福井、小浜、敦賀、美浜と聞いて真っ先に連想したのが原子力発電所だった。原発。そんなところを回るのかぁ、と正直暗い気持ちになっていた。いざ入ってみると、無意味に広い道路、過度に立派な駅舎や公民館、200メートルおきにある公衆トイレ、乱立する公共施設、とハコモノ公共事業の賜物がたくさんあった。原発マネーだろう。バイアスがかった眼で見るからだろうけれども、夜のバイパスは無意味に明るく感じる。敦賀で世話になった宿のおばちゃんは「敦賀はオイシイ思いをしてきたけど、いつまで続くかねぇ。そのうち宮崎駿が描いた廃墟のような世界になるよ。おっかないねぇ」と言っていた。あるお店の主人は「放射能さえなければ原発は良いものだけどね。どうしたって、放射能があるから容認できないよね」と言っていた。

敦賀市は原発の見本市といわれる。4基が稼動しており、4基とも別々のタイプらしい。
いろいろな人と話していて思ったのは、生活の隅々にまで原発マネー・原発経済が入り込んでいるということだ。店の主人が次のように言っていた。「ここでは、町内会でどこかに行く時でさえ「原電にちょっと頼んでみよかぁ」となる。そうすると、予算が増えるんですよ。修学旅行や社会科見学の際に原発関連PR施設に寄るプログラムを組めばバス代が無料になったりするわけです。そこで「原発は安全安心です」と一方的に説得されるんですよ。難しいことは分からなくても、「あんな専門家が大丈夫っていっているから、安全なんだね」となっていく。一人二人が「いや、危険なはずだ」と言っても無視しておけば良い。他県からの修学旅行で賛成派と反対派に分かれてディベートをしながら関連施設を見るプログラムを組むところはあるけれども、福井県内ではほとんどないですね。一方的に説得されるんですよ」と。
原発があることで、地域の経済は確かに潤っている。定期検査などがあれば、大量の労働者が街にやってくる。民宿には客が入り、飲食店も客を確保でき、夜の街も賑わう。地域で何かイベントをやる時には企業寄付がドスンと落ちてくる。建物を建てるときもそうだ。電力関連会社から金が降って沸いてくる。「アチラは金を持ってますからね」と店主。原発を中心にして経済的な循環が成立してしまい、それに立脚した生活が成立してしまっている。根深く、複雑だ。

ところかしこにゲンデン関連の建物がある。「原子力緊急時支援・研修センター」
↑何をするところなのか、名前からは想像がつかない。。。
だが、原発やリゾート、巨大公共事業なんかに依存しなくても良いのだったら、依存しない方が良いだろう。持続可能性という視点から考えてもそう言える。放射線廃棄物を管理する確実な技術など確立されていないのだから。西表島でセンスのないリゾートホテルを見た時にも同じ気持ちがした。怖いのは「受け取る」という姿勢が染み付いてしまうことだ。カネは「向こう」からやって来る、降って沸いてくるものだという思考のモードになってしまうことだ。そうすると、自分たちで自発的に何かことを起こしていこうだとか、変化を生み出していこうといった自律性や主体性が奪われていく。「仕方がない」「現実は厳しいんだ」「食ってくためにはやむをえない」などなどとつぶやきながら状況を受け入れる。
日本全国いろいろ見てきたが、確かに現実は厳しい中でも批判のための批判や文句・愚痴に終わらずに「じゃあどうにかしようか」「それならこうしてみよう」と新しい仕組みを作り上げていく人びともいる。もちろん、様々な限界の中でもがきながら。直売所や地産地消レストランなどはそういった動きの一例となり得る。そこから、相対的に自律した小さな地域の経済圏の領域が少しづつ拡がっていくだろう。

若狭の海は本当に豊かだ。その資源をもっと活用できないものか、と思ってしまう。
外に依存する「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」を
Alternative Paradise このフレーズを聞いて、どんなことを創造するだろうか?
何故か僕はParadiseと聞くと貧困な想像力から南国を思い浮かべる。ついこの間東京で見たゴーギャンの絵がちらついていた。
「金沢に行ったら21世紀美術館に行ってね」と友人に勧められるがまま、僕は金沢の街へと出た。
21世紀美術館は、すごく近代的・モダンな建物でなかなかデザイン的に凝っている。ぐるりと円形になっており、外からカフェも見える。中に入っている人々が何故か展示物に見えてくるのは、そこが美術館だからだろうか。凝っているのだが、それほどゴチャゴチャした印象はなくシンプルにまとまっている空間だ。

勧めてくれた友人が言っていた Brain Forestという展示はどうやら企画展を以前やったもののようで、今回は姿を見なかった。変わりにやっていたのが、Alternative Paradiseというわけだ。「ま、入ってみるか」というぐらいの感覚でチケットを買ったのだが、これがなかなかインスピレーションに富んだ内容だった。
僕は意識的にアートと向き合う時間と空間は好きだ。注意していれば、街中や郊外、ド田舎にもアートは転がっている。雲の形にだって感動を覚える。けれども、アーティストと呼ばれる人たちがエネルギーと時間を費やして創り上げたものに向き合うという意識的な営みとはちょっと違う。アートに対面するのだという力の入った姿勢ではなくて、僕の場合は非常にリラックスしてsense of wonder and wanderに従って会場をぐるぐる思うがままに動き回る。順路や人の動き、解説は無視して。そして、作品に向かい合って「おっ、そうきたか!」「そりゃないだろぉよ」「う~ん良くわからん」「それそれ、いやぁ、イイネ」なんて感じながらウロウロしているとすごく心躍る。気に入った作品は何度か立ち戻って見入る。そこにある色彩や質感、音、そんなもの全てが僕を非日常に連れて行ってくれる。

今回の展示で一番強烈だったのは、金沢健一の「振動態」というアートだった。初めに見た時には、鉄の板に何やら砂のようなものでサイケな模様が描かれているだけだと思っていた。が、順路を無視して進んでいると、金沢のパフォーマンスをDVDで流している場所があった。鉄の板の上に白い砂をパラパラと無造作に振る。それから、その鉄板にスーパーボールに棒を刺したもの(だと思われる)で摩擦を起こしていく。すると、鉄板が共鳴して銅鑼(ドラ)のような振動音を奏で始める。それと同時に、振動によって砂が弾けはじめ、粒子が寄り集まってなんとも幾何学的でサイケな模様を創り始めるのだ。これには驚いた。スーパーボールの大きさや擦る角度、早さによって音と模様が変化していく。30分ぐらいあるDVDを僕はヘッドフォンを占有して(といっても他に5つある)見入っていた。振動共鳴音、サイケな模様、そして「これ、いつか自分でやってみてぇ。出来るだろ」という気持ちが入り混じっていた。
そうやって非日常に浸りながら心躍らせ、日常にかえっていく。
Alternative Paradise、展示されている作品群を貫くコンセプトやテーマが明確に伝わってくるかといえば、僕にとっては「?」だった部分が多い。結局何がAlternative Paradiseなのだろう?と思いつつ、僕がアートと向き合って感じる非日常と心躍が、それなのかもしれない。
Alternative Paradise@金沢21世紀美術館:06年3月5日まで続いています。
今日は久々に「てづくり」をしてきました。
京都にいる友人に会いがてら鈴木松風堂という紙屋さんで、紙工芸を体験。
僕は行灯を創ったのですが、ナカナカ我ながら良い出来です。
デザインを考えるのが特に面白かった。既にもみじの形やら番傘の形やらに用意されている素材ではなくて、千代紙の切れ端をアレコレ選びながらどうしようか考えます。
行き当たりバッタリなのですが、和紙の質感を生かそうと鋏で切るのではなく手でちぎったり、紙を繊維状にしてちりばめたり。感覚的な世界なのだけれども、ちょっと前に祖母に習った生け花の経験が生きるんですね。やっているうちに、どこかで祖母が「ここに流れがあるでしょ。この色は浮きすぎね。この赤をワンポイントにしたら良いのよ」などと話しかけているような気がしました。色と空間の配置を考えながらつくり込んでいく。思った以上に上手いこと出来ました。

