奥中山レタス高原の向こう側

後藤 彰


岩手に奥中山という高原野菜の産地がある。
 この地域では、レタスやリーフなどの高原野菜、酪農、果樹などがさまざま展開されている。産地としては小さい。「長野や群馬には到底かなわない」と何人かがつぶやいていた。そこで見聞きした話は日本の農業の縮図みたいだ。買手が圧倒的に強く、買取の値段も安い。そして、交渉力なく後手後手になり状況に追従していくしかなくなる。僕らがよく口にするレタスを例に見てみよう。


肥料の効きを安定させ、土壌水分を保持するために畑には
全面にビニールマルチ。岩手山と一面のレタス畑。

 多くのレタス生産者はとても悩んでいた。「先が見えない」というのだ。奥中山でのレタスの出荷方法は2通りある。ひとつは農協を通して大手スーパーやファミリーレストランへ出す契約栽培。もうひとつは農協を通して市場を経てどこかの消費地へと送られる慣行のやり方。
 契約栽培だと箱(8個入り)800円という値段で安定的に取引してくれる。農協への出荷だと箱640円とかだ。さらに、市場の変動や季節によって値は動く。そう考えると、安定した買取は魅力的だ。だが、毎日出荷するという制約がある。自然相手の農業だが、ファミレスやスーパーは客相手の商売だ。安定的に供給を受ける必要がある。だから、毎日新鮮な野菜を出荷してくれと農家に働きかける。その対価は安定した値段として現れる。農家の方は、安定した収入を確保しながらも、毎日出荷という負担を背負い込む。出荷できなければ、契約違反というギョウギョウしい言葉を投げ付けられる。バイヤーはとにかく強い。「文句を言うなら他の生産者と契約する」といった有言無言の圧力がある。
 そういった圧力の中で農家は金になるものを作ろうと必死だ。生産者でグループを作っている。基本的には当人が毎日出荷するのだが、自然が相手だからどうしても思い通りにならない場合もある。そんな時には、今日はAさんのレタスが適期(採り時)だからAさんのものを出す。今日はBさん、という具合いに補い合える関係を作っているのだ。だが、それにも限界がある。「仲間に迷惑を掛ける」という負い目が発生したり、仲間内でのイザコザモ発生したりするという。そういった中で、農家は適期じゃないレタスも出荷しなくてはならない状態へ追い込まれる。A品だと言ってひとつランクの下がるレタスを出さざるを得ない状態へと。結果的に奥中山レタス全体のブランドイメージが崩れてきているという。さらに、レタス自体の値段も下がってきている。
 農家の必死な姿を見ていると「農産物が安すぎる」と思ってしまう。レタスなどは収穫期には一気に採らないといけないため、朝4時から夜22時過ぎまで「死ぬ気で収穫する」という。農家はこの時期をレタス戦争と呼んでいた。そんな必死な姿とは裏腹にレタスは安く取引され、ファミレスやスーパーへと届く。挙句の果てには家庭で残飯になる可能性も高い。ものの価値を簡単に金銭換算できるとは思わないが、1玉98円といった値段は農家の苦労や想いを反映していない。野菜をはじめ農産物の値段は今後どんどん下がっていくだろう。海外から安い農産物が入るし、多くの消費者に「安ければ安いだけ良い」といったムードがあったりもする。
 農家は厳しい状況に囲い込まれている気がする。ある生産者は「消費者は外見のキレイなレタスが良いのか、安全なレタスが良いのかはっきりして欲しいなぁ」ともつぶやいていた。消費者のある種のエゴや大手スーパー(往々にして外資系)、巨大チェーン系のファミレスなどの戦略などに「生産者は振り回されている」と何度も思った。対応は後手後手だ。先手を打てるほどこの国での農家の位置づけは高くない。まるで、時代錯誤の小作人。
 こういった囲いの中で、農家は文句を言いつつも畑に出て行く。そして、彼ら彼女らが作った作物を今日も僕らは食べている。どこかで、囲いや柵を作り出しているのは、僕ら農産物を生産しない消費者一人ひとりなのだと思う。


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