島でも有力な話があるんだ。一度白紙に戻すか?」といった赤村撤退を視野に入れた考えまで僕の頭には浮かぶ始末。
会社を辞めてまでやってきた、自分がライフスタイルのモデル創りをしようと考えてやってきた赤村という農村空間。「初めから順調なよりも、いろいろな限界を突破して物事を立ち上げた方が面白い」と自分に言い聞かせながら、「何てこった、こうなったら自由気ままな旅にでも出ようかなぁ、もうどうでも良いやぁ」なんてことも頭によぎる。
期待していたように物事が動かないことも多い村の中で、「あ~あ」とつぶやきながら僕はいつも自分が「今ここ」にいる目的を思い返す。「農村空間は豊かさの源泉」だったはずだ、と。自分はそれを味わい、人と共有し、発信したいと思ってやってきたのだ、と。
そんな想いが通じたのか、事態が好転し始めた。草木染め木工という独特の世界を持つアーティストのUさんが「昔カフェをやっていた場所を使ってもらって構わないぞ」と言ってくれたのだ。小高い丘に建てられた古民家風の素敵な物件。さらに、「木工の工房の横に一部屋空けられるスペースがあるから、そこを当座の住居にしたらどうか?露天風呂だし良い所だぞ。なんなら、昔使っていた隣町のアトリエもだいぶ荒れているけれども手を入れれば使える。畑も近くにあるからやりたければ使いなさい」と至れり尽くせり。カフェの場所はほぼ浦野さんの空間で決まり。僕はその空間の一室に住むことになった。さらに、当初カフェオープンを考えていた場所の利用も許可が出そうな情勢になってきた。赤村に興味を示すワカモノもチラホラいる。実に心強い。

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これが「僕の」家。といっても、間借り。

僕は村民として住民票をスローライフランド風の杜(Uさん命名)に置いている。キッチンは昔カフェで使っていたから充実した設備、風呂は薪で沸かす露天風呂(雨の日と寒い日は考え物だが)、すぐ近くに人家がないので夜でも歌ったり、踊ったり、音楽を聴いたりし放題、すぐ近くに「昔畑を作っていた」という小さな土地もある。「何て贅沢なんだ」とつぶやきながら僕はここでライフを組み立てていこうとしている。「こんなに何から何まで揃っていて、バチが当たらないだろうか?」と不安になるぐらいだ。
何はともあれ、長い移動遊牧とその後の居候生活を脱して、住む場所を借りてライフを組み立て、農的営みもできそうだ。赤村でやりたいこと、僕がライフの中でやりたいことはたくさんある。「水田と畑を1反づつぐらいやってみるか?やるなら農地は確保するぞ」「赤米を作付けしたいのだけれど、管理をやるか?」と農家から言われたり、「水田をやるなら、田植えのイベントを打とうか」といった話も仲間内から出てきている。これから春に向かい、田植え、新酒の発表会、GWに開催される祭行事など村のイベントも活気付いてくる。地元学的な調査やゆくゆくは赤村食の文化祭の企画なんかもやってみたい。カフェではライブや映画上映なども仕掛けたい。定住地が明確になったことで、そのスタートがようやく切れそうだ。この豊かさと愉しさは一人では持て余すから、ぜひ皆さんと共有したい。
「赤・ゆっくり村便り」を媒体に、皆さんにもいろいろな報告をお裾分けしていけたらと思っています。興味があったら、社交辞令ぢゃなくて赤村にぜひとも足を運んでください。

2006年03月23日

植樹~森へつながるか?

里山
なんとなく、惹かれるフレーズだ。
赤村にも里山があるのだろう、どこかに。
というのも、赤村の山は竹、杉、檜、椚が相当植わっている。
「秋口にはイロイロな葉っぱの色が見れたから、広葉樹林もあるはずだ」と農園で一緒に仕事をする友人は言うが、僕は実感としてそうは感じていない。
竹だらけ、杉だらけという印象が強い。
とある爺さんの話だと竹はここ50年ぐらいではびこった、杉もここ50年で山を埋め尽くしたということだ。50年前には竹は貴重で、たけのこの取れる林を持っている人はある種のステータスも一緒に持っていたらしい。ところが、その竹が徐々に増え始め、手入れが追いつかなくなり、あっという間に山を覆いつくしている。
50年前には杉は高く売れた。炭鉱夫が住む住居の建築材として小さくてもいいから木材が引っ張りだこだった時期があり、山の持ち主は一斉に杉を植えたのだ。が、時が経つにつれて杉の値段はガタ落ちし、今では立派な立ち木が1000円ぐらいの値段にしかならない。間伐や枝打ちのコストの方がはるかに高いということになる。
そんな山を見ながら小さな小さな植樹活動をしてきた。山桜、モミジ、ハゼなどの苗木を観光客が通る道ぶち計3箇所に計17本植樹してきた。70代の爺さんたちが主なメンバー、そこに20代の僕が一人。しかし、爺さんたちが働く働く。苗木を植える穴掘り、苗木運び、苗木を支えるくい打ち、下草刈りなどなどテキパキと動き回る。「青年、杭を打ってくれ」何て言われながら調子に乗ってガンガンとハンマーを振り下ろしていた僕は、後日肩が痛んで仕方ない。僕の1.5倍ぐらいは動き回る百姓の爺さんたちは本当にたくましい。