「渋い」との評価を店の人からもらいました。「デザインのお仕事をしているんですか?」と言われたのはお世辞と受け取っておきましょう。
紙漉きの段階から出来れば、もっと時間がかかるけれども、さらに面白いのだろうなぁ。原料のコウゾから栽培というのはさすがにムリかな。
いやはや久々に童心に。小学生の時には良く図工の時間があって、いろいろなものを手作りしていたものです。折りたたみイスから木製小物入れ、釘を熱して叩いてペーパーナイフなどなど。いろいろこだわって創ったものもあれば、「メンドクセ」などと言いながらテキトーに対処したものもあった。しかし、忙しい勤め人時よりも、よっぽど小学生時の方が豊かな時間の使い方をしていたようです。
もらったロウソクはパラフィン製ですが、家に戻ったらミツロウロウソクで灯りを愉しむことにしましょう。
今月は更新が渋っています。
エッジの電波が届かない場所に3週間ほどいました。
愛知の奥三河です。良いところでした。寒かったですが。
ブログ更新のため、ではないのですが、昔書いた文章を。
昔も、移動遊牧していました。カルカッタ、懐かしい。

カルカッタではなく、ゴアの夕日
2002年07月03日(水)
1999年2月27日から3月1日まで、インドのカルカッタにいた。
3度目の一人旅は一ヶ月目に突入していた。
カルカッタはなかなか魅力的な街だ。わい雑な宿群、女とハッパのみを求めてやって来るイカレタ旅行者、気さくで親切な旅行者、擦れた物乞、しつこい物売り、美味い各国の料理とビール、束になって歩いているインドの人々、喧騒の一因を生み出す車のクラクション、朝晩の涼しさと昼間の熱さ。その全てが視覚的に新鮮で、インドの香りを放っていた。
カルカッタにはマザーテレサの作ったマザーハウスがある。
そして、関連する医療施設がいくつかある。
ストリートチルドレンや行き倒れた人、死にかけの人を施設に入れ、食事や屋根、医療を提供する。老人、子ども、心身障害者などが入居している。「死を待つ人の家」と称される施設もある。
そこにはいつでも多くの旅行者がいわゆるボランティアとして関わっている。そのためにインドまで来る人もいるほどだ。
朝早く(6時半ぐらい)に路上にあるポンプ式の井戸で水浴びをするインド人を見ながらマザーハウスに行き、パン、チャイ、バナナ、クラッカーなどの軽い朝食を取る。
その後、スラムと化した駅を横目に見ながら施設に15分ぐらいかけて歩いていく。「プレムダム」という名の施設だったと思う。
仕事は、男女別になっている薄暗い部屋に敷き詰められた簡易ベッドを片づけ、床を掃除することから始る。男は男の部屋を担当する。
なぜ掃除をするのか?汚物や食べこぼしなどで汚れているから。毎日掃除をしなければ、熱いインドでは病気も瞬く間に広がるだろう。
まずは、糞尿をどける必要がある。その後で水をぶちまけ、洗剤をばらまく。
中腰になって、柄のない先っぽだけの竹箒でとにかく掃き掃除をする。
そして、雑巾で床を拭いていく。どちらも腰にくる重労働だ。
ベッドを設置し直し、シーツや枕カバーをかけていき大体の清掃仕事は終わる。
その後で、洗濯がはじまる。職人風のジイサマが大釜でグツグツと入居者たちのルンギ(腰巻き)や毛布、シャツ、パンツといったものを煮ている。煮沸消毒なのだろう。
そのアツアツの洗濯物を洗剤の入った層とすすぎの層でじゃぶじゃぶと洗い、絞る。洗濯用の層は、5メートル四方ぐらいのコンクリート層だ。それが、二つあったと思う。
絞った後に、こん棒のようなもので叩く。とにかく叩く。叩くことによって水はしぼられ同時に衣服はもまれる。それが洗濯だ。川べりで洗濯物を岩などに打ち付けているところをイメージできるだろうか?同じ原理だ。
3人ぐらいが横に並んで、無心でこん棒を振り下ろす。
自分が何をインドに来てまでやっているかなど問うてはならない。
重要なのはリズムと腕力だ。
その流れ作業を何度か繰り返す。
その後は当然、干す。日中はとても熱いのですぐに乾く。
大体、10時半ぐらいに「ティー、ティー!」とお茶休憩の合図が出る。
甘いチャイとビスケット。
疲れた精神と肉体には格別に感じられる。
そこで、短期旅行の学生からいつ帰るか分からない長期旅行の人間などと会話を楽しむ。僕のいた時期には20名弱ぐらいだったように思う。
「バンガロールに行ってサイババに会うんだ」と言っている人が何故か多かった。
何処から来て、何処へ行くのか?何処が面白かったか?
そんな旅行者の決まりきった会話や、宗教とは何か?生死をどう考えるか?資本主義の害悪、アメリカ型開発の是非といったことも話していた。
4月、5月になるとバタバタと入居している病人が死んでいくらしい。死体安置所はすぐに満たされてしまう、と言った話も聞く。路上で死んでいくよりは、毎日着替えられて、食事もできて、話し相手もいて幸せだろうね、と言う人もいれば、ここの人々は食って寝てクソして、死を待っているだけなんだ、と吐き捨てるように言う人もいた。
休憩の後は、入居者用の食事を準備する。非常に大きな釜で炊いた米と、巨大な鍋に入ったカレーを運び、皿に盛って入居者に配っていく。「早くよこせ!」と怒鳴っている人々が多い。何をしゃべられているか分からないが、とにかく四方八方から罵倒されている気分になる。
入居者の多くが、心身障害者だ。鼻水を垂らしながら、切断された脚を引きずりながら、動かなくなった手をぶらぶらさせながら、とにかく「飯を俺のところへ早く持ってこい!」と叫んでいるようだ。とても、賑やかな世界になる。
配り終えると次は、「パニー、パニー!」と水を要求する声が大合唱となる。ヤカンをぶら下げて対応に追われる。さらに、スプーンで皿を叩きお替りを要求してくる。
パニー、ガチャガチャ、パニー、パニー、ガンガン、、。大合唱。
食べ残しを下げようとすると激昂する老人がいた。何やら怒鳴られる。慣れた人は「はいはいしょうがないねぇ」といった形で対処していくが、僕には何やら意味が分からない。
精神が疲弊していく。体が硬くなっていく。
食事の世話をする間中「頼むから僕を呼ばないでくれ」と心底思っていた。
異様な容姿をした人々に分からない言葉で呼ばれ続けるのは正直言って精神的に疲れるからだ。おぞましきものとでも認識していたのだろう。理解不能なものとして排除しようとしていたのだろう。
動きや表情はかなりぎこちなかったはず。
食事の後は、食器類の片づけや入居者の移動、そして食事をしていた場所の掃除をする。
入居者の移動は車イスに乗せたりと当然接触が増える。相手がおとなしければ良いが、ごねたりするとどうして良いか分からなくなる。「僕を呼ばないで」と心底思っていた。
食事をしていた場所に水をぶちまけ、食べこぼしを掃き掃除をして大体終わりだ。
12時を過ぎるぐらいには宿のある場所までオート・リクシャーをシェアして帰る。
午前中だけなのだが、体も精神も疲労感に満ちる。動きの読めない相手、分からない言葉、重い空気、熱さ、そういったものが気力を奪っていく。
こんな仕事2日もしたくない、と思いながら計4日間だけ通った。
僕は、3月2日の早朝に他者との遭遇の感覚を持ってバンコクへと飛んだ。
おぞましきもの、理解不能なものでしかなかった患者との他者としての遭遇は3月1日に起こった。
先日アップした過去の話の続編です。

