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ノマドの窓blog(nomadnomad blog) アーカイブ

2005年08月29日

産地の憂鬱

今月は愛知県田原市をノマドしている。渥美半島という大産地。僕の回っている旧田原町はハウス菊、ハウストマト、ハウスメロン、ハウスミカン、露地メロン、露地スイカ、露地ブロッコリ、露地キャベツなど様々な作物を栽培している。
中山間地に行けば会うことのほとんどない「20代の若者」が就農している。それも、集落にゴロゴロいる。まあ、いないところもあるのだが。
そんな産地での憂鬱とは、「これだけ単価が低いと、工夫して努力して作るのがバカらしい。質の良いものを作ったってそれを評価してくれないんだ。カネにつながらないんだ」と言われること。同じことを何度も言われるから不思議だ。農家の生産意欲をそぐには、買い取る価格を低迷させておくこと。そうすれば、自然とやる気が減退し、離農者が増える。こういうのを「構造的暴力」というのだろうなぁ。狙ってやっているのか?
「どれだけ、安いか?」って。TVでキャベツがトラクターに潰されて無残に畑にすき込まれている映像を見ただろうか?田原では今は潰していないが、状況はなかなか切迫している。キャベツ8玉で10キロ箱になるのだが、それがいくらで引き取られると思う?「150円」ぐらい。で、ダンボール代が100円。出荷場まで持って行くガソリン代を考えたら完全な赤字だ。「損するために作る。そんなこと誰がやりたいと思う?」と農家。そりゃ、やる気も減退するさ。ああ、産地の憂鬱。
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2005年09月04日

SV-cafe でノマド

8月28日に名古屋で「「食べもの」の向こう側」という話をさせてもらった。
いろいろなつながりの中でWill Platformが月1回開催するSV-cafeに招いてもらった。
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会場となった「空色まが玉」というオーガニックカフェはむかし米蔵だったらしい。なるほど、天井は高いし、店内は落ち着いている。
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以前に所属していた大学院のゼミで話をした時と比べると、聞き手の層が見えず、1名を除いて初対面なのでやはり緊張した。まあ、普段は全くの初対面となる農家と日々応対しているのだが。
主に話した内容は以下
食を取り巻く状況:一方で食を語る切り口が栄養素や健康機能性など内向きになっていること、他方で食とつながる農の現場や社会状況、文化の在り方など外向きに視野を広げていくことなどを話した。
経済的なグローバリゼーションや食農領域の総市場化などといった暗い側面と農村がもつしたたかさ、豊かさ、直売所や地産地消の動きについて両極の現実について紹介した。
僕らの食を支えている農家について:農山村で撮り溜めてきたデジカメ写真をスライドとして見てもらった。これはとても好評だった。写真を通してリアルに農家の表情や農村の風景などが伝わったようだ。
食を巡る状況を理解した上で、ひとりひとりに出来ること:life politicsという概念的なことも紹介しながら、何処でどういったものを食べるのか、何を選択するかは、一人ひとりがどういった社会を欲しているか、どういった社会的な仕組みを支持していくかにつながっているということを話した。
ゼミでの発表時のように、質問が飛び交うということはなかったが、それぞれが何かを感じとってくれたと思う。主催の岡田さんからは「自分の言葉で語り続けて」というポジティブなコメントをもらえた。
現場を駆けずり回れているからこその、話というものが自分で多少は出来ているのかな、と思えた。

いろいろ反省点は自分の中に持ちつつ、こういった機会をもらえた事をたくさん感謝している。

当日の様子(主催の岡田さんのブログへ)

先日、所属組織の先輩職員に出会ったら、「おい、何か名古屋で話したらしいなぁ。案内のメールがオレのところにも来ていたぞ。オレはいかない方が良いかなと思って遠慮したけど」と。いやはや、世の中狭いものだ。

2005年09月09日

重油代とハウス農業

重油の値段が上昇する。これは、皆さんの生活にどういった影響を与えるだろうか?一番身近なのは、ガソリン代が高くなることだろうか。あるいは、物流コストの上昇から物価が多少高くなることだろうか。さて、農家にとってはどうだろうか?正に死活問題。この時期にハウス農家と話していると、「重油が高くなった。これまでの倍はかかる。どうすっかなぁ」と真剣に悩んでいる人が多い。重油代上昇がきっかけとなって、離農する人も出てきているという。

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愛知県田原町では、たくさんの菊農家に会ってきた。一年通して出荷する産地なので、冬にもハウス内で暖房を焚いて菊を作る。ある農家に聞いてみた。いくらぐらいかかるのか?と。「ウチは1500坪あるジャンねぇ。その広さで、まあ作型とか品種にもよるけど300万切る位かな」と。1500坪というと、5反。野球場半分ぐらいの広さだ。その広さを一冬だいたい20度ぐらいに保つとするとそれだけの経費がかかっていた。それが、倍になると600万だ。重油の値段は高騰しているのだが、菊の値段は高くはならない。「葬式で菊を使わなくなってきたからなぁ。最近の葬儀屋は、しおれた菊だけ取り替えるらしいぞ。全部は替えないんだ。まあ、向こうも商売ジャンねぇ」と。

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今後、長期的に見ても重油代は高騰し続けるだろう。恐らく。重油の高騰は重油代だけではなく、ビニール資材などの高騰にもつながる。「経費ばかり高くなって、逆に農産物価格は下がる一方だから見入りはドンドン少なくなっていくよ。本当に、どうやって生活していくかねぇ」。続けていけない、という農家が出てくるのにもうなづけてしまう状況だ。どうやって、地温を下げないようにするか、ハウス内での栽培期間を短縮するかなどさまざま知恵を凝らしている。

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↑菊ではなく、ミカンのハウスと重油タンク

が、より長期的に考えれば、重油に頼った農業は持続可能ではないと言えないだろうか。現状としては、重油を使うことが当たり前になっている。が、バイオガスやバイオマスエネルギーを使ってハウス加温をしたり、ビニールに変わる素材を利用したりなどの発想転換が必要なのかもしれない。重油高騰という危機をバネにして、自然エネルギー利用の展開が活性化しないだろうか、と思ってしまう。

2005年09月22日

儲からない遊び (愛知県田原町)

愛知県田原市田原町
田原は菊とキャベツの産地
専業の若手や中堅がゴロゴロいる。20代の若い人もたくさん就農している日本でも珍しい地域だ。
専業地帯のひとつの特徴は「農業はカネを取る手段」という考え方が強いこと。農業で食っているのだから当然の意識なのだが、時として「カネ」が中心の論理になり過ぎる。作物がカネになるモノに見えてきたり、「カネ」にならない、自給の野菜などは趣味の園芸として切り捨てられたりする。「米も野菜も全て買ってるよ。その方が安いからね」というフレーズも何度も聞いた。でも、中にはしっかり自給作物を作っているバアちゃんジイちゃんがいる。
野田という地区を回っていた。カーネーション団地があり、菊専業やトマト専業がいる地区。元々田んぼだったところに細々と野菜が植えてある畑があった。そこで、ばあちゃんが作業をしている。何気なく近づいて話をする。「これは、自分の家で食べる分の野菜を遊びで作っているんだよ。儲からんお遊びだって、息子にはバカにされてるんだけど。ウチはカーネーション農家だけど、毎日ハウスの中で作業ばかりしていたらおかしくなっちゃうじゃんねぇ。たまには、こうしてお日様の下で農作業をするのが私は好きなのよ」と。

