| 辻 信一 (2004) 『スロー快楽主義宣言』 評者: 後藤 彰 23/Sep/04 Update |
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たった2日の連休。「スローな休日を!」と友人は言ってくれる。僕はその日、2時過ぎに眠りにつきながらも、身体に染み付いた習慣で7時には目覚めてしまう。頭のどこかにあった「すがすがしい朝」というフレーズ。サンダルを引っ掛けて散歩に出る。近所の森を通り抜けて、畑仕事をしているオバアと会話をし、心躍りながら行き付けのパン屋に向かう。それだけで、僕は満ち足りた心持になり、mindが踊る。家に戻り、友人と電話で話した後に買ってきたパンで朝食を取る。カンペキだ。そして、おもむろに辻信一『スロー快楽主義宣言!―愉しさ美しさ安らぎが世界を変える』(集英社、2004)を開きじっくりと一気に読んだ。
簡単に言えば「旧快楽」というものがある。ガンガンお金をつぎ込んで、「発展」といった呪文を唱えながら、自然環境を破壊して、ハコモノや無用の長物を建てて、「ニーズ」をサブリミナル的なコマーシャルで喚起することに基づいた「快楽」。例えば、西表島にきらびやかなリゾート(この建物センスが抜群に悪い)なんかをぶったてたりするようなこと。それは、美しくなくて、ダサくて、心地好くない。でも、相変わらず社会の中に偉そうにデンと座っている。 そんなうそ臭い快楽はもういらない。 もっと本質的に愉しくて、美しくて、安らげるような快楽。共生型の快楽であって僕も君も愉しめるやつ。自然環境と調和的でそもそも動物である人間が織り成すもの。そして、peace of mind=安心、平和に根ざした快楽。 「ぼくたちは誰もみな、愉しく、美しく、安らかに、おいしく生きるために生まれてきたのだ」(p.50)。 例えば、何だろう?細胞が喜ぶような美味しい料理、それを可能にする手間隙かけた食材、人と人とのつながりや地域の文化、自然環境を大切にした旅、創り手も買手も世間も嬉しくなるような取引や買い物、そして自分自身でナニモノかを創り出すプロセス。それらは、スローフードとかエコツアーとかフェアトレードと言われるようなもの。新快楽はそれに浸る人間にとって心地好いのと同時に、社会や自然環境、周りの人にとっても心地好いもの。 この新快楽に美的な感覚を喚起されたり、愉しいと感じたり、細胞が踊り出したりということに僕は可能性を感じる。もちろん、人それぞれ美意識は違うし、愉しいと感じるポイントは違う。マルブッフ(ジャンクフード)を喰ってりゃシアワセという人もいれば、ブランドモノで身体を飾り付ければ安心と言う人もいるだろう。だけども、それで身体の調子が悪くなったり、創意工夫が無くてどこか空虚だったりしないだろうか。僕は美味いものは美味い、素敵なものは素敵という全く根拠のない漠とした感覚を信じたい。ある時、1日に16時間以上も働かされている友人と食事をした。彼は仕事に疲れており目つきは鋭く、言葉も乱暴でトゲトゲしかった。ちょっと怖いぐらいの感じがした。が、一緒にオーガニックフードを食べているうちに徐々に表情が柔らかくなり、自分が悩んでいることや今後のことなどをポツリポツリと話し始める。僕はジャンクフードにそんな力はないと思っている。美味いものには細胞を躍らせる力がある。
でも、人間はそんなに強くない。現実の中でどうしたって妥協したり、流されたりしがちだ。「仕方がない」「そんなもんだ」「現実は厳しい」とかなんとかつぶやきながら。時として、僕もその一員。アートは格闘だと岡本太郎は言っていたが、僕はどこかで辻さんの言うスロー快楽にはある種の強度が求められると感じている。美意識あるいは哲学。前(pro)じゃなくても良いけど、どこかへと向かおうとする意志。何もしないで待っていても創造は出来ない。多分ね。スロー快楽を求める欲望やエロスが動力となる。それは、「生きる」ってことを追いかけて「おいしさ、愉しさ、美しさ、安らぎ」が本質的に大切だという感覚。自分のライフ(いのち・生活・人生)を味わい尽くしたい、愉しみたい、燃焼させたいといった感覚かな。僕にとっては。 僕は欲望している。「こんなもんじゃねぇだろ」とつぶやきながら。「じゃあどんなもんなんだ」ということを。生きること、働くこと、日々の仕事、生活、人との関係、そういったこと「そのもの」を考えるきっかけをくれる「旅」だった。いやぁ、本当にスローな休日。そして、僕はまた旅に出る。次は何処へ行くのだろう。 この本はあなたが自分の旅に出ることへと誘っていますよ。 beart link ○ 辻信一ほか 『ピースローソク』 ゆっくり堂 (書評) ○ 文化について「文化とは何ぞ?」(イベント報告) ○ 西表島 「金色のナマケモノ」(イベント報告) |
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