インドへ向う船の上からの景色
2002年07月10日(水)
1999年3月1日、次の日の早朝にバンコクへ飛ぶためマザーハウスでの仕事は最後となる。
その最後の日に、恐らく初めて仕事を楽しくこなすことができた。他者と遭遇したからだ。
その日も、床掃除を終え、作業は洗濯に移っていた。バケツに入った洗濯物を干し終わり、次の洗濯物を取りに行こうとした時に ‘hey!’ と呼び止められる。診察を担当している西洋系の医者らしき人が僕を呼び止める。口ひげにテンガロンハット。医者には見えないが、医者だ。「リハビリをするから、手伝ってくれ」。
足腰の弱った老人を歩かせるリハビリだ。歩かせなければ、寝たきりになってしまうのだろう。僕にとって患者は動きの読めない理解不能な、あるいはおぞましさをも伴う存在だったので一瞬ひるんだが、嫌だとは言えずに手伝いはじめる。
「よし、ここからあっちまで行って、帰ってくるその繰り返しだ。」
「患者の横に立って、歩くんだ。」
「あまり、支えすぎるな!」
「患者が倒れないように注意しろ!」
「下を向くな!前を見ろ!」
「患者とコミュニケーションを取れ!」
「うまくUターンをしろ!」とやたら注文が多い。
ドギマギしながらも何度か短い距離の往復をする。
患者の手と腕には力がなかったが、確かに人間のものだった。力なく、一歩一歩ゆっくりと、傷ついた人間が歩いている。ただそれだけだった。
自分の横にいたのはおぞましきものでも理解不能なものでもなく、一人の人間だった。
僕はそれを、体に触れるということ支えになるということを通して皮膚感覚から理解した。
それまで持っていた漠然とした不安は、あっけなく溶けていった。
その後で「よし、じゃあ次は患者のマッサージをしろ。このクリームを塗って、足や腕をマッサージするんだ」と指示される。
先日までは、他の人々がおぞましき患者に接している風景を見ていて、「よくできるものだ」と嫌悪感を含むような複雑さで感心していた。
だが、僕の前にいる人々はもう、人間だった。
日なたに座っている痩せさらばえたジイサマに声を掛け、ふくらはぎや腕にクリームを塗り、マッサージをしていく。
その肌には一種の冷たさを感じさせられ、切なくなるぐらいに痩せている。
首の付け根や肩ももんでやる。
自分がマッサージされて気分が良いところをやれば良いのだ。
「ティゲ?(good?)」と聞くと「ティガチェ(good)」とつぶやき程度に返してくる。あるいは、インド人特有のクビのかしげ方で答えてくる。OKだよ、いい気分だよと。
「痩せとるなぁ、じいちゃん。もっと食わなきゃだめだぞ」なんて言いながら、患者と接することがいつの間にか楽しいことに変わっている。
それは、他者との遭遇という一つの感動的な「出来事」でもあった。
おぞましき患者との肌を通した交流によって、他者性が浮上し、
それとともに漠とした不安や気の重さは流れ出ていった。
僕にとっては、コミュニケーションが作動するまで、
他者はまだ他者でもないのかもしれない。
ちょっと前に書いた「命をつなぐ」がピースボートに一緒に乗った友人達のMLで話題になっている。「肉を食べる以上屠殺体験は必須」といった意見や「やっぱできないなぁ」といった意見まで。
動物と植物の命の違いを実感するのは難しいといったことも書いたが、この間不思議な体験をした。
赤村に入ってから、鳥越農園というところで農作業の短期バイトをしていた。初日の作業は、枯れてしまったトマトを引っこ抜き、代わりにキュウリを定植していくというものだった。暖房機の誤作動と管理のまずさが重なって、5連棟ハウスの半分ぐらいのトマトが凍害を受けたのだ。もう少しすると収穫できるようになる樹だったから、農家としてはかなりの痛手。緑色の実がついているところもあるが、葉っぱは枯れてしまい、全体的にしおれている死んだトマトの樹が眼前に拡がる。そのトマトの樹をへし折り、株元を引っこ抜き、通路に捨てていく。捨てた樹は僕らが動き回ることで踏み潰される。いつかは分解されて土に返る。
初めは、無心で作業をしていた。「ペキ」「ポキ」「グシャッ」。樹を折る度にトマトの青臭い、強烈な匂いが鼻をつく。トマトの強烈な匂いの中で作業をするということに面白さを感じていた。けれども、徐々にそれが何とも言えない気分の悪さに変わっていった。「ペキ」「ポキ」「グシャッ」という音と鼻を突く匂いが妙に生生しい感じに変わっていく。鶏の首の骨をへし折るような(やったことはないが)、命を奪っているような感覚になっていったのだ。トマトを樹から収穫するのとは全く違う感覚だった。
命を奪う。鶏の場合は体温、トマトの樹の場合は音と匂い。命は五感に訴えかけてくる。農業は生き物を扱う仕事、その意味が少し分かった気がした。
「ヴぇ?ゴトー君にもそんな時代があったんですか?」
赤村の友人と酒を酌み交わしていて言われた言葉。言った当人はそれほどの意味を込めていないと思うけれども、僕にはズシンと響いた。
「ヴぉ、普段オイラはどう見られとると?」という不安と期待を裏切って「してやったり」という意味の分からない感覚と。
話の文脈は大学院まで行って修士論文をめちゃくちゃ集中して書き上げたこと、平気で15~16時間机に座りっぱなしで読む、思考する、書くといったことをやっていたことなんかだった。
確かにその頃の生活スタイルと自分のモードから比べると今は非常にスローな状態だ。でも、ギアをシフトさせればいつでも院時代の集中力に持っていけるという根拠のない自信が自分の中にある。自信なんてものは、僕の場合、いつだって根拠がないのだが。
でも、ギアのシフトはどうやら錆付いているらしく、なかなかチェンジが利かない。
「いづれいづれで日が暮れる」
そう、この田舎で日々の生活。3度美味いものを食って、風呂を薪で沸かしてから入って、いろいろな仕事をしていたら、あっという間に日が暮れる。
「あれ、今日一日で自分は何をしたんだろう?」と考えるとちと不安になるが、「まあ、いいか」というテキトーさで乗り切る。
「いづれいづれ」とつぶやきながら、今ここの暮らしを充実させ成立させる。それだけで、相当な集中力を使っているということにしておこう。
赤村に来て1ヶ月半、そろそろシフトの錆も落としながら、柔軟にいきたいものだ。
「いづれいづれ」
「フラメンコは花の部分だけが取りざたされ、派手な化粧と踊りがもてはやされイメージ化されています。けれども、葉っぱや茎、根っこを見ていけばもっと土臭い、大衆の文化としてのフラメンコがあるのです」と、飯塚真紀さん。大衆の文化、その辺の老若男女が参加して、日常的に愉しむ文化としてのフラメンコを強調していた。彼女はそれをスローフラメンコとして展開している。
そんな飯塚さんのスローフラメンコ体験ワークショップをスローカフェクリキンディで打った。彼女からワークショップの案内文が回って来た時に、僕は「これは相当面白い企画になる」と確信した。
「スローフラメンコ」体験ワークショップ
スローなフラメンコって?
情熱的に激しく踊るイメージが強いフラメンコですが、私、飯塚真紀が住んでいる南スペインの町へレス・デ・ラ・フロンテーラでは、普通の人たちが日常の中でフラメンコの音楽や踊りを楽しんでいます。
私が紹介したいのはそういった大衆フラメンコ。
スローと付けたのは「マイペース」という意味もありますが、自分自身を、そして、人との繋がりを大切にしてみんなで楽しもう!
という想いが込められています。
フラメンコはエゴではなくエコ。
フラメンコは、「わ」(和・輪・環・話・○・円)だと解釈している私と一緒に、
大衆フラメンコ、舞台裏のフラメンコ、スローフラメンコを体験してみせんか?
予想通り、とても素敵な時間となった。
通りがかりの人も含めて参加者は13名ほど。多すぎず少なすぎない人数。
円形に並べられたイスに座り飯塚さんがスペインと日本のコミュニケーションの一般的特徴について話をする。控えめ、受身、自分を出さない日本、大げさ、能動的、自分を出すスペイン。一般的に言って。リズムと身体を動かす踊り、フラメンコを通して、自分を出す、自分を表現する。「まずは、自分がいる。その自分を出すんです。でも、周囲を無視してという意味ではなく、周囲との調和の中で自分を出す。そうすると、自然と他者の表現もス~と入ってきます。その現象に対して「オーレ!」と声を掛けるんです。」なるほど、フラメンコは「わ」だ。