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ばあちゃんは、僕が見たことのない作物の葉っぱを摘み取っていた。「何ですかこの花は?」と聞くと、嬉しそうに「ゴマ」と答える。

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え、ゴマってこんな風になっているんだ。初めて見た。何でもばあちゃんはゴマが好きで家族が一年食べる分をこうして作っているのだという。「健康にも良いしね。炒りたてを食べるんだよ。美味しいよ。ウチの食卓にはいっつもゴマがのっているんだ。嫁も料理に使ってくれるしね。まあ、遊びだって言われるけど良いんだぁ」と。次の日同じ畑を見ると、ゴマは全てきれいに刈り取られていた。刈り取った後は、新って天日に干して、食べる都度炒るという。儲からない遊びが、家族の健康を支えている。

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↑この中にゴマが入っている。自然の構造は神秘的ですらある。

2005年09月25日

農民の叫び(その1)

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秋田県平鹿郡平鹿町を回っていた。9月6日から3週間ほど。
平鹿町は水田とリンゴやブドウなどの果樹が主な農業の町。
見渡す限り黄金色をした水田の拡がる風景には心が躍る空間だった。
たくさんの出会いや発見があったが、強烈だったのは飯野正和(イイノマサト)さんとの出会いだ。9月14日。
1年半以上に渡って農村を駆け回っているが、これほど熱く農家と議論したのは考えてみれば初めてのことだった。
初めは、農業技術の話を彼としていた。イネに吸い付き、食害を引き起こすカメムシ対策の話。木酢を田んぼの内側に撒いてやると、匂いでカメムシが田んぼの中に入らなくなるといったことを説明していた。
「うんうん、分かるんだよ。こういう技術的な話も大切だってことはさ。でも、君らはこうして農村を回っていて、はっきり言って危機意識がないんじゃないの?この地域や集落にある、閉塞感と不安感と絶望感と、そういったものを感じ取れていないんじゃないか?技術的に精進して良い物を作るというのは分かるけれども、それどころじゃない状況なんだぜ。ここの現実はさ」と。
彼は積年の鬱憤を晴らすかのごとく、自分の地域や農政に対する悲観論を僕に対してぶつけまくってきた。
「農家が作物を作るのにどれだけ苦労しているのか、都会の消費者は分かっていないだろ。農薬や化学肥料が嫌だとかってのが流れになってトレーサビリティーが重要視されるようになったね。いつどれだけの農薬を散布したかだとか、化学肥料を使ったかだとかを帳面に書いていくんだけど、すっごく煩雑なんだぜ。はっきりいってやってられないよ。手間ばかり増えて。僕でもタイヘンなのに、もっと高齢の農家には本当に負担だ。こっちは、一所懸命丁寧に栽培をしているのに、それが認められないような感覚がある。消費者は「あっちこっち」に買う先を変えるし、現場の都合を知らない無茶な要求をしてくるし。何なんだよ、消費者主権ってのはさ?無農薬栽培だってさ。まったく、自分たちでも栽培してみろっての。」
「米の値段も安い。今年は仮渡し金で1俵(60キロ)12600円ぐらいだ。去年よりも安くなっている。1反から8俵あげたとしても10万切るぐらいだぞ。機械代や燃料費、僕らの投下している労働量を考えたら、本当にやってられるかという値段だ。損するために作っているようなものさ。もう、田んぼは作るなってことなのかね?」
「今、農政は大規模農家に担い手になってもらう農業を推進している。そのうち、大企業が大規模に農業をやるようになる。そういった政策を見ていて暗い気持ちになっちゃうんだよ。長年百姓をやってきて、百姓仕事に僕以上に思い入れと誇りを持っている、じいちゃんばあちゃんはどうなるんだって思ってしまうよ。これまで農地を守ってきて、良い野菜や米を作り続けてきた人たちは切り捨てられるような政策だからね。彼ら彼女らが尊重されていない感じがするんだ。」
「僕は若い時から農民運動をやってきて、政府に対して異議申し立てをしたり、消費者との交流をしてきたりいろいろやってきたよ。東京にだって訴えに行ったよ。だけど、どれだけ伝わっているのかなぁ、何が変わるんだろう。もうホトホト疲れたよ。ホントに。嫌になってくる。君らにこの閉塞感と現場の現実と不安と絶望感が分かるかぁ?本当にどうしたら良いのやら、分からないんだよ。」
これほど本音で、青二才の僕に思っていることをぶつけてくれる。不満の捌け口にしたいという雰囲気では全くない。「とにかく、農民の叫びを聞け!」そんなオーラが彼から出ていた。そして、僕は彼の話を聞きながら、自分の考えていることを伝える。(つづく)

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2005年09月27日

農民(とノマド)の叫び その2

彼の話を聞いていて思ったのは、「ああ徹底した悲観論だ」ということ。農民から悲観論を聞くのは日常茶飯事だけども、いろいろな活動をしていて今も農業委員をしながら地域のことを考えている人から発せられる言葉には重みがあった。けれもど、彼の悲観論をそのまま受け入れる気持ちにもならなかった。
「飯野さんが言っていることも確かに分かります。けれども、世の中そう暗い話ばかりではないはず。いろいろな農村を回っていれば活気のあるところにも出会いますよ。」
「とにかく、悲観論を言っていても始まらない。暗くなっていくだけです。最近よく言われていることに「ないものねだりではなく、あるもの探しへ」というフレーズがあります。アレがないコレがないと嘆くのではなくて、足元を見つめれば様々な宝物はその地域に転がっているはずです。平鹿にだって、美味い米や雑穀、素晴らしい景観、温和な人びとなどなどがあるじゃないですか。」
「ここにある閉塞感と言いましたけど、都会にだって充分すぎるほど閉塞感がありますよ。日本全体では年間に3万人以上が自殺するらしいです。東京で働く僕の友人は1日14時間働くことなどざらで、会社に泊り込んだり良くしています。どんどん眼つきが鋭くなっていき、大丈夫かなぁ、と思ってしまう友人もいます。人と人とのつながりや支え合いが寸断されている中で、それこそ都会の閉塞感や不安といったらないですよ。」
「今、農村空間が持つお金に換算できない豊かさが注目され始めています。若者が農村へ向う動きや、農的な暮らしへの関心の高まり、食への意識の高まりなど。そういった人間にとっての豊かさの本質的な根源が農村空間にあるのかもしれない。そんな考え方も出てきています。」
「大きな政治的仕組みに対してモノを言うのは大切だし、継続してやっていかなければならないことでしょう。けれども、同時に自分の生活の在り方、生き方自体からも変化させていかなければいけない。まずは、自分の生活を愉しむこと、充実させること、そういったことも大切ではないか?」
などなど、すごく無責任で地に足の付いていない言葉だと思いながら、それでも僕は何故か語っていた。