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差し入れされたシカ肉と一緒に昼飯を食いながら発泡酒を飲み、村の話題をとめどなくする。そんな中で、50年前はこの杉で覆われた山は牧草などを育てていた山だったことが分かってくる。50年でそんなにも変わるのか、と思ってしまった。スケールの大きな話だが、時間を経て変わるということを杉山を見ながら考えてしまう。

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50年後にこの山を人々が喜んで入りたがり、山野草や木の実なんかをもたらす豊かな森に囲まれた里山に変わらないだろうか、と。

2006年03月26日

バルーン 気球

前日の夕方に電話が入る。
「ごと~君、トロッコの会の人が明日バルーンを上げるらしいんだけど、加勢に来てくれ」と。植樹の加勢にも行って顔つなぎも出来たし、「バルーンって何だ?」とよく分からないままに「顔つなぎ」もかねて参加することにした。朝7時から。
行ってみてビックリ。バルーンとはアドバルーンではなくって、気球のことだった。
初めて近くで見る。デカイ。
ガンガンプロパンガスを燃焼させて気圧の差で宙に浮く。
風のない時間帯を選び、朝7時半から2時間半ぐらい来場者を3人づつ乗せて気球は何度も上昇していった。

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加勢といっても大した仕事はなく「いろいろな人ととにかく交流してくれ」と気を使ってもらう。関係者ということで、気球にも乗っけてもらった。
下から見ている25メートル上空と、25メートルの上空から見ている景色はまるで違った。
やはり、田んぼが美しい。

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午後にも気球を上げる予定だったが、風が強かったためあえなく中止に。
午前中に乗っておいて良かった。
気球のプロジェクトはトロッコの会というトロッコ電車を走らせる村のグループが企画している。40~50代ぐらいのおっちゃんたちがメインメンバー。村の活性化を考えている。自分たちが愉しむというスタンスが心地よい。
村にはイロイロなグループがあるんですわ。

しっかし、気球ってすごい大量のCO2を出すんだよなぁ。。。
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2006年04月17日

スローカフェ クリキンディ イベントオープン

「なりゆきでここに居ます」
赤村でスタッフをすることになる4人が集った時に皆同じようにこんなことを言っていた。
そんな言ってみれば素人集団がカフェをオープンさせる。
とんでもない話だな。
不完全なところは多々ありながらも、何とかかんとかカフェをイベントオープンさせることができた。
15日。どしゃ降りの赤村で。
熊本から駆けつけてくれたフェアトレードつながりの人、博多から2時間電車に揺られて来たスロービジネス関係の人、久々に再会する人などなど。こういったお客さんに支えられてのオープニングだった。

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カフェの内装 エクアドルから取り寄せたハンモック・タペストリーが視界を埋める。

毎晩、夜遅くまで準備準備。昔、サッカーの試合にフル出場した時の様なふくらはぎの感覚。懐かしい。文化祭でもこんな雰囲気があったなぁ。

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大きく違うのは、これをビジネスとして回していくこと。
ミーティングに次ぐミーティングは頭が疲れる。けれども、しゃべりながら考える、考えながらしゃべるというプロセスの往復で物事が決まっていく。ブレストブレスト。
でも、素人だけではやはりムリムリ。
アクシデントから種子島行きをキャンセルしてカフェピトゥという移動カフェの青年2人組が強力・強烈な助っ人になってくれた。この2人がいなければ、スローカフェのイベントオープンもままならなかっただろう。毎日まかないを作ってくれた石草窯の次子さん、丸太の材料を提供してくれ、棚作りを全面的にサポートしてくれた石草窯の滋さんにも大感謝。本当に、人って一人ぢゃ何も出来ないのね。
糸島のミンミンさんにもいろいろなサポートをもらっている。
気持ちは焦るが、何をして良いかわからないというストレスのたまる状況の中で、皆それぞれがんばってたなぁ。
考えてみれば、「人と何かを一緒にやること」というプロセスがボクにとってはすごく久しぶりのことなのだ。チームプレイも良いもんだ。学びが多い。