輪になってリズムを作りながら、徐々にカラダを動かし始める。リズムにもその空間の雰囲気にも慣れて、皆がリラックスしていく。笑顔が絶えない。本当に素敵な空間だ。
その場のメンバーが形成している輪の中に出て行って、回りが創るリズムに合わせて一人ひとりが踊る。時に阿波踊り風、時に沖縄のカチャーシー風、時にヒップホップ風、時に西アフリカのダンス風、時にフラメンコ風、それぞれの型とスタイルで自由に踊る。それ自体が愉しく気持ちが良い。
輪の中にスーっと進んでいくと圧倒的な音の違いに「スゲェ」と笑ってしまった。円を形成する位置にいる時に自分に届く音と、円の中に入った時の音の質の違い。僕にとっての感動はいつも「スゲェ」という感覚と心から抜けてくる笑いを伴う。360度全ての方向から手拍子による温かい音が届けられる。
その音の中で身体を躍らせる。上手い下手、リズムに乗っている乗っていないといったことは関係がなく、その空間で自分を出す、表現すること、そしてそれを笑顔で受け入れる「わ」がそこにあること。そこにある突き抜けた気持ち良さ。
2日たった今でも僕の心のどこかが踊っている。
art to the people
金を払えば丁寧に包まれて手渡されるような、消費するだけの文化はいらない。
自分自身を表現し愉しみ、共鳴し、分かち合う。そこに生まれ続ける芸術性、生活の匂い、何らかの意味、そのプロセスをアートを文化を日常に。
空腹感?飢餓感?焦燥感?
どれもピンとこない感じもするけれども、何か満たされない、不満足な焦りが僕の中にある。
村に住み、TVも新聞もなく、仕事場が住居だったり、5分のカフェだったり、7分の畑だったり、そんな中で僕は相当ナマクラになり、ずぼらになり、ルーズになり、長時間睡眠になり、「ま、いっさ」が繁殖している。
以前と比べれば、生活は断然充実しており、今は、生活を「している」時だとの言い訳もそろそろ賞味期限切れ。
刺激、知的刺激、感性的刺激、出会いの刺激が足りない、と環境のせいにするのはオカド違いと分かりつつも、どうしたものか。
僕の感性と世界観=perspectivesは梅雨入りか?
気がつけば仕事を辞めてから6ヶ月。一年の半分。
その分だけ年を食い、現実に絡め取られ、細胞が老化した。

どうしようもない焦りが発酵スターターとなり、賞味期限切れの感覚が別物に変化する。
この好気性発酵をスムーズにもっていくために、たくさんのエアー(空気)を取り入れなければいけない。
ブクブクボコボコ。
「元々は東京の出なんですけどね」
よく、こっちに来てからこのフレーズを使う。
僕にとって、東京なんてど~でも良い場所、何の執着もないし、地元感覚もないし、都会都心は肌に合わないし。
だけど、僕が東京で過ごした時期につながりがあった人たちは本当に大切なのだ。
昨日何気なく、友人のブログを見ていた。
大都会東京の都心で朝市をやっている風景の写真たち。
知っている顔がチラホラ。
元気そうで写真には活き活きして写っている。
何となく、tokyoが懐かしく思えた。
いや、tokyoではなくて、そこにいる人たちが懐かしいんだろう。

かなりの数の朝市写真を見たけれど、やっぱり土の匂いがしなかったよ。
ps:先日のエッセイにコメントを書いてくれた方々。
イチイチコメント返しをするのがあまり好きじゃないので、この場をかりてありがとう。
今日は、久々に田んぼの見回りをしました。
僕らの無農薬田んぼの上だけやたらトンボが飛んでいた、と思うのは、やはり自意識過剰というものかな。
psps:東京での縁会 参加する方向で調整しようかな。懐かしいので。
ものごとにはタイミングがある。「人生タイミングですよ!」と言われたことも多々あり。だいたい、ずれてんだけどね。
村では季節的なタイミングが多い。生命のリズムにコチラが合わせなければいけない。考えてみれば当たり前のこと。
「もうちょっとダイズを蒔こうと思うんだけど」と話をすると、加工所のばーちゃんがしかめっ面をしながら「もう、遅いんじゃないかなぁ?」とつぶやく。そして、すぐ近くにいたじーさんを捕まえて「ダイズはまだ蒔くのに大丈夫かい?」と問いかける。じーさん応えて曰く「ねむの木の花がついている間は大丈夫だ」と。