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「君の言っていることは分かる。けれども、ここのどうしようもない現実の前ではねぇ。。。本当にどうしたら良いのやら分からないんだ。もうダメかもねぇ、って思っちゃうよ」と飯野さん。
その後、双方が同じことを別の言葉で繰り返し語っていた。「限界が来た。もうダメだ。」「いや可能性はある。何とかしていこう。」という形で。
双方が疲れてきたところで、僕は聞いてみた。「マサトさん、百姓仕事やっていて愉しいですか?愉しいでしょ?」と。
彼は少しの間を置いて、語ってくれた。「この間、宇宙飛行士の毛利衛さんが来てくれてさ、宇宙から見た地球の話や宇宙の話をしてくれたんだ。そん時、オレは思ったね。宇宙に行かなくても、日々宇宙を感じてるんだなってさ。例えば、田んぼでメダカを発見した時、キレイな水にしか棲まないハリザコという小さな魚を見つけた時、オレはそこに宇宙を見る気分になるんだぜ。ここのキレイな水や景観の中で仕事をしていてそりゃ愉しいと思うさ」と。ここでも、悲観論が出てくるようならそれまでだと思っていたが、そうではなかったので僕はほっとした。
「今後は、農協や行政に過度に依存せず、異業種間の交流や若い人の知恵工夫を借りて何とか閉塞感を乗り越えていきたいと思っているんだ。農家は良い作物を作ることはできても、それを売ったりアピールしていくノウハウがない。そこまでやれと言われても正直ムリだ。だから、センスの良い若者にも手伝ってもらって、さまざまな分野の人と交流しながら何とかこの地域を支えていきたいと思っているんだ。それと、もっともっと消費者に対する働きかけってのが必要だね。エンドユーザーが変わらなければ生産するほうはどうにも出来ないからさ。そのためには、メディアの役割は大きいはずだ。君にも期待してるぞ」最後はそんな少し希望とも展望とも取れるような話もしてくれた。
昼飯も食わずに2時間ぐらいはぶっ続けで話していただろうか。僕は少し朦朧としていた。「いやぁ、これほど農家と本音で語り合ったのは初めてです」
「ん、本音?こっちは全然本音じゃないよ。本音でしゃべったら、もっと厳しいこと言っちゃうもんね」と彼はニヤリとしていた。

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「こんなカッコで悪いなぁ」と言いながら写真を撮るのを許してくれた。

2005年10月03日

リンゴを赤くする!(秋田県平鹿町)

米とリンゴ処の平鹿町を回っていました。

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どれだけ収量と質を高めるか。如何にお日様がリンゴに当たるようにするか。そこから、枝の切り方や伸ばし方、樹のつくり方を工夫していく。30年40年かけて樹を作り、リンゴを作る。これはもうアート。


収穫作業に追われるリンゴ屋さんともたくさん話しました。
リンゴは放っておいても赤くならないんですね。農家が赤くしているんです。
例えば、「葉摘み」という作業がある。リンゴに太陽光がしっかり当たるようにリンゴの樹の葉をちぎっていきます。朝からとにかくリンゴの葉を取る。エラク地味な作業です。
あるいは、「玉回し」。樹に成っているリンゴを少しねじります。するとリンゴに直射日光がまんべんなく当たるようになるんです。一個一個ひねっていく。これまた、エラク地味な作業です。
リンゴ畑を歩いていると、銀色のシートが地面に貼られているところを良く見ました。何かと思ったら、銀のシートに太陽光を反射させて直射日光量を高めているんです。「シルバーマルチ」と言います。
こうやって、リンゴは赤くされているんですね。
こういった農家の地味な作業によって、真っ赤な美味しいリンゴがあなたの手元に届きます。

でも、実は「真っ赤な美味しいリンゴ」というのは、真っ赤な嘘とまでは言いませんが、どこかで幻想なのです。
例えば、シルバーマルチをして色を乗せても、味は乗ってこないんです。中が熟する前に、外見が良くなるだけなんですね。ある農家は「うちはシルバーマルチを持っていないよ。リンゴの尻を見て農家はリンゴの熟度を確認するんだ。人工的に光を当てて赤くしてしまうと、どれだけ熟れているか分からなくなるんだ。美味しいものを届けようと思ったら、あまり必要のないことなのだと思う。けれども、消費者や市場は真っ赤なリンゴを欲しがるからねぇ。」

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あるいは、葉摘み。葉摘みをしない「葉とらず」という作り方もあります。あまりムリして葉摘みをしない。すると、色は乗ってこないが、たくさんの葉っぱが光合成をしてくれるから、味は断然良いのだそうです。生協や大手スーパーと契約して「葉とらずリンゴ」を栽培している農家もたくさんいました。
美味いリンゴはなぜ美味いか、赤いリンゴはなぜ赤いか。想像して下さい。そして、味わって下さい。リンゴ、今が旬です。

2005年10月11日

転作で雑穀(秋田県平鹿町)

減反・転作という言葉を聴いたことがあるだろうか。簡単に言えば、「田んぼで米を作るな」ということだ。言うことを聞かないと、農協を通して米の出荷が出来なくなる。じゃあ何を作るのか?全国の農家がいろいろ試行錯誤をしている。秋田県平鹿町を回っていた時に、転作作物として雑穀の作付けを増やしている現場に出くわした。

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水田地帯に突如現れる真っ赤なアマランサス。神々しささえ漂う。

平鹿町では岐阜パールライスと契約栽培をしている。無農薬で栽培し、生産されたものは岐阜パールが買い取るという方式だ。販売はパールライスがする。田んぼよりも手間が掛からず、1反当たりの収入もそれほど米と変わらない。「まあ、まだまだ技術が確立されたわけではないから分からないけれども、手間が掛からないから良いと思う。薬を使えないから、雑草との闘いだね。ま、薬代もかからんし、コストも下げられるけどね。しかし何といっても収穫がタイヘンだね。コンバインも雑穀専用なんてないからさ、稲用で刈り取るとロスが多くて、ボロボロと落ちてしまうんだ。手で刈り取っている人もいるけどさ。広い面積だとやってられないぜ」と農家。アマランサス、モチキビ、ヒエ、モチアワ、ゴマなどが作付けされていた。雑穀は5月末に播種して10月には収穫する。5ヶ月の栽培期間。

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農協へ委託してコンバインで刈り取る。ロスが多いと言われているが、手でやるよりも断然早い。