2006年04月28日

田植え その1

田植えイベント

ゆっくり村というプロジェクトで無農薬米を作ることにした。
どうせ、農村にいるのだから、やってみなければ「もったいない」。
農業は時期との勝負。「どうしようかなぁ」なんて考えていて、タイミングを逃したら来年までチャンスは回ってこない。そう考えると、一年なんてアッと言う間だし、時間ってのもアッと言う間だ。
田植えは農作業の一大イベント。「一年に一度!」30年百姓をやっている人が「まだ30回しか田植えしたことがない」と言っていた。よ~し、自分もやってみるぞ。

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前作にはナスが植わっていた田んぼ。2日がかりで田んぼに戻す作業をした。徐々に皆口数が少なくなっていった。

赤村でお世話になっている鳥越さんにお願いして田んぼを作らせてもらうことになった。
始めは1反5畝を全て手植えでやるつもりだった。けれども、他の様々な仕事やカフェ業務などもあるから「悪いことは言わんキィ、紙マルチでしとき」と諭され「紙マルチ無農薬栽培」の田んぼにすることになった。
けれども、機械で植えて機械で刈り取る。「まー、植えてしまえば水管理と雑草対策ぐらいで他は何もしなくて良い。稲作りなんて楽ちんだ」とも言われた。けれども、そんなことで田を作っていることになるのだろうか?やるなら、しっかりやりたいなぁ、できれば全て手植えで、と思っていた。けれども、現実的にムリなので、一部分を手植えでやることに。3畝ないぐらいの田んぼ。
紙マルチの機械植えが26日だった。ものの1時間ほどで1反2畝ほどが植わっていく。これを全て手でやったらそりゃタイヘンだ、と思ってしまった。でも、畦からただただ機械が動くのを見ているだけの機械植え。やはり、それほど面白いものではなかった。

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再生紙に活性炭を塗りこんだマルチ。これで、雑草は発芽できないから、除草剤要らず(のはず)。

手で植える部分を残してもらい、いざ30日に手植えイベントを仕掛けることに。
といっても、赤村に来て2ヶ月。大した当てもない。ま~、人が来なければ、一人でサクサク植えるかぁ、オカモト工房君(赤友達)なら手伝ってくれるかなぁ、と思いながら募集をかけた。どのぐらいの人が来るか心配だったが、当日はなんのなんの総勢17名にもなった。

>>続く

2006年05月01日

田植え その2

30日を田植えの日と設定。赤村スローカフェは29日のオープン。メインスタッフのワタクシャが抜け出て田植え。何を考えているのだか。でも、長期的に見れば、カフェにもプラスになるはず、と思いイベントを仕掛けることに。
人数が集まるかどうかが心配だったが、何と飛び入りも合わせて総勢17名に。一番遠くからは横浜からの親子参加。赤村に興味を示しているという。嬉しい反面、人数が多すぎたらメインの田植えが30分ぐらいで終わってしまうのではないか、と内心冷や冷やだった。どうやって、きてもらった人たちに満足して帰ってもらえるだろうか?とカフェオープンのドタバタの中で考える。
前日に『食農教育』という雑誌に載っていた田植え体験に関する記事や田んぼと自然の「恵み」についての記事などを読みながらイメージを膨らませる。単に田植えをするのではなく、そこにどういった意味づけを出来るのか?そこから各参加者がどんな発見をしてくれるか、そんなことを想いながら当日に挑む。
まずは水路に足を突っ込んでもらい、山から来ている水がどれだけ冷たいかを体感してもらう。田んぼに入る前の儀式のようなものだ。足に意識と感覚を集中させて、田んぼを感じる感性を研ぎ澄ませて欲しかった。
日も強くなってきたし、いざ、田植え開始。
苗は1~2本ぐらいだけ植える薄植えにしてもらう。その方が、一本一本に栄養分がいくため、苗自体がガッチリしてくる。理論的にはそのはず。。。どうなるかは、今後の追跡調査に注目しよう。
手植えゾーンが狭いので、6人づつぐらいで植えようかと思ったが、参加者からの助言もあり、横一列に整列して一気に17人で植えることに。左右に間隔を取りながら「前向き」で植えることにする。しかし、参加者複数から「自分の足跡を平らにしながら後ろ向きに植えた方が良いのでは?」との意見も。後ろ向きに稲を植えていく。何だか、その発想がボクは好きではない。前向きにイキタイものだ。「前向きにイキましょう!」と半ば強引に決める。時々、自分が植えた苗を確認してもらいながら、なるべく真っ直ぐに植える。