この写真を撮ったのは、4日ぐらい前。載せるタイミングを外している?
梅干作りに取り掛かる。水洗いをして、ざるに上げ、そのままほったらかしにしていた。ら、なんだかほとんどの梅が変色してしまった。「なんてこった」。マシなものを拾い上げてつけてはみた。どうなるか?しかし、暑い中必死に取った梅の大半を廃棄処分にすることに。青梅を新たに買おうにも、もう直売所には品物が出ていない。時期が過ぎたのだ。
雑穀の種を友人からもらいうけた。蒔かなきゃと思いつつ、タイミングを逃す。ま、強い作物だし、まだまだ大丈夫かな?どうなんだろ?やるだけやってみるか。
タイミング、躊躇していると外しますね。
そうやって、外したこと数知れず。
でも、そうやって学んだことも数知れず。
久々に東京に「戻って」きました。
といっても、3ヶ月振りぐらいかな。
羽田からの電車で密接する家々、電車の騒音にさらされるであろうマンション群を見て感じたことは、「なんじゃこりゃ、都市ってスラムに近い状態だなぁ。よくもまあ高い金払ってこんな環境に好き好んで住むなぁ」という罰当たりなこと。
東京に「戻った」目的のひとつは僕が自分を形成してきた空間の再集合があったから。
拡大ゼミに参加してきました。
久々に学生ムードに触れたり、「2次会が本番だと当初から思っていた」と隣に座った青年が語ったように、2次会で声をからしながら激論したり。
村に住んでいて僕が自分を客観視出来ていないということが浮き彫りになったり、村に居て言い訳ばかりしている自分が浮き彫りになったり、何故か東京のセワシナイ電車の中で自分の思考と頭脳が刺激されているように感じたり。
あ、そうか、僕は久々に旅に出ているのだな。
車窓に流れる風景を追いながら、そんなことを思ったり。
さて、そろそろ自分のリズム&スペースに「戻る」かな。
『ふぇみん』という婦人系の新聞に「豊かさの在りか」というタイトルで連載を開始しました。
月頭=5日発行の分に載ります。6回の連載予定です。
中身は、2年弱の移動遊牧生活で見聞きしたこと、その後に赤村へ移ってから感じ考えていることなどをひっくるめて「豊かさの源泉は農村空間にあり!」ということを表現しています。スロービジネスにも話をつなげる予定です。
今、第二回の原稿を執筆中です。
cf:http://www.jca.apc.org/femin/
ご一読いただけると幸いです。
あきらごとう
自分が発信する独自のメディアを持っていたい、とずっと思っていた。
3年前に友人とa-perspectives.net を開始。
その頃は、チマチマ、ホームページ作製ソフトで記事をアップしていたっけ。かなりの仕事量だったなぁ。
今は、ブログがあってとても簡単に記事をアップできます。
ありがたいことです。
一昔前は、ブログはデザインがダサいという印象が強かったけれども、最近はすごくいろいろなデザインが出てきていますね。それも、自分で改造ができるらしい。
僕は今いくつかのブログに書き込みをしています。
最近増やしたものに「ゆっくり村ブログ」なるものがあります。
福岡県田川郡赤村での生活をちょこちょこ書いていきます。
「あ、そんな生活しているのね」ということを感じてもらえたらと思います。
現場で考えたことや書物を読んで感じたことなどの表現はbeart blogを使います。
ゆっくり村ブログもたずねてみてください。
なんてこった。
作業をしている時に、確かに胸ポッケに入れているケータイやデジカメが何度か落ちたさ。
土の上に。どさっとね。だから、落ちないようにとポッケのボタンもとめていたのに。
「やれやれ、何度落としても分からんやっちゃなぁ」ってことなのかな?
「学習しろよ」ってことなのかなぁ?
田んぼにイノシシが入るというから、ネットを張ってイノシシ除け。
何かを取ろうとかがんだときに、ボロッとね。デジカメが、水路に落ちた。
うひゃぁ~
水没時間は1.5秒ほど。
「いやいやいやいや」あり得ない。
デジカメ水没
その現実を受け止められない僕。
3年間に渡っていろいろな画像を撮ってくれた優秀なヤツなんだ。
農村を歩き回っていた時は大抵持ち歩き、農家や農村の風景をおさめてきた。
最近、充電電池を買い換えて、さらなる働きを期待していた矢先
そりゃぁねぇよなぁ。。。。。
が、僕は心のどこかで「こいつは必ず復活する。たった1.5秒の水没だ」と思っていた。
すぐに電源を入れたら、水で濡れているのでショートしてオダブツになる。
一日置いて、水気を抜いてからだったら何の問題も無いはずだ。
一晩乾燥させて今朝、恐る恐る電源を入れてみる。
ニュイ~ン
「おお、動いた!!」と喜んだのも束の間、レンズが出たきり動かなくなってしまった。
ウントモスントモ言わない。何で?どうしたの?ねぇ。
もうコリャダメだ、と腹をくくる。高い金を出して、新しいデジカメを購入するかなぁ。
と思っていた晩方
再びダメ元で電源を入れる。
ニュイーン
おお、再び動いた。
そして、何と今回は液晶もついている!
細かな砂が入っているらしく、ジャリジャリ言いながらの稼動だが、確かに動いている。
試し撮りをした写真もしっかり撮れている。
ね、やっぱり復活したよ。
たかが水没1.5秒でダメにはならない。
さて、もう落としたりしないから、もうひとがんばりしてもらおう。

あやうく最後の一枚になるところだった。田んぼの中のイノシシの足跡。
ツマラン報告ですが、コメントとトラックバックを付けられない設定にしました。
いやはや、ジャンクコメント&トラックバックが多すぎてどうしょうも無い状態に陥り、
仕方なしにそのような処理をしました。1日100通近いジャンクコメントが付くんですよ。
ウェブに詳しい同僚の話だと、機械が自動的にコメントやトラックバックを付けていくのだとか。
「それで儲かるんですかねぇ」と聞くと
「他のサイトとコメントやトラックバックでたくさんつながっているサイトは検索エンジンで上位に来たり、
たくさんの影響力を持っているサイトとして認識される仕組みがある」とのこと。
スパムを除去する仕組みもあるようですが、イタチごっこですね。
何かコメントをいただける時は、直接メールをもらうか、
一応使っているMixiへメッセージを使っていただくかでお願いします。
いやはや、ツマラン報告でした。
去年の今頃はどこにいたのだろう?
記憶が確かではなかった。
調べてみると、秋田県十文字町に泊まり、平鹿町を駆け回っていた。
けっこう、愉しんでいた。
去年を想いながら、今ココをみる。
ここ1週間ぐらいでガラリと空気が変わった。
ここ赤村はすごい勢いで秋へと変化している。
肌で感じる季節感とその気配。
2年弱、移動遊牧生活をしていたので、季節を全く定点観測できていなかったのだ。
去年は8月にくそ暑い愛知の渥美半島にいて、9月は涼しい秋田だった。
そんな移動をしていると、季節が移り変わる速度というものをすっ飛ばしていたんだな。
今、久々に季節の定点観測をしていると、気配が移り変わる速度が実感できる。
虫の音を聞きながら、秋の夜長に本を読もう。
ちょっとずつ活字をインプットする時間を確保できるようになってきた。

遠い夏の日の一夜干し
連日すごく素敵な月が出ていた。と思ったら中秋の名月、旧暦8月15日だった。
キャンドルナイトすら必要なく感じるほどの月の光。
「闇夜は明るい」というフレーズを納得してしまうリアリティ。
月の光を浴びながら、沐浴し、心身ともにリフレッシュする。
秋の冷たい空気すら心地良い。
ふと空を見上げると、そこでキレイな月に遭遇できる。
そんなちょっとしたことが嬉しい。

2004年10月宮城を移動遊牧中に遭遇した月
いやはや。
ここんとこ、怒涛の日々を送っている感じがしてきた。
「休んでいない」という状況はそれほど苦でもないはずだったのだが、
「ヴぁ~、もうイイカゲンニシテクレ!!」と何だか、何に対してだか、
フツフツとそんな気持ちが自分の中にある。
マイッタのは、自分たちが育ちを見守ってきた「ゆっくり米」が保管状態の悪さからなのか
麹菌が回ってしまっているものがあったこと。
10俵近くの割り当てがあるのだが、それが全て売り物にならない「ツマラン」状態に。。。
壊滅か。
と思っていたが、先ほど冷蔵庫に入り30キロの米袋と格闘しながら
在庫チェックをしてみると、まともな状態の米も多数発見。
いやはや、一安心。
といっても、麹菌が回ってしまったツマラン米もたくさんある。
ま、壊滅は免れたので良しとしよう。
しかし、何でだろう?
こういうことが重なると「イイカゲンニシテクレ」と叫びたくなる。
ひとまずは、叫ばずに済みそうだ。
でも、叫んどこうかな。

カフェの開店に相当エネルギーを使った。
その後、今度はウェブショップの開店に相当エネルギーを使った&使っている。
スローというコンセプトを中心に商品と情報をお届けするサイト。
スローウェブショップ膳(Zen)。
開店してます。
このサイト、僕一人の力ではモチロンできるはずもなく、多様なエネルギーが結集して成立しています。

やはり、人が集まるといろいろなアイディアや技術が集まってすごいもんだ。
そのすごさは、来店して確かめてください。
しかし、次々とやらなきゃいかんことが湧き出てくるね。
次は何だ?
実は、空き家の整備だ!
久々に、英語で論文を読む。
GNH=Gross National Happinessについて。
最近の概念かと思っていたが、なんとブータンという小国が1972年から唱えている概念だった。
考え方を単純化すれば、カネやモノではなく、精神的な充足や満足感、アイデンティティに自信を持てることなどなどを重視する考え方だ。
GNPからGNHへ。
現在の社会の多くの側面はGNPの増大が「豊かさ」の指標となっている。
ガンガン環境汚染をしましょう。
そうすれば、井戸水が飲めなくなり、人々はペットボトルで水を買うようになるから。今じゃ、空気も売り物だ。お、GNPが上がった。
ガンガン質の悪い食べものを食べましょう。そして、胃腸の病気になろう。
そうすれば、効率的に工場生産的な形で動く農業が潤い、化学物質まみれの食品加工業も潤い、ついでに病院も潤うから。お、GNPがまたしても上がった。
GNPを指標にしていたら、これも発展と呼ばれ、豊かさが増大したと言われる。
でも、本当にそうなの?