僕は、東京の「つぶつぶカフェ」で友人が働いていることを思い浮かべながら、「東京でも雑穀が流行っているようですよ」と話をする。60代以上の人にしてみれば、雑穀は貧しさの象徴でもある。米が食えない時に、麦飯やヒエご飯などを食べてしのいだ。その時のヒモジイ思い出があるからか、雑穀を積極的に食べるという発想がなかなか受け入れられない人も多いとか。雑穀栽培歴3年の農家75歳に聞いてみる。「オトーさんたちも雑穀食べるんですか?」その農家は苦笑いをしながら、「いやぁ、米に混ぜて食べると良いとは聞いているけど、食ったことない。ガハハハハ!こっちでは、フツーにその辺で出来る野菜を食ってれば健康に気を使う必要もないしな!!」
岐阜パールライスでも、雑穀の消費拡大のために料理コンテストを開催している。平鹿の農家もさまざまなアイディアを提供しているとのこと。健康と美味しさの両面から雑穀が見直され始めている。先日、名古屋で寄った「空色勾玉」でも雑穀料理を出している。そういえば、実家の冷蔵庫にもいろいろな雑穀が入っている。一時期は雑穀がご飯に混ざっていない日はなかった。日常職の中に雑穀が取り入れられて消費が拡大していけば、「米を作るな」と言われる農家も雑穀を作って稼いでいけるかもしれない。健康と美味しさと農家の生活とが上手な好循環で結ばれるかもしれない。

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アマランサスの出荷準備。脱穀したものをふるいに掛けて選別する。「時間までに持ってかなきゃだかんね。忙しいよ」と相手にしてくれない。

2005年10月21日

食育と食農教育

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福井県高浜町 若狭の海は本当に素敵だった

最近、「食育」という単語を聞くことが多くなってきた。食育基本法なるものも成立した。各市町村で「食育推進協議会」を設置して、食育をどのように勧めていくか考える動きも出てくることになる。ただ、食育の考え方とソフトをしっかり捉えておかないと付け焼刃のものとなってしまう。
食育には「お皿の上で終わるもの」と「お皿の外へと拡がっていくもの」があるように思う。お皿の上で終わるのは、「栄養バランスを考えてキッチリ食べましょう。それが成人病の予防になります」とか「3食しっかり食べて、元気に毎日過ごしましょう」といった食育。食を要素にバラして、栄養や健康機能性を中心に考える。話はお皿の外へはほとんど出ない。他方で、食を見る眼をお皿の外へと拡げていくと生産の現場である農が見えてくる。日々食べるものがどういった営みの中から生まれてくるのか、そこにどういった歓びや愉しさがあり、苦労があるのかといったことを学ぼうとする姿勢がそこにはある。話はお皿の外へと溢れ出す。その学びは抽象的な数字や要素ではなく、作物を栽培する生身の人間である百姓、その地域の食文化や気候風土といった地域性が大いに関係してくる。こういった食育の流れを「食農教育」と呼んで区別もできる。
僕は今、後者の食農教育と呼べる実践が盛んな福井県にいます。

2005年10月23日

食改母ちゃんパワーと食農教育 福井県丸岡町

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あまり、関係がないですが、うちの朝ごはん。

福井県坂井郡丸岡町を回っています。前回「食育と食農教育」について書きましたが、後者の食農教育の実践の良い例が丸岡町にあります。食生活改善推進協議会、通称食改の母ちゃんたちの動きです。簡単に言ってしまえば、食のボランティア集団。一般的には健康に良い料理の提唱や地域の公民館での料理教室などをやります。往々にして、「お皿の上で終わる食育」止まりが食改の活動では多い感じがします。ただ最近は食育の社会的な流れに乗って多様な動きも生じているようです。その一例が「キッズキッチン」の実践です。
丸岡町には25名の食改さんがいます。農家の母ちゃんから保育園の副園長、お店屋さんから専業主婦まで多様な人たちが参加している。そして、ひとつの活動の柱がキッズキッチンです。これまでは、小学校に出向いていって料理教室をしていたのですが今年から幼稚園・保育園でも料理教室を実践しています。3歳~5歳ぐらいの子どもに包丁を持たせて料理をさせるのです。今のところやっているのは、透明のナベでご飯を炊き豆腐入りの味噌汁を作るということだそうです。ご飯がどのように炊けるのか?を透明のナベで可視化する。ぐつぐつ煮える様子を見て「わぁ~シャボン玉が出来てきたよ」などの子どもならではの表現も飛び出すとか。豆腐は手のひらに乗せて「ストン」と切ります。子どもはすごい集中力を発揮して真剣に豆腐と向かい合うそうです。
このように幼児にも包丁を持たせることは、坂本廣子さんという料理研究家が提唱し始めたことのようです。幼児のうちに「五感をフルに活用して物事を成し遂げるというホンモノを体験させることが大切であり、それは料理を通して出来る」ということ。ホンモノを体験し、「出来た!」という達成感の中で子どもは自尊感情を育んでいくということなのです。まさに、食からお皿の外へと拡がる食農教育の実践なのです。
さらに、単に料理をするというのではなく、素材を考えたり、地元の農家と交流したり、地域に伝わる伝統食を作ったりなどいろいろな要素を組み合わせていくと、食・農・地域が有機的につながってくるわけです。透明のナベで炊くお米は近所のジイちゃんが作ったものだったり、豆腐はどこそこの豆腐屋さんが県内産の大豆で作っているものだ、などなどさまざまな物語が付随してくるはずなのです。
面白いのは、キッズキッチンの波及効果です。コンビニ世代の親に向って「しっかり朝ごはんを作ってあげてね」とか「レトルト食品やファストフードばかりじゃダメよ」なんて言っても馬の耳に念仏状態です。そういった文化で育ってしまった大人たちを変えるのはそう簡単ではないのです。でも、子どもがホンモノの食に出会い、味噌汁は出汁から作った方が美味しいといったことを五感で感じ取り親に向ってそのことを発信し出すと状況は変わるらしいのです。「お母さん、お味噌汁は昆布とカツオの出汁から作った方が美味しいんだよ」「インスタントの食べものはやっぱり美味しくないねぇ。幼稚園で食べたやつの方が美味しかったなぁ」などなどといったことを言われると親も否が応でも変化してくるようです。食農教育を通して子どもを変えることで親の世代も変わっていく。丸岡の食改さんたちは、こういった変化を愉しみながら忙しい中でキッズキッチンや高齢者のための料理教室などに駆け回っています。
こういった動きがあるところには、必ず「素敵な人」がいます。結局最後は「人」なんだ、とさまざまな場所を移動遊牧していて良く思わされます。

