<チョムスキー9. 11 Power and Terror>
恐怖の活用

後藤 彰
<チョムスキー9. 11 Power and Terror>という映画の自主上映会がありました。
場所は登戸(神奈川県)にあるオーガニックレストラン<アリエルダイナー>。
アムネスティ川崎グループの主催でした。

僕は映画を見よう見ようと思っていて結局逃すパターンが多く、<チョムスキー9・11>もその一つでした。今日、雨のなか出掛けて行き、9・11の出来事から2年以上が経ってからようやく見ることができました。

前回のコラムで「9.11追悼セレモニー」はアメリカが被害者であるという象徴の日にされてしまう疑問を指摘しました。とある町ではグラウンドゼロから持ってきた歪んだ鉄筋をモニュメントにしているらしい。アメリカが攻撃された日。忘れてはならない日。ということでしょうか?グロテスク。
そういった象徴やシンボルの使い方に疑問を感じます。非常に恣意的だとも思います。

対抗的にチョムスキーというシンボルを使って違う見方を提示することが可能です。
彼は言います、「歴史的に見れば9・11のような事件は特別ではない(not unusual)」と。
逆に、ニカラグアやハイチ、パナマ、チリなどなどアメリカが介入して人がたくさん死んだ出来事もあります。

何が「特別」にされるかってことにはとても注意が必要だと、思ったわけです。

映画でとても印象的だったのは、「恐怖」を活用してアメリカは敵や悪の枢軸を作り出すという話です。おとぎ話に出てくる「悪の化身」という発想をブッシュのスピーチライターが盗んだんだろう、とチョムスキーは言います。
そういった話をさらに盗んでいるのが今の日本の北朝鮮に対する対応かもしれません。
ぼろぼろになった工作船を引き上げ、どこそこに象徴として展示したり。
煽られているのは「恐怖」です。

でも、そんな「恐怖」に煽られて冷静さを失う状態の方がよっぽど恐怖な気もします。

製作から2年経った映画を見て、そんなことを考えていました。


Chomskyが書いたものはZ-Netで読めます。探してみて下さい。
ちなみに、日本語でもあります。


                                                              ©GOTOH Akila 2003-


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