違う観点をGNHは紹介してくれる。論文を読んでいて思ったのは、これは政治的な概念だということ。ブータンはGNHを行政レベルで考えている。国民の意識レベルだけではなく、政策レベルにしっかりと組み込まれているのだ。GNHを計る指標のひとつに「良き統治(Good Governance)」が掲げられているのも納得だ。例えば、「どれだけ国民に適切な教育の機会を提供できるか」といった論点がGNH的観点から語られているのだ。
そういった視点から考えると、幸福とは社会的なものである、と定義されている。個人的な幸福を越えたところに成立する共通の・社会的な幸福。「あなたが幸せなら、私も幸せ」といった関係性だろうか。
そういった関係性とつながるのが、「精神的発展(spiritual development)」ということ。物質的に豊になるのではなく、精神的に満ち足りていること、peace in mindという状態。そちらの方が、人間の幸福にとって大切なのではないか、と。
今日、早起きして、大家さんが作った「瞑想台」に座り、白々と明けてくる空を眺めていた。澄んだ空気、刻々と変化する空と色彩、鳥の鳴き声。理屈無きGNHの高さを感じていた。
ps 13日に赤村で「豊かさのモノサシが幸福の国 ブータンからのスローライフ&ミュージック」というイベントを打った。報告はコチラから。
cf:Thinley, Jigmi Y. (2005) ‘What does Gross National Happiness (GNH) Mean?’ Downloaded from:
http://gpiatlantic.org/conference/proceedings/thinley.pdf
ついこないだまで、何故か気分的に優れず、憂鬱かつイライラする状態が続いていた。
何かがスッキリしない。けれども、何だか分からない。そんな状態。
驚くほど単純な理由だった。
布団が悪かった!
冬用の布団が無かったので、夏布団に毛布、タオルケット、
そして重ね着して寒さをしのいで眠っていた。
眠る時間はそこそこあるのだが、質の悪い眠り方をしていたわけだ。
実家から冬用布団が送られてきて、それに切り替えたら、なんとまあ気分爽快なわけです。
すっごく、単純なことだけれども、やはり眠る環境ってのは大切だなぁ、と実感。
しかし、余りの気分の良さからか朝ナカナカ早い時間に起きれなくなってしまった。
気がつくと「ヴぁ、こんな時間かっ!」と毎日後悔。
でも、その状態を布団から抜け出せないのと同様に抜け出せない。
ちょっと刺激を入れるために、またしても早朝加工所手伝いに出てみる。
「水曜日はしゃーしーバイ。500個注文が入っとるきねぇ」と言われていたが、
起きる自信がほぼなかったので、手伝いを約束せずにいた。
当日、5時に起きてそのまま加工所に行こうとするが、油断したらいつの間にか6時になっていた。一瞬で一時間が経っている。朝の魔力。
が、6時はまだ薄暗い。
白々と明けてくる空、刻々と変化する色と空気、そして音。
ひんやりと肌を刺激する空気。
この時期の朝は味わい深い。
この刺激的で豊な朝。
早起きが愉しい。寒くなるまではね。
僕の現在の体重は、54キロ程度。噂には聞いていた60キロの袋。
ちなみに米俵は一俵60キロだ。
何の袋かって?コーヒーの生豆が入っている袋。
今日は、通称「荷受」という作業にデビュー。
村でも「コーヒー屋のアンちゃん」で知られているのだが、コーヒー屋を語るには良い経験だった。
自分よりも重い袋を肩に受けて、運ぶ。
トンデモナイ。
「ゴトー君は初めてだったかね?ま、怪我しないようにね」とアドヴァイスをもらう。
けれども、具体的にどうしたら怪我をしないのか良く分からない。
60キロのコーヒー豆袋を担ぐ。
担ぎ方は見よう見まね。「コツがあるんよ」と言われるも、具体的な説明はない。
やりながら覚えるしかない。
上手く身体に乗せないと、かなり肩や筋肉、筋が痛いことになる。
今日、何回60キロを担いだかは定かではないが、
70%ぐらいは「イテテテテ、ムリムリムリムリ」と心の中で絶叫しながら荷物を運んでいた。
身体も絶叫である。
でも、気を抜くと本当に怪我をしそうなので、集中&気合で乗り切る。
ソートー集中しているのでイテテと思いながらも何とか遂行できる。
でもでも、この類の肉体労働は集中や気合だけではどうにもならない。
物理的に身体がぶっ飛ぶかと思った。

同僚のO君が60キロ袋を受け取っているところ。腰で受け取る!
でも、30%は「お、上手いコト担げたぞ」と嬉しくなるほど、身体への負担が少ない状態になる。
「コツ」はつかめたような分からんような。
同じ60キロなのに、不思議なものだ。
「昔、スタッフが居なかった時には、丸一日かけて運転手と2人で運んだんだ」「いやぁ、80歳になっても荷受が出来たらカッコいいよね」といった話がコーヒー屋の代表から出たり。
それこそ、気合が違うよねぇ。
物理的な身体の限界を感じながら、何とか荷受を乗り切った。
普段はコーヒーを飲みたいと思うことは余りないのだが、
この時ばかりは「コーヒーを飲みてぇ」と何故か思えた。

この袋、彼の地ブラジルやエクアドル、メキシコでも人々が積み込みをしているんだなぁ。
ちなみに、次回は69キロのメキシコ豆が入ってくるらしい。
シャレになりません。
Earth is my body
Water is my blood
Air is my breath
Fire is my spirit (by Anja Light 'Thinking Like a Mountain')
久々に、アンニャ・ライトと再会した。
福岡空港に迎えに行くと、手荷物受取場から手を振ってくれる。
覚えてないだろうなぁ、と思っていたのでちょっと嬉しい驚き。
僕がナマケモノ倶楽部に本腰入れて関わりだした時の初仕事は、2003年のアンニャツアーの物販ブース担当だった。
東京近郊の5~6ヵ所のライブ会場で物販をして、彼女のライブを間近で聴いていた。卒業した大学でのライブも企画したっけ。
今でも、アンニャの歌声を聴くと、その時の感覚が何とも言えず鮮やかに、湧き上がってくる。
今回は博多でのイベント、赤村での寄り合い、そして熊本の小国でのミニライブでアテンド的な動きをした。

