after 20 years
「君は20年後の日本社会に対してどんなイメージを持っている?
20年後を見据えた長期的展望が今の生活にあるかね?」
酒も回った午前1時過ぎ、彼は鋭い目で僕を凝視しながらそう問うた。
正直、僕は今までも今現在も「長期的視野」というものを余り持たない。
計画計画というスタイルは好きじゃないということを通り越して、苦手だ。
旅行だって、風任せ。
何故、1ヶ月先の自分の行き方が1ヶ月前に決められるのだろう、と悩むぐらい。
言ってみれば、行き当たりばったり、なのだ。
でも、密かに自分はそれなりの展望や
a-perspectivesを持ちながら生きているつもり。
20年後の日本社会。20年後の世界。
一般的には明るくないかもしれない。
でも、悪いけど、僕はしたたかかつ愉しく生きていこうと思う。
先日、友人に借りて「ジャマイカ楽園の真実」という単館映画をDVDで見た。
一般的なアメリカ人にとっては、リゾート&楽園のジャマイカなのだが、社会はメタメタに破壊されている。
破壊要因のひとつは、自由貿易、経済のグローバリズム。
IMFによる構造調整プログラム(structural adjustment program)を受け入れ、
アメリカ産の農産物が大量に入るようになってしまった。
ジャマイカ国内の農家は窮地に追い込まれている。
自給の野菜や作物さえも作りにくくなってしまったという。
アメリカからの旅行者が「ジャマイカ料理」と思って喜んで食べているものは、
ほとんどがマイアミ経由で輸入される食品だとか。
そして、経済成長を引っ張るという目的でフリーゾーンという海外の企業が税制で優遇される特区が設置される。
その中では、ジャマイカの労働者が使い捨ての労働力として安い賃金と劣悪な労働条件でコキ使われている。
悲しいのは、その工場地帯にジャマイカ人よりも安い賃金でコキ使える中国人を連れて来ることが始まっていることだ。
自分たちの足で立ち、大地に働きかけ、食べものを育て、日々暮らす。
これほどシンプルなことを許容できないほど、社会は複雑になってしまったのだろうか。
日本とオーストラリアとの自由貿易協定(EPA・FTA)、日本とアメリカとの自由貿易協定、いろいろなグローバリズムの話が飛び交っている。
ジャマイカの破壊された社会を見ながら、明日の日本を思ってしまう。
すでにジワリジワリと社会の破壊が始まっている気がしてならない。
国道沿いに乱立する大手チェーンストアやショッピングモール。
廃れる地域の商店街。
「日本の農業を担い手に任せる」と言い切る農政。担い手は、大規模面積をこなすことが前提だ。
前提はそこでは止まらず、借金をしてでも農地を確保すること、巨大面積をこなす機械や労働力を確保することを求める。
食べものの質はどうなる?農地の地力や生態系はどうなる?
日本に荒地が広がるのもそう先の話でもないかもしれない。

山つきの棚田。効率性や競争力から見たら、すぐに切り捨てられる対象だ。
「国際競争力を高めよう」
「安ければ、安いほど良い」
「経済のグローバリズムは必須だ」
という根拠のない判断基準が
どん底への競争を加速させている。
気がついたら、社会は良質の食、仕事のあり方、暮らし、人生、いのち、自然環境、
そういったものを手放してしまわないだろうか?
20年後の社会、僕の中では、そんな暗いイメージが強く渦巻いている。