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かなり強い日差しの中で、皆ちゃくちゃくと思い思いに苗を植えていく。元ナス畑はナスの残渣が腐りかけているのかところどころドブ臭を発していたが、泥に触れるのは何だか安心を僕らに持ち込む。
「刈り取るときには機械だからなるべく真っ直ぐに植えてください。ま~、機械で出来なければ手で刈り取りましょう」と話をする。が、思わぬ反応が。「機械キカイって、何言ってんのよ!こうなりゃ、手で刈ってハゼがけもしようよ!このぐらいの面積なら(1反4畝ぐらい)全部手刈もできるんじゃないの?」「そうだそうだ、どうせなら、天日干しの方が断然美味い米になるよ!」「脱穀もみすりも昔の道具でやる?」というわけで、ゆっくり米は相当スローな米になりそうです。。。
田植えをしながら、一粒の種籾から約1000粒の米が育つこと、稲3株でゴハン茶碗一杯分の米になること、茶碗一杯は3500粒ぐらいの米が入っていること、稲3株はおたまじゃくし35匹を育む環境を作ることなどを話す。百姓が田を作ることで、自然が自然になる。そこに虫やさまざまな植物が生息するようになる。まだまだ、ボクも実感がないけれども、言葉で説明しながらアメンボがウヨウヨ動く田の水面を眺めていると何だか心踊ってくる。
「前向き」に植え終わり、あっという間に昼食になった。赤村スローカフェ・クリキンディに頼んで作ってもあったオムスビ(大量に握ってくれてアリガトウ)、赤村の特産物センターに頼んだ惣菜。これには、なぜか惣菜のみで依頼したのにオニギリがたくさん付いていた。食べ切れん。「源じいの森」の無農薬栽培米を使った日本酒も振舞いながらの愉しい昼食。

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その後、タケノコ堀組みと温泉組みに分かれて、田植えイベントは流れ解散。多くの人がスローカフェにも寄ってくれました。アリガトウ。
久々に直射日光をたくさん浴びて、皆ちょっと疲れ気味でしたが、泥に触れる、作物に触れるという体験はやはり良いですね。
次は、草取りをイベントにしてみます。

2006年06月19日

「加工所の魅力は与えて、与えられる関係にあり」

とあるメルマガに書いた原稿再録

赤村の食について、今日は赤村の食を発信し続ける特産物センターの加工所を覗いてみよう。全国的に直売所が乱立しているのが現状で、その数は有人周年運営タイプでおおよそ2800店、4000億規模の市場だと言われている。乱立する直売所の中で特徴を出していくには農産加工が鍵を握る。弁当、惣菜、餅、お菓子、パン、漬物、味噌などなど。その地域のご当地加工品がウケルのだ。一年中安定して「あそこに行けば何かある」と思わせられるのも強みとなる。そういった加工をするのは農村の女性たち。それも、大抵が60歳以上の方々。60なんて若い方で、70でもバリバリ働く。そして、この母ちゃんたちが素敵なんです。

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新潟県上越市の朝市の風景 朝市は元祖直売

赤村の加工所は時々「裏食堂」と化す。仕事が忙しかったり、段取りが悪かったりで昼ごはんがないと言う時、僕は加工所に電話をする。「カクさ~ん。お昼ごはんあるかな?」「食べに来よるか?何人ね?何かかんかあるわい。はいはい、まっとるよ~」といった感じ。鳥越農園で働く仲間もちょくちょく利用している。
行くと加工所で作っている弁当のおかずモノの余りを様々出してくれる。ごはん、手作りコンニャク・ニンジン・半生大根の煮戻し・タケノコなどがたくさん入った煮ゴミ(筑前煮)、鯖のぬか味噌炊き、白菜漬けやキュウリのぬか漬けなどの漬物、掻き揚げ天ぷら、から揚げ、コーンコロッケなどなど。時には試作品も食べさせてくれる。おからの酢の物なんてのも食べさせてもらった。こないだ来た客人は「いやぁ、イチイチ美味いねぇ」と感激していた。赤村産の野菜を使い、村の天然水で炊事しているから、素材も良いし、何よりも母ちゃんたちの創意工夫と愛情が込められていて美味い。
「あんた、痩せとるきぃ、ここでたくさん食べて肥えなさい!」「こないだ、隣町まで餅つきの出前に行ってきたんよ。ば~さんたちでペッタンコペッタンコやってきたばい。今度は加勢にこんね?」「あんたまた何でこんな田舎に来たん?物好きやねぇ」「コーヒー屋(スローカフェクリキンディ)は何時まで開いとるんかね?今度みんなでいかんきゃねぇ」「あんた、ぬけ漬けするかい?するなら床分けするよ」なんて会話が弾む。
そんな話の中から僕もぬか漬けにチャレンジすることに。漬物桶を持って行ったら、ものの10分ほどでぬか床が出来てしまった。カクさんというか~ちゃんが何年も維持しているぬか床を気前良く分家してくれた。「一生モンだきね。自分で何時間つけたら美味しいかためしちょったら良いバイ」と。ぬか床にたっぷり入れた山椒の香りがイチイチ僕を幸せにしてくれる。
農村に定住すると、こうして「与えられる=ギブされる」ことが多い。そして、その関係にはほとんどお金が介在しない。ああ、僕は何をお返しできるかなぁ何てことを考えながら、やはり今日も何かをもらっている。僕に出来ることは労働力提供ぐらいかなぁ。この気持ちが手間返し=結の原型なのだろう。give and take 与えて、取る(奪う)という関係ではなく、give and given与えて与えられるという関係へ。