リクエストに応えてくれ、僕の大好きなthinking like a mountainを歌ってくれた。
とても明るくて、前向きで、自分に素直で、ユーモアがあり、真剣。
時間と空間を共有しているとこっちまでワクワクしてくる不思議な魅力がある。
「このジーンズ良いでしょ。横にダイヤモンドが付いていて、何だかミュージシャンのズボンって感じでしょ。リサイクルショップで200円ぐらいだったのよ♪」と気さくな人だ。
もちろん、横に付いているのはダイヤではない。。。
彼女と話をしていて面白かったことをいくつかお裾分けしよう。
「これからの時代はビンボーロハスよ。金持ちロハスはうそ臭いけれども、ライフスタイルを真剣に変えようと思ったら、ビンボーなロハス。これよ!」と。
なるほど、ビンボーロハス、これなら僕も受け入れられそうだ。LOHAS(Lifestyle of Health and Sustainability)。一般的な傾向としてセレブな人たちが消費を通してLOHASを語っている。結局はマーケットに取り込まれている気がしてならない。消費=ショッピングを前提としないライフスタイルの転換、カネを使わず健康と社会や文化の持続可能性を実現する。ビバ・ビンボーロハス。
「私には幸せの遺伝子があるんだと思うわ。幸せ遺伝子と不幸遺伝子のどちらかを人は多く持っているかもしれないわね。けれどもね、大切なのは幸せの半分は『選択』に拠っているって思うの。どういった状況でも、ポジティブに、前向きに、何を学べるか、何を吸収できるか、何を愉しめるか、そうやって幸せを選び取っていく姿勢が大切なんじゃないかしら」と。
根暗な僕としては、真剣に見習いたい姿勢だ。
「私が思う、最大の環境活動は、早めに眠ることよ。日本の人たちは遅くまで起きてて信じられない!私は早い時は7時半ぐらいに眠るわ。そして、夜明け前に鳥の声で起きるの。早く眠れば、消費もしない、争いもしない、環境破壊もしない、電気も使わない。素晴らしいわね。」
最近、寒さに負けて睡眠時間が延びている僕としては共感したいような、したくないような。。。
さてはなにより、はやりこういった素敵な大人にたくさん逢って、刺激をもらえる環境にいるってのはそれだけで素晴らしいことだなぁ、と思う。
22日の日、冬至
一年で最も日が短い日。
その日に、電気を消して、ろーそくの灯りで過ごそうというイベントがある。
「電気を消して再処理工場を考えよう」
再処理工場って?
原発から出る放射性廃棄物を再処理する工場のこと。
その稼動プロセスにおいて、大量の放射性物質が排出されることになるらしい。
あまり、報道されていないから知られていない。
その構図自体が水俣病の惨事に重なって見えるのは僕だけか?
というわけで、イベント参加や諸々仕事や用事などで一時上京します。
お時間ある方、カフェスローにて会いましょう。
大晦日、正月、と全く食わず(正確には畑にて取れたてニンジン&大根をちょっと食する。ちょっとね)。
大晦日の朝から食事を抜き、2日の午前10時頃待ってましたとばかりに「初食い」をした。
大分にある「なずな農園」という有名な農園にて断食イベントに参加してきた。
断食については、以前熊本を移動遊牧している時に話しとしては聞いていた。
2年弱の自分には選択肢のない旅館生活の「与えられるだけの食」にドップリ使っていた僕としては、毒出しをしたいなぁ、とは漠然と思っていたこと。
06年3月から脱移動遊牧の定住をして、玄米食に切り替えだいぶ解毒は進んだと思っていたが、友人の誘いで断食に参加。
「食べない」という行為。意識し始めると、いかに日常生活が「食べる」という行為に席巻されているかが分かる。大分の農場への道で、駅や電車の中にいかに「食べる」ことにまつわる、匂い、音、サイン、お店、情報の多いことか。
意識しすぎなのか、「食べない」という行為は予想以上に非日常的なことだった。
食べないということ自体は、思っていた以上に苦痛ではなかった。50人の参加者がただひたすら食べずにそこに居る。おしゃべりをするのも、情報交換するのもとにかく食べること抜きにする。その光景はなかなか新鮮なものだった。
普段、誰かと交流する情報交換する際にはとにかく飲み食いしながらという状況が圧倒的に多い。そんな日常性を飛び越えて、ただひたすらダルマストーブの周りに集い、三年番茶をすすりながら話に花が咲く。
腹が減ったという感覚を通り越して、それほど気にならなくなってくる。けれども、エネルギーは少なくなっているので、無駄な動きをしない、争わない、ボーっとしている時間が多い、などなど。「ナマケモノになろう!」というコンセプトで活動しているナマケモノ倶楽部のメンバーでもある僕は「ああ、断食をするとナマケモノに近づくなぁ」と感慨深かった。
朝、呼吸法をしたり、体操をしたりするので、身体の調子はとても良かった。普段ならギンギンに足先が冷える状況にもかかわらず、足先が全く冷えなかったのは不思議なことだ。
妙に、音や匂いなどにまつわる感覚が鋭くなっていた気もするし。
断食をしていると、徐々に食べることに対する執着がなくなってくる。この場で、大ご馳走を突き出されても食べる気がするかなぁ、と思うぐらい。腹が減っているという感覚はあるのだが、「無性に食べたい」という気力までが萎えるのだろうか、執着が減っていくのも不思議な感覚だった。
「あえてこの時代に、正月に集まってわざわざ断食をする有り難さ」ということをある参加者が言っていた。他方の世の中では、不可抗力で毎日断食状態の人もいるのだ。そういったことも噛み締めながら、2日の初食いを迎えた。
周囲で「美味しい!」という歓声を聞きながら、ただただ、食べないことを通して痛感する食べることの有り難さに感謝していた。
食べることを通して、エネルギーが全身に満ちていくそのすがすがしい感覚。普段もそういった感覚があるのだろうが、食べることが当たり前になると、薄れるのだろうなぁ。

「初食い」の準備風景 匂いに対する感覚も相当鋭くなってくる。ホウレンソウが甘い!
食はいのちをつなぐ大切なもの。
つながれるいのちを全うすべく、今年は「創」ということが僕のひとつのテーマとなる。
田畑を創り、自分を創り、より良い社会を創り、未来を創る
福岡田川郡赤村に来て、11ヶ月が経とうとしている。
あっと言う間だ。
過去にはそこそこ、時間の蓄積と言うものを気にしていた。
これで6ヶ月目だとか8ヶ月目だとか。
でも、そんなこと良く考えなくてもど~でも良いこと。
僕は僕で今は今でここはここ。
ただそれだけ。
今の仕事はどこまで仕事でどこまで私事の活動なのか区別が付きにくい生活。
ある人が書いていた。
「私の仕事は生きること」
これ、カッコいいと思っちゃった。
というわけで、ここまで仕事とかこっからは私事とか吹っ飛ばして、僕もつぶやこうかな。
僕の暮らしはコーヒー屋さんであることで成り立っている。
実は。
コーヒーそれほど飲まないし、アイデンティティもそれほど感じていなかった。
いや、感じたくなかったというのが、深層&真相か?
けれども、このコーヒー屋、思った以上に面白い&多様で幅広い可能性を秘めているということに気がついてしまった。
今日は、スタッフ研修会議。ワークショップ風に会議をしながらお互いの認識を共有したり、ヴィジョン作りをしたり。

コーヒーはひとつのメディア(媒体)であって、その背景や根っこにある思想や社会に対する想い、「こんな社会にしていきたいね」という気持ちの方がはるかに大切なんだなぁ。
それを、今関わりあるスタッフで共有できたことが嬉しい。
そんな風に実感した時、このコーヒー屋のフィールドを使って、いろいろなことが出来るということが見えてくる。
久々に、ワクワクしている自分を発見する。
多謝
69キロを担ぐ。
ソウゾウ出来ますか?
そんな重さをひとりで持ち上げることは到底不可能。
自分の体重よりもはるかに重い。

69kgs kgs=キログラム ちなみに上に乗っているのが中身のコーヒー生豆
では、どうやって担ぐのか?
高いところにある荷物を肩・背中・腰・膝を総合的に活用して担ぐ。
後は、気合!
というわけで、前回ボロボロになりながら「次はメキシコの69キロが入ってくるから、よろしくね」と言われていたことが現実になった。
ある日、朝礼で「え~メキシコの豆が26日に若松の倉庫に到着します」と。
おっ、とうとう来たか!
26日。。。って、明後日ぢゃん!
前回の荷受けで怪我こそしなかったものの、一週間ぐらいは身体の節々が痛かった。
そして「これヤバイヤバイ、イテテテテ」と心の中で叫びながら、身体は現実的に悲鳴を出しながらの作業はかなりきつかった。
その時は、60キロのコーヒー生豆袋。
今回は、69キロ。
気分まで重くなる。
しまった、身体を鍛える計画をしていたのだが、全くやっていない。
ごまかすかのように、ひとまず腕立て腹筋背筋の筋トレを開始してみるも、荷受けは2日後。
朝から「これで腰を悪くしたらどうしよう」「ヘルニアって痛いのかなぁ」などと余計な雑念が頭の中をチラつく。はっきり言って、恐怖に近い感覚。何度、「今日は調子が悪いです」と仮病を使おうかと考えたことか。
だが、もうやるしかない。
今回は、前日に倉庫の整理を同僚スタッフが相当念入りにしてくれたおかげで走行距離が短い。
コンテナから荷物を肩・背中・腰・膝で受けて、ちょっとの距離を運ぶ。
さあ、とうとう第1袋目が立ちはだかる。
メキシコからの生豆でパンパンになっている麻袋とご対面。
身体は相当緊張していて力と気合が入っている。
担いで見ると、何故か楽に担げる。
ん!?