2005年11月03日

山が荒れケモノが出る 福井県高浜町

福井県の山間部を回っていた時のこと、畑は網や電気柵で囲われている場所ばかりでした。百姓が丹精込めて作った野菜もイネもイノシシ、サル、シカ、ムジナ、カラスなどの鳥獣が食べてしまうのです。「あいつらは一番美味い時を知っているんだ。明日収穫しようと思っていると、まさにその早朝に入ってきて食べるんだよね。まったく憎たらしい」と。鳥獣害はなかなか深刻です。あまりにひどいと「何のために作っているのか分からない。サルのエサを作っているようなものだ」といった感覚になってきて、生産意欲が失われてしまうのです。そのぐらい害がヒドイ。「小豆を全部やられた」とか「サツマイモをほじくり返された」とかいろいろな被害話を聞かされます。イノシシは畑を囲っているトタンを倒して入ってくるとか、サルが電気柵に竹を引っ掛けて感電しないようにして入ってくるとかそんな話も聞かされます。普段のうらみつらみを農家が吐き出すときはそりゃぁ、すごい剣幕なんですね。

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手前が電気柵 その奥にネットが2重に張ってある。相当高いところまでネットで覆ってある。「どうやって人が入るの?」と思うぐらいの畑。そのぐらいしなければ、作物が守れないという。畑にはじゃがいもや小豆などが植わっていた。

いろいろな人と話していたら、山が荒れてきたこととケモノが畑まで出てくることには関係があると聞きました。昔は生活の一部として山に入り薪を取り、山菜やキノコを採るということが日常的に営まれていた。薪が必要とあれば、適度に雑木林が間伐されていたし、キノコ・山菜採りが続けばそこに人が通る道があった。そうやって人間が山に入っていれば、人間の匂いと気配が山にあり、ケモノは人里近くまでやってくることが少なかった。しかし、今、農家の高齢化と生活スタイルの変化によって、山の手入れがおろそかになっている。薪など取ってこなくても、ガスや電気で火を使えるし、キノコや山菜も買ってきた方が安い。そういった便利さの影で山は荒れ、ケモノの棲みかが増え、人がケモノを追って行こうにも道がなくなっているといった事態になっている。

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農家の倉庫に高く積まれた薪。それほど太いものはなかったが、山から取ってきたのだろう。

杉や檜ばかりを植林し、実のなる木々が山から消えたことも、ケモノたちが人里まで降りてきて畑の野菜を物色する原因のひとつだと言われています。
鳥獣害には決定的な対策がないのが現状です。諦めて栽培を止めてしまう人も中にはいますが、根気強く、ケモノと知恵比べをしながら作り続ける人も多いです。「毎年毎年サルやシシにやられるのに(食べられてしまうのに)、毎年毎年、作物植えて。ワタシャ病気だよ」と笑いながらある母ちゃんは言っていました。それでも、畑に出る、作物を育てることを止めない、百姓のしぶとさと誇りを垣間見た気がしました。
高浜町の鎌倉という地域では、ケモノに負けず、農家のばあちゃんたちが「100円店」(無人直売所)を作って、舞鶴から来る人や舞鶴へと向う人に新鮮な野菜を届けていました。

2005年11月07日

ひと味違う今年の新米 (新潟県糸魚川市)

「越後人はバカだよなぁ、本を買ってやった上に、米までくれてやるんだから」と苦笑いをしながら、越後人の小林春男さんは僕に米をくれた。そして、真剣な顔で「いいかぁ「美味しかったです」とかそういったありきたりの感想じゃなくて、しっかりした評価をこの米に下してくれ。ちゃんと手紙を書いてくれよ。約束だ、頼んだぞ」と付け足した。

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実に美味いおにぎり。その正体とは?↓↓

6月に僕は上越市に宿を取り、糸魚川市を回っていた。根知という地域に入った時に出会った稲作農家が小林さんだった。65歳ぐらいの彼はゆっくりとした口調でいろいろなことを話してくれた。米作りにかける想い、ヤギを飼いたいこと、豆腐やチーズを手作りしたいこと、本を読むより漫画の方が好きなことなどなど。
小林さんはこだわった米を作り、農協出荷にはせず自分で販売している。稲刈りが終わった後に大量の米ぬか(1反に160キロほど)を田んぼに撒いて、来作の準備をするのだという。土壌の改良と発酵による稲わらの処理、来作への肥料効果などさまざまな役割が散布に込められている。その米ぬかと一口に言っても、精米度合いによって質が違うことを教えてくれた。彼は酒の醸造元から2種類の米ぬかを仕入れ、それを田んぼに入れる。酒米は削り度合いが普通の米と違うので、いろいろな種類の米ぬかがあるのだ。そして、彼はどんな米ぬかにどういった特徴があるのかを掴んでいるようだった。田んぼの除草に米ぬかを利用する「米ぬか除草」という技術があるのだが、それにも大きな関心を示していた。「除草剤は減らしたいんだ。今は使っても問題ないといった認識になっているが、孫の代になってから「いやぁ、あれは問題だった」と言われるような後ろめたい気持ちが消せなくてね。これまでも、後々になってから「問題だ」となった農薬なんかが多いんだ。だから、なんとしても減らしたいんだ」と。だが、なかなか実際にはそこまで踏み切れないというジレンマも抱えている。化学肥料や農薬を控えた栽培をするので、収量はそこまで上がらないが「まあ、それでいいと思っているんだ。周囲からも「変なつくり方をしているとか」いろいろ言われるけど、自分の正しいと思っていることをやっているんだ」と語ってくれた。
他にも、ヤギを飼ってチーズを作る夢や大豆を栽培して豆腐を作る夢も持っていた。「ヤギはなぁ、乳が丸みを帯びたものではなくて、山型に尖っている方が出が良いんだぞ。僕が子どもの頃はどこの家にもヤギがいてねぇ。近々ヤギを飼ってさ、その乳でチーズを作りたいんだ」と眼を本当に少年のようにキラキラさせて語ってくれた。
そんな出会いからしばらくして、僕は思い出したように「もらったお米の感想」を夏ごろに小林さんに送った。すぐに送れば良かったのに、米の印象もどこかちょっと曖昧になってしまってから、遅くなって申し訳ないと思いながら。
昨日実家に戻ると、小林さんから新米が届いていた。「今年の米です。食べてみて下さい。ヤギは4日に来ます。近くに寄ったら訪ねて下さい。チーズもいかがかな?」といった内容。酔っ払いながら書いたのだろうか、ヨレヨレの字で。「小林」というサイン入りで。「越後人はバカだよなぁ。また懲りずに米を送ってやるんだから」とつぶやきながら、苦笑いしながら手紙を書いている小林さんの顔が鮮明に浮かぶ。
「米、早速おにぎりにしました。お世辞抜きでおいしいですよ。粘りもあるし、おにぎりにして冷めてからも味がしっかりしている。甘味もありますね。食べている僕は幸せな気もちになります。根知の田んぼの風景が浮かびます。」