2006年07月09日

早朝仕事体験記

前に「与え、与えられる」という話を書いた。僕はもらっているばかりだ。その日も、昼ごはんを裏食堂でご馳走になっていた。「あんた、明日おばちゃんたち忙しいけん、加勢にこんね?」冗談だかほんとだか、カクさんがそう言った。
僕も深く考えずに、「あ、いそがしんだ。じゃ、2~3時間働きにこよっか?」「そーね。嬉しいわ。3~4時間加勢に来てくれるってさ」と。何故か僕の申告した時間よりも労働時間が増えて周囲のかーちゃんたちに伝わる。
「げ、ほんとに来ることになりそうだ。ま、2~3時間なら」と甘い考えの僕。
「じゃ、4時に来てね。まっちょるよ!!」かーちゃんたち爆笑。
冗談かと思っていたら、本気で朝の4時出勤だそうだ。
内心ムリムリと思いながら「起き次第来ますよ」と返答する。
「ゴトー君が明日4時に来るって言いよるバイ!」とカクさんは周囲のかーちゃんたちに大きな声で伝えて歩く。周囲も盛り上がる。
僕はもう腹をくくるしかない。やはり、数段ウワテだ。
というわけで、その日は早めに眠りに付き、気合を入れて次の日に臨んだ。
目が覚めたのが、3時50分。布団の中でちょっと油断をしたらいつの間にか4時20分。「やヴぁ」と叫びながら、そのまま原付で加工所へ。うっすらと空が青くなっている。すごくスガスガシクテ気分がいい。
早い人は2時からご飯炊きの準備をしているという。加工部かーちゃんたち勢ぞろい。
「ほ~、ほんに来よったね」「起ききらんって言いよったけど、起きれたんねぇ」と皆ニコニコ。
加工所の惣菜部は注文を受けて弁当を作っている。その日は、カラオケ屋の3周年だの運動会の弁当だのが重なり200個以上の弁当を作らなければいけない。それも、ほとんどが昼前までに。

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大量の弁当具材を弁当箱に詰めていく。から揚げ、煮しめ、漬物、ごはん、煮豆、酢の物などなど。「ほいほい、ここ卵ちゃん抜けとるよ~」「タッキーちゃん、煮しめはまだあるかい?」「天ぷらあがっとるよ~」「カクさ~ん。煮豆が切れたよ」「じゃ、(グリーン)ピースを甘く煮ようか。それなら間に合うばい」と、トニカク声掛けが基本の職場。
年季が入っている分、周囲に対する配慮というか自然な身のこなしというか、嫌味が全然ない、明るい、笑いが絶えない、機転が利く。ポッと現場に入った僕でもスムーズに働ける。
8時ごろ小休憩。朝食をいただきながら、「そろそろ帰れるかなぁ」と内心思いながらも終わる気配がない弁当詰め。目の前にはプラスチックの弁当箱が所狭しとならんでいる。「さ~て、もうひとがんばりしよっかね!」ということで、僕の手伝いも続行。結局、その日は朝4時半~12時半まで8時間加工所で手伝い仕事。
仕事後にはご褒美にビールと昼食をもらった。「ほんに、助かったバイ」「またきてねぇ~」「若いニイチャンと働くと元気になっていいことね」「あんた、はよ嫁みつけんしゃい」などなど愉しいやりとりが続く。
しっかし、よく働くかーちゃんたちだ。僕が帰った後は次の日の仕込みをしたり、漬物を漬けたりといった仕事をする人もまだあるとか。
60~70歳の人たちが主力ですよ。彼女たちが、赤村の「赤ん弁と」というある種のブランドを支えている。いやぁ、こちらも気合を入れなおさんといかんですね。
何はともあれ、一度ああいった時間を共有すると打ち解けるのが早い。それ以降、僕はしっかり「コーヒー屋のニイチャン」から「ゴトーくん」に格上げされていた。
数週間が経ったある日、カクさんから「あんた、昨日の日曜は忙しかったんよ。『今週の日曜は時間ありますけど、手伝いにきましょ~か?』とかって申告せんね?」と。「言われれば行く」というのでは、まだまだ甘いようです。やはり、先に与えないとですね。しかし、加工部かーちゃん、ウワテです。近々、早朝仕事にまた行ってきます。