前回の経験を身体が覚えているのだろうか?
「何回か荷受けをしているうちに慣れるよ」と言われてはいたが、自分でもビックリする。
身体が荷受けに適応している。
頭を使うのではなくて、身体がスッと麻袋の下に入っていき、荷物を担ぐ。
重心を取りながら69キロを運べる。
同僚と7人がかりで「ホイサ」「エイサ」と豆を運び、倉庫に積んでいく。

69キロが150袋。
あれよあれよという間に作業は1時間半程度で終わってしまった。
「次は、45キロのエクアドルの豆が入ってくるからね。ま、これを経験しとけば楽なもんよ」と。
油断は禁物だけれども、次回はさらに身体が適応していることだろう。
でも、やっぱり背中と肩が痛い。。。
世の中、いろいろな経験が活きるものだ。
2年弱の農村営業仕事。
僕は営業向きではないと自分では思っている。
けれども、身体と思考回路にある程度、経験と認識が蓄積されている。
それを活かして、コーヒー関連の営業。
早朝6時に出発して、熊本まで営業仕事に行ってきました。
キーパーソンを押さえて、その人の人脈やネットワークから営業先を効果的に回る。
小売店やカフェのみが対象かと思っていたのだが、結婚式場や葬儀場などもルートになることが分かった。
コチラの商品のパッケージのことや商品企画のこと、ロットのことなどいろいろなアドヴァイスやコメントをもらえたことも大きな収穫。
やはり、直接お客さんと会って対話交流をすることでつかめてくることがたくさんある。
コーヒーという媒体を使って、発信していくメッセージ。
それが、ひとつの仕事になる。
何だか、面白くなってきた。
同僚とは月1回は営業活動で外に出よう、との話になった。
またしても、全国を飛び回る!?
でも、以前のように1ヶ月出ずっぱりじゃないからね。
もっと気楽なものですわ。
ちなみに、3月は山口、4月は東京を予定。
今後は、媒体を通して発信していくメッセージに言葉と中身の力を持たせる工夫をしないとね。
先日、突然友人からメッセージが。
久々。
多くの時間を共有してきた友人。
彼女は言う。
「アナタの世界の広さと、ワタシの世界の狭さと」
どちらが、あなたでどちらが私か。
彼女が言った。
昔時間をかけて書いたものは色褪せないと。
本当にそうだろうか?
全く次元の違う文章
恥ずかしさ、うらやましさ、新鮮さ、歯がゆさ、くだらなさ、自己陶酔、nowhere。
どれもこれも、もう僕のモノではない。
僕は過去の君に追いつけないほど色褪せてしまったようだよ。
何を書いていたのだか、全く思い出せないのだから。
それでいて、若い感性にちょっと嫉妬しているんだから。
「スロービジネス」
当初は、この言葉自分の中で全くしっくりきていなかった。
ビジネスなんて大嫌いなコンセプトだったし、興味もなかった。
でも、ビジネスを通して社会が変わり、自分のライフスタイルもよりスローになったら?
そんな想像をするとワクワクしてくる。
仕事を変えてから1年。
あっと言う間。
僕は、そのワクワク感の渦中にいる。
農村で自然を感じながら暮らし
時々は都市にも出て行き
自分のペースで仕事をして
愉快な仲間たちが居て
美味しいものを毎日いただいて
人生、これで良いんだ、と思ってしまう。
そんな可能性と潜在性をどんどん拡げていきたい。
ひとつの媒体はスロービジネススクールというネットワークだ。
多くの人に参加してもらえたらと思う。
現在、第5期生を募集中です。
最近、あまりしっかりと休日を取らないライフスタイルになってしまっている。
四六時中何かしらやることがあるのと、日常生活といわゆる仕事の境界がかなり曖昧なライフスタイルを送っているから。
それはそれで、とっても恵まれたこと。
自分でも、「どこまでが仕事か」なんてことはあまり考えなくなってきている。
常に遊びで常に仕事といったら大げさだろうか?
こういうのを、ライフワークというのだろうか?
同僚からは「全く仕事から切り離された時間を持つのも大切。完全Offの日も作った方が良いよ」と言われている。
が、完全Offにはなかなかならないなぁ。
でも、部分Offにはもっていける。
先日、仕事上の打ち合わせの後に、北九州市の小倉駅近くをさまよっていた。
「そう言えば、面白いアーケードがあるって聞いたなぁ」と思い、記憶を辿って探してみる。
旦過(たんが)市場
狭いアーケードに魚屋さんやらおでん屋さん、惣菜屋、漬物屋、オニギリ屋などが所狭しとならんでいてとても良い雰囲気。
この東南アジア的カオス的雰囲気に、なぜか落ち着く僕がいる。
ちょうど昼時だったので、すぐさま昼ごはんになりそうなものを物色するモードに。
端から端まで歩いて探し、「キノコご飯とおはぎ」「100年床の鰯のヌカ炊き」「あげたてコロッケ」をそれぞれ別の店で購入。
アーケードを出たところの路上にあった花壇に腰掛けて昼食。
原付で移動だったため、片手にビールがなかっただけで、後はパーフェクトな昼下がりのOff時間。
旦過市場の雑然とした雰囲気と目の前の澱みきった河川を眺めながら。
散歩だか遠足だか、行列して歩く幼稚園生に「こんちは~」「あ~なんか食べてるぅ」「お昼ですかぁ?」何て声を掛けられながら。
そんなちょっとした雰囲気と時間が僕にとってのOff。
それで、今のところ、充分かな。
「スタートゼロの人生
そんな機会を自分の人生に与えられることは、素敵なこと」
何だか、良い響きの言葉だと思った。
60歳を目前にした大学の恩師の言葉。
彼は、またスタートゼロに立つ。
僕も1年前はスタートゼロだったはず。
今は何だか、スタートゼロの気持ちが足りなくなってきている。
「あなたの問題意識は何ですか?」
日々やることに追われているのかもしれない。
立ち止まって「問題意識は何か?」なんてことを考える隙間を持つようにしよう。
ここ数日で、自分の中に色々な風が吹き込んでいる。
「今、チャレンジは何ですか?」
この風をつかまえられるかな。
まだ、実感がないと言えば、実感がない。
僕の人生に相当な影響を与えている恩師が日本を去る。
いつかは、こんな日が来るとは思っていたが、あまりにも唐突。
その唐突さが最後まで彼らしいと言えばそうだね。
「あなたは、いつも一人で何かをしますね?誰にも習わないし、相談もしないし」何て
ことを僕はよく言われていた。
全く、よくゆーよ。唐突な離日、結論を出してから公表。彼らしい。
久々に連絡をすると「あれ~、私のこと忘れたんじゃないですか!?全