原種の力

後藤 彰

  初めて会った。種子保存をしている農家に。専業農家に会いに行くのはちょっとためらいがあった。忙しい人が多いので邪険に扱われることが多々あるからだ。その人は「熱いねぇ」と言いながら日陰に腰掛けて自分がやっていること、ブドウへの想い、原種への興味、今後の農業などについて昼飯時間も気にせずに話してくれた。
  きっかけは、それほど強い思い入れでもない。米1本でやってきて、他にも何か作付けをしたいと思っていた。そこにブドウが良いのではないかとの話が伝わってくる。調べてみると奥が深く、その奥へとどんどんはまっていった。
Uさんは自分でブドウの交配をして生食用、ワイン用、実験交配を100種類以上も栽培している。実験段階のもので1本しかない樹もある。普通のブドウ園で良く見かける袋がブドウにかかっていない。農薬を撒いていないからだ。いや、正確には農薬を撒く必要のない栽培をしているからだ。


草生栽培。雑草は一番の肥料となる。除草剤も必要ない。
左右にあるブドウには農薬よけの袋がない。必要がないから。
  「いわゆる原種ってのは耐病性に優れているんです。今の品種は軟弱になっている。農薬でカヴァーしたりしないと収量が上がらなかったりね。」温湿育ちは病気やストレスに弱い。野生種や原種は強い。
  「交配をしていると、原種に興味が出てきたんです。耐病性の高い品種を作ろうと思ったら原種や野生種に行き着いたんです。そこにブドウ本来の生命力がある」。
  原種に惹かれた彼は古代米を100種類以上も種取している。「まあ、どうしても混じってしまって何だか分からなくなるものもあるんだけどね、繰り返し種取をしているとだんだんどの系統かとかが分かってくるんだ」。
昔は皆が自家採種をして来年に備えていた。毎回同じ種を同じ畑に蒔くと上手く育たないことも多い。だから、種を交換し合った。昔の話だ。今は、収量や品質が高くなるように掛け合わせられたF1品種が作物の大半を占めている。F1品種から種取しても、次世代には良い作物は収穫できない。劣化するのだ。だから、農民は毎年種を巨大企業から買い続けなければならない。それが、もはや当然になってしまっている。この事態を「支配」だと表現することすらはばかられる雰囲気だ。いずれ、遺伝子組換え種子も「支配」という文脈から切り離され、当然のように流通するのだろうか?
  一度、失われてしまった原種や在来種はもう復活できない。だからこそ、1本でも2本でも栽培し続けるのだとUさんは語る。種取のネットワークも広域であるとのこと。1粒の種から100粒以上の種が採れる。そんな拡がり方をしていって欲しいものだ。

  「これからの時代はビニールハウスや農薬なんかを使えなくなるんじゃないかな。石油もそのうちそこを尽きるしね。土が壊れていくし農薬も考え物だよ。その意味では30年後に基準となるような農業を僕はやっているんだ。まあ、今の段階では全然カネにならないけどね」。
  多くの農家は何故だか「百姓はカネにならない、儲からない」と不平を言う。まるで挨拶のように。「百姓はダメだぁ」と。自分が毎日やっているにもかかわらず。Uさんから不平不満は全く聞かれなかった。自分のやっていることを「カネにならんことだ」と言いつつも確固たる自信を持っているように感じられた。良いブドウをつくること、そのモノ作りへの驕りのない誇り。100種類以上のブドウを前にして、顔がほころぶ。



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