2006年08月13日

density of time

お盆時期は帰省や旅行、キャンプのお客さんなどなどで赤村もいつになくにぎわっています。
何となく、車道りも多いように感じる。

今日は変則シフトでカフェ仕事
11時半頃から仕事をしていたのですが、時間の密度が全く違った。
ランチ時が繁盛していたのでアレコレ仕事をしていて「あっと言う間に時間が経つなぁ4時間は経ったか」=「もう15時ごろだろ」と思ったらまだまだ13時でした。。。
「ああ、時間の濃度ってのはこうも違うものなのか」となんだか愉しくなる。

そうこうしているうちに、ランチは完売、お客さんもひと段落。
何とマカナイが何も無い!
「毎日3食しっかり美味しく食べる」がモットーの僕にとっては「こりゃタイヘン」ということで仕事を切り上げ加工所へ向かう。「まだおばちゃんたちおるかなぁ」と思いながら近づくと、いつもは昼過ぎには帰宅するのに、助っ人も入れたメンバー総出で弁当詰め作業が続行していた。お盆用の弁当注文が大量に入っているのだ。
「これから100個つくらんきゃいけんばい!」と。
忙しい時に悪いなぁと思いつつ「昼食べてないんだけど、何かあるかなぁ」と聞くと「そこに赤飯あるじゃろ。食べりぃ。タケノコも美味しいバイ」と。忙しくても心を失わないばーちゃんの余裕たるやすごい。

皆がテキパキ作業をしている横で遅い昼ご飯を頂戴する。
「これも食べて良いバイ」と相変わらず次から次におかずが出てくる。
豆腐ハンバーグ、干しタケノコとタラの佃煮、煮ごみ(筑前煮)、鯖のぬかみそ炊きなどなど。
モグモグ食べているとUさん「早く食べて加勢しぃ」と。
「イヤイヤ、オイラも多用なんだけどなぁ」と思っているとOさん「良いバイ良いバイ」と助け舟。
でも、その後に続く言葉は「後100個作るんだから、ゆ~っくり食べりぃ。」と。
そっちの「良いバイ」かよ。

じゃあ「食べた分、1時間ぐらい何とか手伝うよ」ということに。
弁当箱に惣菜を詰めていく作業。

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アレが抜けてる、コレが足りないなんてドタバタしながらも、雰囲気がササクレ立っていないところがここの加工所のすごいところ。
でもさすがに朝2時(朝というか深夜というか)から働いているオバチャンたちは限界に近いらしい。
いつもよりは、数段疲れた表情をしている。

何もそこまでせんでも、と思わんでもないが、加工所のモットーがあるという。
「弁当は隙間を作らない。とにかく埋める」 原価計算などはしないらしい。
「もらった注文は断らない」 いくら忙しくなろうが、お客さんに弁当を届ける。

お客さんに頼りにされている加工所。
正月、節句、お盆、秋の行楽などなどの行事や節目に加工所の弁当とそれを作るおばちゃんたちは、なくてはならない存在なのだ。
村の中に根付いているといのはこういうことを言うのだろうね。
そこまでたどり着くのに、相当の濃度の時間がいるだろう。

2006年09月07日

芽が出る

不思議なものだ。
まったくもって頼りない、一粒の種を大地に埋め込む。
大地も、周辺の畑のように耕しまくってフカフカしているわけでもなく、雑草を引っこ抜いたばかりの雑然としたものだ。
こんなところに、種を蒔いて、ちゃんと芽が出るのだろうか。
心細くなる。

播種してから4日後、畑を訪れてみる。

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おっほっ!
出てる!!