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2006年01月13日

旅 end/start

旅は帰るところがあるから、旅として成立する
そんな話を、昔インドを旅していた時に聞いた気がする。
僕にとって、ひとつの旅が終わり、また新たな旅が始まる。
1年9ヶ月お世話になった組織を退職した。それとともに、移動遊牧生活にも終止符が打たれた。書類上は05年12月28日のことだった。
東京に戻ってきてから、怒涛のように人と会い、イベントに参加し、自分でイベントや元ゼミの講義を企画してきた。今日、元ゼミの時間枠で30人近くを相手にして質疑を合わせて2時間以上話をしてきた。大学でライフスタイルについて研究と分析をして、「人のことは良いけど、自分はどんなライフスタイルを構築したいのだろうか?」と悩んだこと。院では「社会意識知識生産」という理論枠組みを構築して、日本の新しい社会運動的NGO/NPOなどの知識活動を分析したが、「人がやっていることは良いけど、自分はどんな知識生産を具体的にしたいのだろう?」と悩んだこと。そこから、分析対象だったナマケモノ倶楽部に関わり、さまざまな経験をしたこと。食と農の領域で専門性を身に付けたいと思い、農文協という組織に入ったこと。そこでの2年弱の経験。それを経て、僕はこれまで見てきたことを「実践したい」と強く思うようになっていた。「望む変化自体になる」be the change ということをエラソーに語る恥ずかしさを圧して元ゼミの場で話をしてきた。反応は、まあ良かったのではないか。久々に旧知の人間の顔を見ながら頭をフル回転させて話をした。コメントや質問も処理しきれないぐらいもらえた。ありがたい。
当初2年弱の経験をまとめるだけのつもりだったが、気が付けば学部・院・ナマクラ時代そして農文協時代を丸ごと考えることになっていた。それは、僕自身のライフのあり方を丸ごと考えることでもあった。
この企画が終わった今、僕の中で一段落が付いた実感を得ている。書類上の日付ではなく、今日が僕にとっての移動遊牧生活の終わりであり、また新たなスタートの日なのだ。
「人生は面白い。それを共有できる仲間がいることは本当に素敵だ」と時に心底思ってしまう。この1年9ヶ月の移動遊牧生活で得たことのひとつに「僕は今後もそれなりに愉しみながら生きていけそうだ。それを一緒になって支えてくれるつながりと仲間がいる」という感覚が強くある。それはともすれば根拠のない自信というやつだ。けど、それで充分満ち足りている。ありがとう。

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2006年01月30日

ノマドプレゼン@ベアーズウェル

1年9ヶ月の経験をオープンな場で話す機会を2度つくった。
1月7日(土)にベアーズウェルという都内にあるカフェにて、僕が属するスロービジネススクールというネットワークの内輪勉強会という位置づけでまず一回。
「食べものの向こう側 むら・ひと・つち」というタイトル。この時はとにかく「食べもの」が育てられている「農村空間」というものを立体的に把握してもらおうと思って話をした。
ナマケモノ倶楽部の仲間や一緒にピースボートに乗った仲間、友人や知人がたくさん来てくれた。会場となったカフェは話を聞いてくれる25名ほどで埋まった。
農村空間と言った時に何を思い浮かべるだろうか?さまざまな集落や地域を回って思うのは、そこにある自然という資源、多様な食などの文化、個性的な人、そして人と人とのつながりだった。そういったものがあって、人々の生活と文化が成立している。その空間から僕らが日々身体に取り入れる「食べもの」が育てられている。
パワーポイントを使ってカッコ良くプレゼンすることを考えたが、ソフトがなかったためワープロソフトに図を描いて、それを見せながら農村空間を立体的に表現していった。

各地で撮りためたデジカメ写真も活躍してくれた。農家との話の流れを切りたくないので、自分のおなかの位置ぐらいでデジカメを操作して、言ってみれば盗撮をした写真の数々。もちろん、許可を得て撮ったものもある。それから、圧倒的な自然風景の写真などなど。
あっという間に1時間半ほどのプレゼンは終了。

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中央の黒い服が自分です

質疑では「農政の流れがどうなっているのか?」「若い人の新規就農の動きを感じるか?」「有機農業や安全安心野菜などの考え方は現場では拡がっているのか?」などそれぞれの関心からいろいろな質問をもらう。
「農政は力のある農家が機械を導入して大規模に経営していく方向付けをしている」「若い新規就農にはそれほど会っていない。統計上の新規就農はたぶん60歳前後で退職してから始めている人の数字が大きいはず」「流れとしては確実に安全安心へ向かっている。が、それに伴い安全安心と言われながら、形や虫食いなしなどを求められることや履歴作成など煩雑な事務処理が増えることで農家の負担が増える傾向もある。そのくせ作物の値段は上がらない。」といったやりとりをした。
また、「面白かった、自分も農村に足を運びたいと思った」「写真がすごく素敵だった」「本を作ったらいいじゃないですか?」「カッコつけ過ぎていなくて、素で話していたのが良かった」といったコメントももらった。
一番自分の中にズシンと来たコメントはイベント後の飲み会で「まあ、大抵は知っている話だった。状況説明ならTVを見れば事足りる。最近は農村の現実といった番組も多いから。もっと、そこであなた自身が何を感じて、何を思ったのかを話して欲しかった。それが、後藤彰が語り得る『オリジナルなこと』だと思う」というコメントだった。
いやはや、ズバリと言われた。
1年9ヶ月の移動遊牧生活で何をしていたかというと、農家相手の営業仕事なのだ。僕は自分のスタイルとして「相手の話に自分を合わせる」ということを常にしていたのだと思う。「Aだ」と言われれば「Aですよねぇ」と返し、「Bだよなぁ」と言われれば「Bっすよねぇ」と返す。農家とのやり取りの中で、自分の意見を主張したり展開するということは控えていた。もちろん、時にはガチンコで農家とやり合うという経験もあった。でも、大半は合わせるスタイルだった。また、根拠なく自信満々に自分の意見や主張だけを一方的に話してくる人にも農村でたくさん会い、辟易していた自分もいる。その一方的な自己主張は、ほとんどが他人の否定や非難と対になっているから聞いていて気分の良いものではなかった。
そんな経験の蓄積からだろうか、自分の意見や感じたことを他人に対してしゃべるということに臆病になっている自分がいた。自分で思うに、主張が言い訳がましい言い回しになっていた。ストレートに「Aだと思います」と言えば良いところを「まあ、Bって可能性もあるんですけれども、Aじゃないかなぁと」なんてまどろっこしい。
人に自分の想いや感じたことを伝えるのは難しい。けれども、スリリングで面白い。デザインの仕方、道具の揃え方、声のトーンから小ネタなどなど。これからも失敗を積み重ねながら練っていきたい。

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バイク営業チーム このカブで農村を駆け回る

2006年02月01日

ノマドプレゼン 課題をもらう

1年9ヶ月の経験を元ゼミの場でも話させてもらった。
中央大学総合政策学部サドリアゼミという空間。
僕はここに学部4年修士2年の6年ドップリ浸かっていた。
僕が出発点であり、ひとつの大切なネットワークだ。

