インターネットの可能性を語る上での前提
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「インターネットには可能性があると考えます」と主張すると、どうもインターネット賛美論者に誤解されることもあるようだ。


私個人としては、単にインターネットの道具としての価値を尊重しているわけではありません(インターネットの道具としての価値を尊重する立場は、新しいインターネットテクノロジーの発明が、それ自体で生活を豊かにしてくれると考える傾向にあります)。


ましてや、お金儲けの道具として利用しようとしているわけでもありません(この考え方は、とりあえずお金持ちになりたいと考えて、その手段としてインターネットに飛びつくような人たち。インターネットよりもお金がすきという立場)。


正直言って、別にインターネットでなくても私は何でもいいわけです。つまり、そこで一人ひとりが発言できて、考えやイシューを伝える場所を作れるかどうかが大事なのであって、必要であれば新聞も作るし映画も作る。紙芝居だってかまわないかもしれません。


目的はインターネットを社会に普及することでも、蓄財をして海外の豪邸に住むことでもありません。私が「インターネットの可能性」と言うときには、そういうことだということを思ってもらえれば幸いです。


次くらいからそろそろまともに記事を書いていきますか