草よけに敷いてある麻袋マルチに覆われた畑に双葉が太陽めがけて顔を出している。
種の力
後は、微生物と土壌の力に任せて、野菜が育つのをただ待とう。
チカヂカ、採りたての赤ラディッシュを畑で食べることにしよう。

2006年11月26日

空き家 と 引越し

赤村に来て、早9ヶ月経過。「おれ、何してたんだろう?」と時々、ショッチュウ、漠然と不安になる。
ま、良いか、と乗り切る術も身に着けてきたけどね。

何はともあれ、やっとこさで空き家を見つけました。家賃タダ!
山奥のドンヅマリ。五右衛門風呂に、ボットンベッジョ、日本家屋。
そろいも揃ったね。
しかし、畳はボヨボヨだし、かなり手入れをしています。
12月中ごろにはそちらに引っ越す予定。

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渋いっしょ。カブはもちろん、わが愛車。

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渋すぎるっしょ。カマドのある家だぜ。薪を拾いにいかねば。

僕の隠れた能力を自覚しました。モノを貰うこと。
浅井戸用ポンプ、カマドと風呂用の煙突、火鉢、冷蔵庫、洗濯機、石油ストーブ、机二つ、ガスコンロ、畳15畳をゲット。
あ、電気コタツももらったね。折りたたみベッドも。
そろそろ、嫁さんをもらいなさい、と突っ込まれています。

ま、それはさておき、もうちょっと詳しい空き家情報はコチラからどうぞ。

さ~て、明日からまた空き家整備仕事が待ってるぞ。
そうそう、整備した空き家には気軽に滞在してもらえますよ。
社交辞令抜きでどうぞ。

2006年12月19日

赤村ゆっくり村計画

当たり前のことだけど、相当プレゼン能力が落ちていた。。。
今日、赤村地域と農業の会にて、「赤村をどんな地域にしたいか?」という題で参加者が各自の考えを発表する場があった。
この会、10年続いているけれど、「何だかいつも同じような話ばかりしているなぁ。話題も議題もあっち行ったりこっち行ったりだし」というのが印象。
けれども、最近は赤村に新しく入った人間がちょこちょこ顔を出し始め、少し違う風が吹き始めている。

昨日の夜と、今日の昼過ぎの時間をサクッと使って、レジュメを作成。
発表は何故かトップバッター。
何だか、カツゼツが悪い。だが、よどみなくしゃべる。
聞いている人には分かりにくいだろうなぁ、と
しゃべっている当人がしゃべりながら思ってしまう始末。
いかんな。
昔、ゼミのプレゼンでこういうまとまりのない発表をするとそーとー怒られたのを思い出してしまった。
ポイントが絞れていない。

でも、ホントなのか「良くまとまってて良いアイディアだね」と事務局の役場職員Mさん。普段は、会議で余りしゃべらないのだけども、今日は学校給食の米飯を全て赤村産にしたら良い、など具体的なアイディアも出してくれた。
相変わらず、右往左往する議論もあったが、何だか今日の会は活発だった。

さ~て、そろそろオイラも地元学の地道な展開を自分の仕事として取り組むさね。

以下
レジュメの文章

2006年12月19日

 社会情勢:経済的グローバリズムが席巻中、所得格差や希望格差の拡大、勝ち組負け組み、稼ぐが勝ちという雰囲気。「結局お金でしょ」という雰囲気が色濃くなっている。
 そんな中で敢えて「スロー」という価値観を大切にしたコミュニティ=共同体=村のあり方に注目したい。何故か?「人は、美味しく、愉しく、安らかに生きるために生まれてきた」という感覚が根底にある。ライフ(いのち・暮らし・人生)の愉しさを味わいたいという欲求。スローとは、ライフの愉しさを成立させるキーワード。それは、経済、社会、文化における持続可能性(sustainability)、公平さ(fareness)、分かち合い(share)をひっくるめた考え方。人と人、人と自然、人と共同体、自分自身とのつながりと調和が大切になる。
 何故に赤村?「豊かさの源泉は農山村にあり」という肌感覚。赤村の自然・風土・人・ネットワークの潜在力は高い。
 
「スローな村」あるいは「ゆっくり村」@赤村
 お金持ちにはなれません。けれども、ライフの愉しさは存分に味わえる場所。
こんな場所になったら良いな、というキーワード9つ。