プレゼンの前には毎回「誰に何を伝えたいか」ということを考える。
アレコレ構想を練る。前回のプレゼンで指摘された「後藤彰が語るオリジナリティ」というフレーズが僕の頭の中にあった。こうなったら、僕自身を語ろうか、そんな風に思っていた。
僕が学部と院で研究したこと、その時考えたことぶち当たった壁、NPOやNGOとの関わり、そして1年9ヶ月の仕事とそこで見聞き感じ考えたこと、そしてこれから先に考えていること。このラインに僕の考え方や認識を支えている思想や理論的枠組みを重ねていく。
この日は久々に丸一日PCの前に座り「レジュメ」を作ることになった。
(当日のレジュメはサドリアゼミのHPにアップされている)

僕の中でのテーマはbe the change/alternative ということ。
1年9ヶ月間方々見てきて、5000人近い農家に会って来て一番思ったこと。
「自分で自分が大切だと思う価値観や思想を体現したい実践したい」ということ。
欲する変化自身に自分がなるということ。

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よく「スーツで農村回っているの?」と聞かれていた。
いやいや、こんなカッコで回ってました(夏バージョン)。

研究をしている時は、社会から距離を取って分析的に物事を見ることが実践だった。
博士課程に進むことも考えていた僕がぶち当たった壁は「僕にはいまいち明確なテーマがない」ということだった。現場に出たくなった。
そして、仕事を通して現場に出た。現場だらけだった。けれども、「あ、結局まだ自分は観察者の域を脱していないんだなぁ」と分かった。作物を育てたり、地域づくりに奔走したりする農家と会って話をしていると、作物を育てたこともなく、地域には全く根を張っていない僕が「何を偉そうなこと言ってんだろう」という葛藤があった。
現場にいる人を別の場所から批判することは簡単なのだけれども、僕が会って来た人々は時間やお金の制約、ムラの論理などのさまざまな限界の中でもがきながら「実践」をしていた。自分の生活を組み立てながら、さまざまな工夫をして地域を盛り上げたり、良い作物を育てたりしていた。
共生的なコミュニティ、循環型農業、農的生活、本当に豊かということ、質の良い食、オルタナティブなライフスタイルetc…。農村空間を通して見えてきたもの、学べたことは数知れない。
人に期待したり、提案したりするのではなく、もう自分自身が欲する変化になってしまいたい。そういった想いが募っていた時に、タイミング良く(狙いすまして)転職の話がやってきた。村に農に食に関わる仕事だった。
給料は減るし、どうなるか分からない、先の見えない選択と言えばそうだろう。けれども、何故か僕にはさして不安がない。土に根ざした生活をしていれば飢えはしないだろうという感覚。限界だらけの現状を工夫しながら切り拓いてきた農家とたくさん会って来たこと。「やればできるんじゃないか?」そんなchallengingな気持ちが僕の中にある。

でもやはり、発表自体では「ストレート」に主張をぶつけるのが下手だった。2時間近くの話になったこともあり、オーディエンスの疲れを僕が感じ取ってしまったこともあり、難しかった。もちろん、僕自身もしゃべり疲れていた。ラスト近くの一番肝心なところでトーンダウンしていた感があった。
しかし、こんなしょーもない人間の等身大の話からいろいろ感じ取ったり受け取ったりしてくれた学生もいた。

サドリア教授からは「学生からあれだけいろいろなコメントが出てきたのは素晴らしいことだった。ゼミにこうして戻ってきて話をしてくれたことに感謝します。けれども、プレゼンのキャパシティが減った感じがする。君のプロジェクトが進んだらまたゼミに話に来なさい」と言われた。
さらに「記憶が鮮明なうちに、経験をしっかりまとめて本にしたら良い。それこそ、君が修士で研究した社会意識知識生産になる」とも言われた。
ベアーズウェルの際にも「本を出したら良いじゃない」と言われたり、その時に知り合った人にも「本は出していないの?」なんて言われていた。

よし、やってみっかな。


プレゼンへのコメントやそれに対する僕の応答がHP上で展開されている。
Sadria space 僕の研究の足跡はこちらから
Beart articles

2006年02月07日

佐世保にて車

長崎県佐世保に18日間滞在していました。また合宿。
実は、この年まで自動車免許を持たずに過ごしてきた。特に必要性を感じなかったから。
携帯も特に必要性を感じていなかったから去年の今頃までは不携帯を貫いていた。
携帯は持つは免許は取るわという状態になってしまった。

大塔自動車学校というところにて合宿してたのだけれども、少子化と不況の影響もありイロイロ大変そう。自動車学校と言えば「鬼教官」という貧困なイメージだったが、こちらが面食らうぐらいフレンドリーな雰囲気の中で教習を受けてきました。指導員と学生はすごく仲が良い。冗談を言い合ったり、気さくに話をしたり。鬼教官なんてとんでもない、という世界でした。

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当たり前なのだけれども、「お客様第一」の商売なんですね。
学生の担当指導員がだいたい決まっていて、ある意味担任制になっている。
が、これが何を意味するのだろう?
指導員は週休1日で朝から晩まで仕事詰め。かなりハードだ。担当する学生がいる以上気軽に有給など取れない。学生の夏休みも春休みも仕事になる。そして、給料は安いらしい。
お客は僕も含めて早いとこ免許を取得したい。学校はそれに対応するスケジュールを組む。指導員にしわ寄せが行く。
どうしたらもっと余裕があり、人間らしい働き方ができるだろうなぁ。
指導員の休日を公表して「この日は○×指導員は休暇です」とはじめから宣言してしまったらどうだろう?スローな職場ですと宣言する。
あるいは、僕のような人間があまり早さを求めずに免許を取れば良いのだろうか?
と考えつつも詰め込み最短のストレートで合宿をクリア。後は免許センターにて筆記を受けるのみ。

しかし、あの教習項目をただただ淡々と教科書読みながら詰め込むというやり方はどうにかならないものだろうか?ほとんど意味がない。本を読めばそれで事足りると思うのだ。ムダにコストを押し上げているよなぁ。

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早岐の海 この周囲を走ったり、海を眺めながら酒を一人飲んだり

