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ブログという形式を使って思索を行っていこうと思う。
「思索」とは言ってみれば「試作」であり、つまりは試みの思考に過ぎない。しかし、これまでのパブリッシングの世界には、authorは完成品を提供しなければならないという暗黙の“掟”が存在していたように思う。そこでは、途中の段階で発表することは決して許されないことだろう。
けれども、実際に社会をプロブレマタイズして変革していく作業は、もっとリフレクシブなものだ。それは、個人の作業ではなく、コミュナルなプロセス。一つの思考やイシューは、それが個人によって発せられたものであっても、多くの人々と交わることに深化し、より大きなうねりとなることもある。メッセージは一方向に伝達されるだけでなく、双方向に絡み合いながら、そして時に誤解や葛藤を繰り返しながら「生成されていくもの」という側面もあるだろう。
インターネットという手段を使うのも、この思考の「プロセス」を大切に感じるからだ。これまで私は個人的な活動として、フォトジャーナリストの写真展や、若手の写真家と自費出版など、オルタナティブなメディアにかかわってきた(もちろん、わざわざ「オルタナティブ」を選んだのではなく、自分たちの思いや主張を伝えようとする既存の手段がなかったからに過ぎないのだが)。もちろん、その「プロセス」は目に見えないものだし、定量的なものではないし、さらには決して終わることのない(時にむなしい)作業だ。
インターネット空間に社会をプロブレマタイズする可能性を見出し、そこで思考のプロセスを起動させることが今回のプロジェクトの個人的なイシューだ。私のこのような考え方の背景には、一人ひとりのイシューや思考は、社会をプロブレマタイズし、やがては世界を変革するパワーをもつという認識があると思う。
しかし、一人ひとりのパワーを発揮するには、私たちが彼らの声を「聞くこと」が大切だ。世界には発言する機会に恵まれている人と、そうでない人がいる。ブッシュの発言は大小さまざまなメディアで取り上げられるのに、アフリカで虐殺される人々の声はほとんど取り上げられることはない。
それでも、本来、一人ひとりの声がもつ価値に優劣はないと思う。大切なのはその声を聞き、それに対して応答する意思があるかどうかだ。それさえあれば、どんな人の声でもこの社会で影響力を持ちうる。
もちろん、そこでは誤解も生じることもあるし、コミュニケーションに力関係が入り込むことも容易に想定される。でもそれは、私たちがそうした問題に対して常に批判的であり、その改善を検討し、そこに関わる意思を持ち続ければ良いだけの話ではないか?
とにかく、今回のプロジェクトを進めていこうと思う。どこまでの広がりを持たせ、どのような関係を築いていくか?いろいろ試行錯誤してみようと思う。