○ライフ(いのち・暮らし・人生)の愉しさを味わえる場所
○あるもの探しをしていく場所 地元学
○いろいろなものを自給している場所 自立と協同が基礎 医、食、農、想、住、遊
○里山の恵を 感じられる場所 山野草・薬草活用 炭焼き
○半農半Xが実践できる場所 半農半スロービジネス
○学びの里的な場所 ワークショップ 体験学習
○ホンモノの食を提供し、発信し、伝えていける場所 スローフード 食の文化祭
○地域で良い循環が成立している場所 地場産給食 地産地商・地消
○農山村の豊かさを感じられる場所 スローツーリズム グリーンツーリズム


全て実現したいが、いきなりは無理。まずは、地元学的なことを通して赤村でのあるもの探しを進めていく。それ自体を参加交流型のイベントにする。各種イベント(例えば炭焼き@後山)にも連動し、そこにも地元学的手法を導入する。意味を掘り起こしていく過程を充実させる。
 ゆっくり村構想に興味関心を抱く若い層がけっこういる。そういった若者が滞在しながら「学ぶ」機会を提供していきたい。
 ウーフという仕組みの活用。宿&食事と労働力を交換する仕組み。労働力をワコウド人材センターのような形で、「村の何でも屋」的な存在にする。 杉の枝打ち、ゆず収穫、草切り、ハウスの片付けなどなど。

2007年01月11日

穴の奥から

今居住している空き家のキッチンはコンクリートの土間。
キッチンなんてカタカナを使うとそれっぽく聞こえるけど、なんだか作業場のような雰囲気。

kitchen.jpg

そのコンクリの土間に穴が開いていた。
別に気にしなかった。

先日、何故か米ぬかを入れておいたビニールがバリバリと破れており、米ぬかが散らかっているのに気がつく。「何でだろ?何かでひっかけたかな?」と思っていたが、飛散した米ぬかを処理していると、発見してしまった。
ネズミの糞らしきものを。
すぐさま、僕の眼と意識は「穴」へ!
なんじゃこりゃ?
土間に空いている穴は、なんとネズミの通路だったようだ。
気味悪いので、とりあえず新聞紙を丸めて詰め込んでおいた。

次の日、キッチンで料理をしていると、「ガサゴソガサゴソ」と何だか音がする。
空き家には僕一人。
ん?と眼を例の穴に移すと、丸められ詰め込まれている新聞紙が何らかの力で穴の奥へと引き寄せられている。ガサゴソガサゴソ。
ペットのハムスターがカゴの中で新聞紙をガサゴソやるあの音。

なんとなんと。姿は見ていないが、ネズミに違いない。
まだ、野菜や米、電気コードなどは齧られていないが、こりゃ放置できませんな。
ネズミ、そうとう頭が切れるらしい。
あまり共生したくはない相手だなぁ。

何か対策を講じマウス。

2007年02月27日

キノコと山のつながり

赤村にて、シイタケ農家のところに遊びに行ってきた。
これが、かなり面白かったのだ。

キノコの原木を切り出してくる山の管理と維持、それがあるからこそ山が荒れずに保たれる。
ちょうど、森林栽培のコーヒーというものを知った時だったので
「おお、キノコも同じではないか!?」と感動してしまった。

kinoko_kinoko.jpg

「キノコを食べることで、山や森が守られる。そんなことを想像しながら食べて欲しいなぁ」とお世話になった農家は言っていた。

食とその背後にある物語。
やはり、かなり、面白い。

詳細は、ゆっくり村ブログにて報告レポートありです。

2007年10月02日

to mexico ecuador

「いってみっか、メキシコ&エクアドルへ」

森林農法
コミュニティ重視の発展モデル
農的暮らし
環境教育
などなど

いろいろな要素を体感しにメキシコとエクアドルに行ってきます。

出発前に、バタバタと冊子作成の仕事や田んぼの仕事に取り掛かっています。
田んぼは、「まだちょっと早いかな」という段階だったが、人間の都合で刈り取ってしまった。

今日は赤米のハゼ掛けをしていたのだが、一大オブジェを創っている気分だった。
岡本太郎が見たら歓びそうな雰囲気。
農はアートだ。

akamai_haze.jpg

3週間ほど久々に旅してきます。

2007年12月25日

赤米とゆず酢

ゆっくり村。
今年の赤米、ようやく販売開始しました。
籾摺りが遅くなって。。。

akamai07.jpg

ゆず酢もデビューです。

yuzusu07.jpg


どちらも、自分では食べきれない分のお裾分け的な感覚で販売しています。

スローウェブショップ膳(Zen)というお店を覗いて見てください。
ゆっくり村直売所がありますよ。

来年は赤米単体ではなくて、黒米、緑米、イセヒカリ、黒紫米などを混植しようと思っています。
ゆっくり村産赤米単体は今年が最後かもしれませんよ。
ぜひ、ご賞味ください。

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