2006年02月13日

命をつなぐ

僕の天草訪問の目的のひとつは残飯リサイクル採卵養鶏を夫婦2人でやっている「ひまわり農場」を訪問することだった。
中川みどりさんとの出会いは2年前に一緒にピースボートに乗って世界社会フォーラムへ参加した時に遡る。船上で「エコとピースで食べていく」という企画をナマケモノ倶楽部で打ったのだが、その時にみどりさんにはプレゼンをしてもらっていた。「エコだピースだって言うけど、実際そんなことで食っていけるの?」という往々になされる反応に対して、実践している人の話を聞いてもらおうというものだった。循環型の農業と暮らし。
「うちなんか参考にならないかもよ~」なんて言われながら、4日ほど滞在させてもらいいろいろ体験させてもらった。
やはり、直にその人のところへ赴き、顔を合わせて話をすると見えてくることが多い。
旦那の剛さんとは初対面だった。「人の出す廃棄物を家畜に食わせて、そこからまた人が利用できるものに変えることが畜産の使命だと僕は思っているんですよ」とポツリポツリと語ってくれる。考え抜かれた思想を実践して生活を組み立てている彼の言葉にはすごい重みがあった。言葉が身体を貫いて出てきている。
「人は無数の命を殺して、奪って自分の命をつないでいるんです。野菜や家畜の生命をいただいている。僕らの命の裏には無数の命が横たわっている。一人ひとりの命というものはそのまんま、理屈抜きに尊いんですよ。ね、だから、戦争反対!」と。戦争反対という良く聞くフレーズが違った印象を持って僕の耳に入ってきた。新鮮だった。
彼の仕事は養鶏であり、命に毎日直面している。年のいった鳥を屠殺するのも仕事のひとつ。無数の命を奪っているという実感を持っている彼と頭では無数の命を奪って生きていると分かるが、実感のない僕。これはもう、体験するしかない。
毎日の食、その中にはもちろん動物の肉も入っていることが多い。野菜がどうやって育てられているかが良く分からないように、肉がどうやって「生産」されているかも良く分からない。仕事で野菜や米の育てられている現場は無数に見てきたし、野菜や米の収穫ならばやったことがある。けれども、動物性の肉については未経験だった。一度は経なければいけないとなんとなく思っていた。
ひまわり農場訪問の目的として屠殺体験がかなりの割合を占めていた。
その日は、なんと鳥を6羽潰すという。剛さんには「命に直面してください」とこれまたポツリと言われる。
彼が一羽目を潰す。続いて僕も一羽潰す。
まず羽を交差させて羽交い絞めにする。これで鳥は動けなくなる。関節をムリに動かすので非常に痛そうだ。
それから、首を丁寧に砥いだ包丁でスパッと切る。血が流れ出す。
血を抜く。
鳥は血が抜ける過程でもがく。もがく。もがく。
血が抜け切る頃には動かなくなる。
熱いお湯に浸けて毛穴を開かせて、羽毛をむしり取る。そして、食べる肉と内蔵を取り出すために潰した鳥を解体する。残るのは、肉、内臓、鳥殻。

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僕は計2羽の命を奪った。一羽目はナカナカ首を上手く切れなかった。相当緊張して力の入った手で包丁を首にあて「エイヤッ!」と引くのだが、大して切れていない。これではかえって鳥を苦しめる。切らねばならぬ。ザックリと。
切る時どんな感じかって?
「ありがとう」でも「ごめんね」でも「お疲れ様でした」でも「いただきます」でもなかった。膝がガクガク震えるとか、泣き出して出来なくなるとか、事前にいろいろなケースを聞かされた。何も感じていないわけではないが、僕の場合は無心だった。鳥の体温を左手に感じながら、右手で包丁を握り締める。無心の集中。
血を抜く過程で羽をバタつかせたり、身体をよじったりする最後の抵抗を受け止めながら、とにかく、鳥の体温をいつまでもいつまでも手に感じていた。
解体の際も、内臓や筋肉にまだ生暖かさが残っており、何ともやりにくい感じだった。

これだけの工程を経て鳥の命は奪われ肉になる。豚や牛は身体が大きい分、もっと大変なのだろうなぁ。苦労した末の鳥料理。自然と感謝していただく。それと同時に、「ここまでして肉を食する必要があるのだろうか?別に肉を摂らなくても野菜で充分なのではないか」と思ってしまった。焼き鳥屋にいって「心臓」なんて気軽に頼んでいるけれども、バチ当たりなことだ、と思ってしまった。
では、野菜はどうなのか?同じように命を頂戴していることには変わりがないのではないか?野菜の命と家畜の命に、重さの違いがあるのかどうか?そんな話を剛さんとしていた。
野菜に関しては、命を奪っているというよりも、「いただく」という感覚の方が僕は強い。言葉として「同じ重さの命」と言われて分かるが、屠殺を体験したら圧倒的にそのリアリティは異なる。
いずれにせよ、こうしてつながれていく僕の「命」を恥ずかしくないように丁寧に生きようと思わされてしまった。
屠殺体験、ぜひ皆さんにも「命に直面」して欲しい。

cf:中川さんとこのブログ「ひまわり農場、代表鶏締役日記。」

2006年02月19日

移動遊牧から定住農耕への道

「移動遊牧」 シャレで使い始めたこの単語だったが、自分のここ2年の生活を的確に表現していた。
仕事をする前にもナマケモノ倶楽部の関係で熊本県の菊水やら西表に行ったり、ピースボートに3週間乗って那覇、マニラ、ブルネイ、シンガポール、ムンバイ(インド)、ゴア(インド)と旅をした。ディジュリドゥーとWWOOF体験目当てでオーストラリアにも訪れた。その後、仕事でたくさん移動遊牧。
仕事を辞めてから、免許合宿で長崎県佐世保に。合宿終了後に熊本県の天草、西原村、熊本市、菊池市と移動してきた。
ここ10日間ほどは移動遊牧に「居候ライフ」がセットになっている。友人宅・現地で出会った人のところ、知人宅などネットワークを駆使して居候つづき。皆さんに暖かく迎えてもらえるので愉しんでいる。家の創り方や家族との関係など、さまざま参考になる。
とうとう福岡県田川郡赤村に居候先を移しました。移動遊牧+居候もそろそろシャレにならないので定住農耕+家主というスタイルに移行したい。条件が整えば、徐々に望むスタイルに転換できそうだ。

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赤村はこれから僕のフィールドになる場所であり空間だ。1年9ヶ月の移動遊牧生活を通して、さまざまな農山村を見てきた。そこでいろいろな出会いも発見もあったけれども、決定的に欠けていたものがある。「当事者」であるということ。大学院で学んでいた時に「自分がどういった具体的なフィールドに出るのか」という壁にぶち当たった。だからナマケモノ倶楽部で活動をして、その後に農文協で働くことを選択してみた。が、結局「当事者」ではなかった。僕は相変わらず観察者でしかなかった。これはもう農山村に入り込むのが僕の道だなぁと漠然と思っていた。フィールドに「出る」というところから、フィールドに「なる」というところへ。人がやっていることを見たり語ったりするのではなく、自分がモデルを創って、モデルになって、自分で語りたい。
様々な縁があって、赤村に落ち着くことができそうだ。やりたいことはたくさんある。まずは、自分の生活を素敵にデザインしながら丁寧に創り上げること。いのちをつなぐ根源である食の自給にもチャレンジしたい。人生捨てたもんじゃない。beart = life politics

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